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キリストの奴隷から教師たちへ

ヤコブ書3章1節の「教師」は翻訳で二回登場する。

"私の兄弟たち、多くの人が教師になってはいけません。あなたがたが知っているように、私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。"
ヤコブの手紙 3章1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

James 3:1  Μὴ πολλοὶ διδάσκαλοι γίνεσθε, ἀδελφοί μου, εἰδότες ὅτι μεῖζον κρίμα λημψόμεθα. (ORIGINAL)

新共同訳と口語訳訳、フランシスコ会訳も「教師」を二回、訳出している。

しかしながら、他の訳ではどうだろうか。

正教会訳。
我が兄弟ヨ、多クノ者師ト爲ル勿レ、我等ガサバキヲ受ケンコト更ニ厳シキヲ知レバナリ。
(サバキと厳は漢字変換できませんでした)。

田川建三訳。
我が兄弟たちよ、多くの教師になるな。いずれ我々はより大きい裁きを受けることになる、とあなた方は知っているのだから。

他の訳と違って、正教会訳と田川訳では「教師」を一度しか訳していない。何故なら「教師」になってはならない多くの人も、「私たち」も、同じ「教師」の務めを担っているからだ。

ここの「教師」は「διδασκαλος」(ディダスカロス)は、そのままの「教師」の他に「師」「先生」という意味の複数形である。直訳は「教師たち」であり、教会の務めの働きを担う者たちである。

"こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。"
エペソ人への手紙 4章11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ここの「教師」も「διδασκαλος」(ディダスカロス)の複数形が使われており「教師たち」のことである。

加えて、聖書における教会の教師たちは、主の兄弟ヤコブが言うように「神と主イエス・キリストのしもべ」でなければ務まるはずもない。
"神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、離散している十二部族にあいさつを送ります。"
ヤコブの手紙 1章1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

1章1節の「しもべ」は「δουλος」(ドゥーロス)で「奴隷」の単数形である。主の兄弟ヤコブは自分自身の単独性と、多くの教師たちを明らかに区別している。

いずれにせよ、「より厳しい裁きを受ける」(3章1節)ことを教師たちになる以前に十分、私たちは考慮すべきなのである。

とは言え、神から一旦、教師たちの一人として賜物と召命を受けたならば、その道は厳しく苦しいものになるが拒絶してはならない。同じように、どのような仕事や勉強、家事育児の中にあっても、キリストに対する信仰に踏みとどまって、神に望みを託して行こうではないか。

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