元旦の地震について

 地震が起きてから数日して、教授から「地震は大丈夫でしたか」というLINEがきました。それほど深刻な被害は受けなかったという旨を話すと「得がたい経験なので、何かに記録しておくとよいでしょう」と言うので、それならちょっとした地震体験記を書いてみようと思いました。実のところ重い腰を上げたのが被災してからしばらくしてのことだったので、幾分記憶が曖昧なところがあるかもしれませんが、いや、読み物として消費していただければそれでいいと思います。

ソファでまどろんでいた私が地震で目を覚ました時、実は最初は、ちょっと楽しい気持でいた。というのは、私の住んでいる地域ではめったに地震が起きないから。人は命に危険がないときめてかかったとき、非常事態をエンターテインメントとして消費できる。しかし、どうやら事態はもっと深刻らしいとすぐに解った。スマートフォンはけたたましい警告音を発し、本棚から本があふれてきている。家全体が尋常でなく揺れている。もしかしたらこのまま潰れてぺしゃんこになってしまうのではないかと思った。すぐに私はドアを開け、兄のもとへ向かった。

兄は和室で昼寝をしていたのだが、思いがけず冷静であった。「早く非難しなきゃ!」と私が叫ぶと「ここが本棚も何もないんだから一番安全じゃないか。」と言って、そのまま寝てしまった。とんでもない狂人を兄に持ってしまったと思った。しかし、連れ添うしかあるまい。だから私も揺れが収まるまで兄のそばで寝た。実際に地震が起きているときに床に寝転がってみればわかるが、これは地面が揺れているのがじかに伝わってきて、けっこう恐ろしい。

揺れが次第に収まって、私たちはリビングに降りた。地震の後の世界には不思議な沈黙が漂っている。見渡すと、庭の灯篭は倒れ、洗剤が倒れて床にこぼれている。テレビは地震の速報を知らせ、「早く逃げろ」と急き立てる。こういうとき、私たちは言われずとも本能で外に出ようとするものであるから煩わしい。そのとき、漏電やらなにやらで火事になるかもしれないと、祖父はブレーカーを落とした。すべての電気は消えた。

玄関を出るともうすでに近所の人たちは外に出て話し合っていた。彼らは「たいへんな地震が起きた」と口々に話した。私の祖父は「今まで生きてきた中で一番大きな地震だった」と語った。誰もが呆然とした表情をしている。何しろここは雪害を除けば「災害の少ない地域」なのだ。誰もがここには大きな地震は来ないと思っていた。神話が崩壊したといって差し支えないかもしれない。ああ、高齢者がいっしんに集まってうろたえていた。私はこんな光景をいままで見たことがなかった。

そのとき父と母は外出していなかったので、祖父はますます不安がった。すぐに私たちは母に電話を掛けた。電話は通じない。それもそのはずで、母は家にスマホを置いて外出していたのである。
だが幸いにも父の電話はすぐにつながった。「すぐに向かうから待っていて」という。それまでの間、私たちは避難するための荷物をまとめることとした。

とりあえずリュックに財布を、パソコンを、充電器を詰める__本は?教科書は?もしこれが津波にのまれたらどうしよう、という思いが一瞬よぎる。しかし貴重品以外は、必須でないものはおいていかなければならない。一瞬のためらいの後、私は置いていくこととした。

私のスマートフォンにはたくさんの通知が来ていた。荷物をまとめないといけなかったから、返信している余裕はなかった。東京の人間はみんな馬鹿で想像力が欠落しているので、こうした我々の都合を考慮せず平気でLINEを送ってくる。それでいてすぐに返信が来ないと、「既読がつかない」「心配だ」とまたLINEを送ってくるのである。私はたいへん優しい人間であるから、落ち着いたところでLINEを返した。するとすぐに返信が来て一言。「充電がもったいないから連絡するな!」


 
さて私たちは避難しなければならなかった。川の近くに住んでいたから。これほど大きな揺れが来たのだから、津波が来てもおかしくなかった。津波が来るならここも危ない。早く逃げなければいけないが、しかしどうやって?田舎の人間の移動手段はもっぱら車である。ちょっと歩いて着く程度の距離でも車、とにかく車に乗る。しかし災害時に車を用いたら、すぐ渋滞になってしまってむしろ危ないのではないか?私は不安だった。しかし、私たちの祖母は足が悪く、とても高台まで歩けるとは思えなかった。選択肢はない。

外出中だった父と母は幸いすぐに帰ってきた。父は有事のさいの避難場所を把握していて、高台の小学校へ行けという。私たちは車2台で避難所をめざした。

想像以上の田舎であったためか、それとも皆が慢心して避難しなかったからか、幸いにも道は渋滞になるほど混雑していなかった。後部座席に座りながら私は一息ついた。もう、安心なのだ。

 しかし私はそこで走る男を見た。皆が車に乗って避難所へ向かう中、カバンを右手にもって走る男の姿を。兄の運転する車がその男を追い越す。その瞬間、男は、全力疾走しながら、私と目が合った。

一体私はそのとき何を思ったのだろう?その男の表情に何を読み取ったのだろう?それにしても、あのときの、男の必死の形相を私は忘れない。兄は追い抜いてから言った。「乗せてあげた方がよかったかな?」しかし車はもうすでに追い越した。立ち止まってはいけない。振り返ってはいけない。

彼は私たちを恨んだだろうか?

私がこの災害を振り返った時に真っ先に思い浮かぶのは彼の姿である。私はほとんど完全な安全地帯から、生きるのに必死な、人間を見た。幸いなのはこの地震が我々の地域では大事に至らなかったことであった。果たして津波は来なかった。だがしかし、もし後から津波が来て、彼がのまれていたら?私たちはやはりあのとき立ち止まるべきだったか?しかしあの時の一瞬の判断の遅れを、いったい誰が責められるのだろう。

避難所に到着してから私は、彼があとから無事に来ることを祈った。
しかし彼は来なかった。



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