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聖書の権威

先日、「聖書の権威」について久しぶりに確認できたと思います。基本的に、私の説教は神の言葉と聖餐式に向かえるように語ります。

プロテスタントの主流派の教会で聖画像と聖像(教会員などによる絵画や彫刻等の作品展示も含む)があまり使われていない、──そのような指摘を受けました。私の確認不足でした。申し訳なく思います。

Googleマップで見たところ、殆どの教会の敷地内や会堂内には、カトリックのような聖像や聖画像は存在しませんでした。

以前、私が所属していたプロテスタントの教会ではプロの画家やアーティストによる作品が並べられていたため、どこの教会も同じだと誤解していたのだと思います。

ちなみに、私は水彩画の画家になる道が開かれたことがあり、教会員の画家から聖書を題材にした表現について教えてもらったことがあります。彼が好きなアーティストはジョルジュ・ルオーとファン・エイクでした。

私も「聖心」や「神秘の子羊の祭壇」が大好きで、グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」も気に入っています。恐らく、キリスト者の中でもアート好きな方々は教会になくても室内に飾っているかもしれません。

昔の聖画像と聖像の論争は現在でも続いていますが、室内装飾や教会備品としてレプリカが普及しているというのが、私が言いたかったことでした。

神学的には非常に深い内容があるため、装飾をどうするか悩んでいるうちにおしゃれをする余裕がないと感じることもあります(アクセサリーなども広い意味で聖画像論争の中に入ります)。

しかし、リラはボロ服を着ていますが、おしゃれをしない人はいないと思います。笑

狭い意味で、聖画像論争は続いていくと思いますが、映像化・視覚化における表現自体は様々な神学者が議論しています。

他方、「聖書のみ」について、宗教改革時からプロテスタント正統主義の時代から近現代に至るまで、言葉の意味が深まったと考えます。

単純化すると、以下のようになります。

⑴ 宗教改革
カトリック教会の教皇制(位階制)の権威に対抗して「聖書の権威」のみを主張する形が形成されました。しかし、これは思いつきではなく、12-21世紀のワルドー派、14世紀のウィクリフ、14-15世紀のヤン・フスの長い系譜を持ちます。そこから学んだマルティン・ルターたちにより、「教会の権威」は「聖書の権威」のみに支えられ、教会は公会議への解釈も含めて改革されるべきだとされました。当時のカトリック教会は対抗宗教改革を指揮しましたが、現代カトリックは当時の強硬な対応を否定的に考えています。小教区や地域教会、諸個人の単位では不明ですが、少なくともバチカンはそう考えて教会一致を推進中です。

⑵ プロテスタント正統主義
16世紀のド・ベーズ(カルヴァンの弟子)により、二重予定説に代表される教義の硬直化が始まりました。カルヴィニズムのポイントを体系化することが、教会の制度化・組織化を促進しました。それに対抗する新しいプロテスタントの教派が19-21世紀にかけて登場し、現在に至ります。一致と多様性のバランスは難しいですが、キリスト教はそれらを包括してきた歴史があるので、あまり目くじらを立てる必要はないと思います。

⑶ 近現代
エキュメニカル運動や聖霊刷新運動など、多くの波が生じていますが、穏健な対話がなされるようになったのは良い傾向です。昔なら討論に負けたら地域から追放されたり、火炙りにされたりしていました。それなのにキリスト教国家同士で未だに戦争していることには言葉を失います。カトリック教会は教皇制と聖職者位階制を手放すつもりはなく、キリストの使徒の権威を主張しています。プロテスタントもそれに対抗して「聖書の権威」のみを強化するのは当然の帰結ですが、カトリックもプロテスタントに刺激されて聖書の重要性を以前より説くようになりました。

問題点は、プロテスタントの宗教改革における「聖書の権威」が対抗の対象を見失い、「聖書主義」を採用する教会が増えてしまったことです。聖書の範囲を決めたのは教会であり、その歴史と伝統を無視することで、プロテスタントの聖書主義はキリスト教信仰の伝統と断絶してしまいました。中世の改革者や宗教改革者たちが聖書を基礎にして公会議や古代教父の文書、聖人伝などの伝統を取捨選択したのに対して、「聖書の権威」のみが強調されることで、キリスト教の多くの伝統から切り離された信仰者を再生産することになってしまいました。

では、どうするか?

自分ですべきことをするしかないでしょう。私は福音宣教と教会開拓を15年以上、続けています。

あなたの続けていること、或いは、新しく開始したいと祈り願っていることは何でしょうか。

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