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江戸時代の旅事情

 1878年(明治11年)7か月に亘って日本を旅行した英国人旅行家 イザベラ・バードが、その旅行記で「世界中で日本ほど、婦人が危険にも無作法な目にも遭わず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。」と記したとされるほど江戸時代末期日本の治安は安定していて、女性が盛んに旅行に出かけその旅行記とも言える詳細な日記が残されていて、それら日記類を元ネタに江戸時代末期の「旅事情」を語ります。

 江戸時代中期以降関東以南 京都までの本州には五街道が整備され、宿場が置かれ街道筋には道標なども整備されていて江戸・上方間の往来が活発化し、治安維持の目的では要所要所に関所も置かれ旅の安全を保障されても居ます。

 その関所を通過するためには通行手形(往来手形)が必要に成り、身分目的に応じてそれぞれの役所に手形を発行して貰いますが、江戸幕府は藩を跨ぐ往来は基本的には認めておらず、ではどうしたかと言うと抜け道が存在していて、伊勢参りなどの寺社巡りと湯治場での治療願いには手形の発行が許されるという不文律が存在し、それらを利用した物見遊山の観光旅行が観光案内なども発刊されてガイド役の御師の存在も有り、ますます盛んに成って行ったのが江戸時代中期以降日本の旅行事情と言えます。

 時代劇などでは難物扱いされる関所ですが、殆どの関所には地元民が維持管理利用する間道が存在し、伝手さえ有れば其方へ廻る事も可能だった様で、関所自体も旅の安全を守るセフティーネット的役割も有ったので、その行程のほぼすべてが徒歩移動だったにもめげず、いそいそと旅に出かけた江戸時代庶民の好奇心には只々感心するばかりです。

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