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一遍上人をたずねて④

 一遍上人よりも前、朝鮮半島で踊り念仏を広めた人物がいた。

 元暁(ウォンヒョ)、日本では、「がんぎょう」もしくは「げんきょう」とも呼ばれている。7世紀の統一新羅時代に朝鮮仏教界で活躍した僧で、日本では「無量寿経宗要」の著者として知られている。

元暁

 元暁は、華厳宗の僧侶でありったが晩年は破戒僧となり、俗服を着て小姓居士となのり、芝居道具であった大瓢で遊び道具を作って、これを持って念仏を唱えながら歌ったり踊ったりして村や里をまわって浄土仏教を民衆に広めた。これによって無学な人々も仏の名を知り南無阿弥陀仏を唱えるようになったと言われ、新羅浄土仏教の先駆者とも言われている。

 著書である「無量寿経宗要」は、元暁の弟子審祥によって日本にもたらされ、新羅華厳宗が東大寺など南都の寺院で盛んに研究される中でよく用いられた。鎌田茂雄氏によると、親鸞の「教行信証」は「無量寿経宗要」の引用が多く見られるらしい。つまり、親鸞の師である法然にも何かしらの影響を与えていると考えることもできるわけで、これによって、浄土仏教と踊り念仏との関わりについて見ることができる。

 一遍上人は法然の曾孫弟子にあたる。元暁の「無量寿経宗要」については学んだであろう。ひょっとすると踊り念仏についても知っていたかもしれない。

 日本では、一遍上人よりも前に踊り念仏を行っていた人物がいる。空也上人である。空也上人は市聖とも呼ばれ、10世紀に京都で大衆に踊り念仏によって広めたと言われている。これは、一遍聖絵において「空也はわが先達なり」と書かれた箇所があり、これによって空也上人も踊り念仏を行っていた裏付けとされているためだが、空也上人が踊り念仏を行っていたという史料は今のところ見つかっていない。

 ただ、空也上人が開創したとされる六波羅蜜寺や空也堂に、空也上人の踊り念仏と言われるものが伝承されている。仮に空也上人が踊り念仏を行っていたとして、元暁よりもおよそ300年も後の人である。空也上人の踊り念仏もひょうたんや鉦を叩きながら踊るところから見て、独自に始めたというよりも元暁の影響があったと考える方がしっくりくるのではないだろうか。

 今のところ、元暁と一遍上人を繋ぐものはない。しかし、前述の通り蜘蛛の糸ほどに細くはあるが、繋がっている可能性はある。いずれ、朝鮮仏教と踊り念仏についても調べ、一遍上人との関係についても明らかにしたいと考えている。

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