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きょうもいろいろなやんでいる塊 そのまま心象をかけるようになりたい

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最近の記事

VRChatの際限なきファッションがくれるもの

5月に足が動かなくなったあとから案外簡単に職場復帰できてあまりにも順調に現実世界に戻ってきてしまったのが表面的なここ一ヶ月 その裏ではVRゴーグルを深夜三時、動けない布団の中でにポチり、VRChatという仮想も仮想、現実から程遠い世界に日々逃避行 1ヶ月近くVRChatをやって得たものは、大して現実も仮想も変わらないなという感覚 結局のところ人は人でしか無いのである 環境をを変えたところで人は人でしか無い アバターを女の子にしても、獣にしても、妖怪にしても人は人 結局のと

    • 歩くのも大変なんだね

      昨日まで元気にお仕事をしておりました お仕事というのはゴルフのキャディさんでして それはもうあちこち歩き回るお仕事なんですが 特にうちのゴルフ場は傾斜が多くて大変 それでも就職して四ヶ月元気歩き回ってました 体もよく動くようになり、夜もぐっすり八時間 睡眠不足とは無縁の生活 スマートウォッチのストレス計測も良好 四月はバイトながらもしっかり22日間働きました 些細な不安はあれど日常の範囲内 仕事が少しずつ板についてきた頃合いです 5月に入りました 足が上がりません 家の階

      • 勇気を持って堕落しろ

        ポジティブすぎてけがしつづけてる 自分は大丈夫 自分なら大丈夫 いつかは笑い話になる でもそれは現在の辛さを感じている それの裏返し 最近怪我が多いのは 聞き分けのいい子になってるから 疲れは解釈 解釈をポジティブに持って行き過ぎ バランスが崩れている 囚われたくない 囚われたくない 囚われたくない 誰にも縛られない 何事にも縛られない 自由にも囚われない ないはわかった 何がしたい 君にとっての自由とはなにか ああ本能に従いたいのだ 本能をさらけ出すことを恐れている

        • 親の顔色を伺う私は神ではなくただの人間なのだ

          親と仲がいい 私が親を傷つけることを言わない 親が私に傷つけることを言わない 喧嘩がおきたことがない そもそも起きるはずもない それは親と姉の対立を見てるから あぁこういうことをしてはいけない これをしたら親が悲しい顔をする だから親の顔色をうかがう 気に入られようと動く 悲しい顔をさせないように動く それ自体がいけないことではない そのおかげでいいこともたくさんある 社会で人間関係が悪かったことがない だが人間関係が良かったこともない なぜなら

        VRChatの際限なきファッションがくれるもの

          私は神でも演じているつもりなのか

          家族に対しても演じている 職場でも演じている ネットでも演じている 今ひとりでマックにいるときさえ演じている 結局の所いつも演じているのだ 言い換えれば私は演じていないのだ ただリラックスが苦手なだけな 不器用な人間であることに 気がついていないだけだ リラックスが苦手とはどういうことか まさにこれが答えだ あらゆることに対して正解あり 正解こそが問題の対処として最適解 そう思い込んでいる 残念ながら人の心というのは複雑だ ひとつの答えが万人に当てはまることも無く ひとつ

          私は神でも演じているつもりなのか

          少しでも楽しい道をゆこうではないか

          調和と平和が理想 そして完璧主義な気質 それが噛み合いすぎて過剰適応 自分の理想ではなく 他人の理想に完璧に適応しようとする それも無意識で これが不調の原因 自分の理想をもて 私の理想とは心の平穏 しかし経験とは心を揺り動かすもの まして未知の世界でたった1人 目にするもの耳にするもの 五感全てが私を平穏から遠ざける あぁなんと辛いことか だが人というものは慣れるものだ いちど異世界を受け入れられたなら そこはかけがえのない居場所となり 周りは新鮮で輝き出すだろう それ

          少しでも楽しい道をゆこうではないか

          やりたいことってなに?

          やりたいことをやろうとおもうと一人になるけれど、ついつい人がいるところにふらりと行ってしまっては、そこに長居してしまって、気がつけばやりたかったことができなくなってる、気がするけど寂しがり屋な一人好きにとってはほそぼそと人付き合いができる場所に長居したくなるのもやりたいことなのである。

          やりたいことってなに?

          6月23日 漠然と辛い

          友達と話しながら帰る。また明日、と別れ道で交わす。1拍空いて、いや明日休みじゃん、と振り返るも遠くに背中が見えるだけ。走っている。相変わらずパワーが違うなと感心する。そして直ぐに見えなくなってしまったので、私も同じく家に向かう。家までは距離は短いけれど上り坂で、そこを1人ぽそぽそと歩く。 そういえば午前中は雨が降っていたな、といつもより黒いアスファルトを見てふと思い出す。行く時は降っていなかったから忘れていた。傘もないし。そしてそのまま地面を見ながら歩いていると、あっという

          6月23日 漠然と辛い

          雨と言葉の行方

          どうも雨が降る日は感受性がにぶる。いつも頭を満たしている言葉が見当たらない。どこに行ってしまったのだろう。奴らも雨の日は家に引こもるのだろうか。いつもはやかましい奴らだが、姿が見えないとそれはそれで寂しい。 そして空っぽの頭を満たすのは、ざーーーだったり、じーーーだったり、甲高いだけのつまらない音。そうか、この音がみんな嫌で隠れているのか。ごめんよ、守れないわたしで。 すこしでも気休めになればいいのだけど、音楽を流してあげるね。今日はもう休むから、晴れて元気になったらまた

          雨と言葉の行方

          脳科学にはまったり物語にはまったりしたり

          今日も頭が痛い。頭痛のようなずきずきするような直接的な痛みではなく、なんていうのだろう、狭い部屋に閉じ込められているような、足を縛り付けられているような、とても窮屈なのにどこにも行けない感じ。具体的に言い換えるとエナジードリンクが切れたあと、アドレナリンがぐわっと出たあとの気だるくなる感じ。一気に陳腐になった気がする。多分これをさらに、脳科学的に脳内物質があーだこーだなってこの現象は引き起こされてる、っていってしまえばとてもわかりやすいのだろう。うーんおもしろくない。 一時

          脳科学にはまったり物語にはまったりしたり

          うつと笑顔とギャップ

          今日も就労移行施設に行ってきた。就労移行施設も施設によってやっていることが全然違うらしいが、私のところは就職や心についてのカリキュラムを聞いたり、グループワークで自分の意見を言ったり、みんなの意見を聞いたり。グループワークといっても文字ほどに堅苦しものではない。和気藹々というほど馴れ馴れしくはないが、賛成はしても否定はしない程よい距離感でちょっと日常では踏み込まない深い話題を話し合う。いろんな人がいるからみんながみんな興味を持ってるわけじゃないけど、そういう話が好きな私として

          うつと笑顔とギャップ

          抜け落ちるうつの記憶

          今日は精神科の日だった。カウンセリングに診察で前回の診療からそれほど変動なく過ごしてますと伝えておわり。今日のメインは障害者年金の申請のための診断書の依頼だった。それなりに大きい病院なので作成にあたってのヒアリングは診察の先生ではなく、相談室という部署?の方とやり取りした。 働いてますか、食事は自分で作ってますか、外に出られてますか、部屋の掃除は自分でしてますか、毎日お風呂入ってますか? そんな感じの質問に私は、はいはいはいできますできますできます、と。そして思った。あれ

          抜け落ちるうつの記憶

          昨日のネット友達が消えた話の続き

          えー昨日のネッ友にぶっちされたお話ですが忘れてください。何事も無かったようにあっけらかんと帰ってきました。はい。 相手の気持ちを勝手に想像してわかったような気でいるな!と戒めとして常々思っているのですが、やってしまった。いやだって、連絡手段がないんだもの、聞きたくても想像するしかないじゃん。それがネットの希薄な関係性の気軽なところであり、そこに安心を感じてるからこそ、無礼に他人に深入りしてしまう私のような人間が長続きできるような人間関係を続けられているのだが。 でも、本

          昨日のネット友達が消えた話の続き

          ネットの友達との別れ

          今日はとてもショックなことがあった。いちばん仲良いと思ってた友達がアカウントを消して音信不通になってしまった。ネットの友達なので実質絶交。通話したり、友達に会いに東京に遊びに行ったり、どうでもいいことをやり取りして楽しくやってたつもりなんだけどな。おとといも遊んだんだけどね。突然過ぎて思ったより心にきてて処理しきれてない。喧嘩のひとつぐらいあったら納得できるんだけど、無言だから余計ね。 まぁ人に冷める時って一瞬だよな。よく分かる。自分がいつもやってきた事だから。なんとなく窮

          ネットの友達との別れ

          考えなんてまとめなくてもいい

          やっぱり、考えをまとめるのは自分には向いていないらしい。 今日もよし書こうと、スマホのメモや鞄にいつも入れて持ち歩いているバインダーに挟んだコピー用紙に目を通す。すると、そういえばこんなこと考えてたなーとか、それいい発想だなとか、そうだこれについて書きたかったんだとか、気持ちが湧いてくる。湧いてくるのだが、いざ書こうと思うと手が止まる。書き始めても一行目を終える前になんか違うなとなりバックスペースに指をおく。話題には困らないのにどうして書けないのだろう。私は不思議でたまらな

          考えなんてまとめなくてもいい

          1週間ほど書いてみて

          1週間ほど書き続けたので、ここいらで立ち止まって自分の記事を読み返してみた。 読んでいてまず思ったのは、案外読みやすい文章を書いてるなと。大した推考もせず頭に浮かんだことをつらつらキーボードを叩いてる割には言葉がスっと入ってくる。自分の考えを入力してるから当然なのだろうか。でも嘘を書いていたら読んだ時点の心にひっかかる気がする。だから、きっと本心をかけているのだろう。少しほっとした。 随分と昔なことだが、小学生の頃や中学生の頃は作文というのが嫌いだった。綺麗な文章を書かな

          1週間ほど書いてみて