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稀有な天才数学者。埼玉県加須市。グーグルマップをゆく #57

 グーグルマップ上を適当にタップし、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は埼玉県加須市。

 谷山豊は、開業医の子として生まれた。高校時代に高木貞治の「近世数学史談」を読み、数学者を志した。

 元々は、豊と書いて「とよ」という名前であったが、「ゆたか」と間違われることが多いため「ゆたか」と名乗るようになったという。

 彼の功績は、証明されるまで360年かかったという数学史上最大の難問「フェルマーの最終定理」を解くために重要な鍵を握った「谷山-志村予想」である。「谷山-志村予想」とは、谷山豊によって提起され、1960年代以降に数学者の志村五郎によって定式化されたものである。

 「フェルマーの最終定理」は、イギリス人数学者アンドリュー・ワイルズ氏によって平成5年(1993年)に証明されたが、ワイルズ氏は「フェルマーの最終定理」を証明するための核心は「谷山-志村予想」を証明することにあったと語っている。

 私は、数学については暗く、よくわからい。しかし、こういった天才的な人物について思うこことは、土地や血筋など全く関係なく、突然変異的に表れるということである。

 彼の生涯は短く、語られることも多くはない。写真を見てもどこにでもいるような普通の好青年といった風である。昭和33年(1958年)、東京大学の助教授に就任にし、婚約も決まり、プリンストン高等研究所から招聘を受けるというめでたいことが続く中、突然遺書を残して自らの命を絶った。

 理由はよくわからない。遺書にも「自殺の原因について、明確なことは自分でもよくわからないが、 何かある特定の事件乃至事柄の結果ではない。ただ気分的に云えることは、将来に対する自信を失ったということ」と書かれていたという。

 その後、婚約者も「私たちは何があっても決して離れないと約束しました。彼が逝ってしまったのだから、私もいっしょに逝かねばなりません」という遺書を残してあとを追って自ら命を絶ったという。

 悔やむならば婚約者についてであり、谷山について、推し計れることは何もない。ただ、こういったことがらはいつの時代にもあるわけで、何か釈然としない虚しさだけが残るのである。

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