愛しかない時 Quand On N'a Que L'amour(1956年)

詞:Jacques BREL
曲:Jacques BREL
訳:クミコ
(法定訳詞は、岩谷時子、加藤登紀子)

曲目解説
<ベスト・オブ・ジャック・ブレルCDライナー解説=大野修平氏>
「1956年.同年5月(Wikipediaでは9月と記載)にレコ-ディングされたこの曲は翌年、優れたレコードを対象に与えられるアカデミー・シャルル・クロのグランプリを獲得した。
初めは男女間の愛を歌っているのだが、終盤にはより大きな人間愛hhえと変わってゆく。
「だから 何もいらない
 愛する力さえあれば
 僕らは世界中に
 友情の輪を広げるだろう」
争いの絶えない現実の世界ではあるけれど、この力強いメッセージはいつまでも人々の心を打つことだろう。」

Alors sans avoir rien
Que la force d’aimer
Nous aurons dans nos mains,
Amis le monde entire

この最後のフレーズだが、永瀧達治さんは違うニュアンスで受け止めている。

<LP「大いなる遺産」ライナー解説=永瀧達治氏>
「彼の名を一躍有名にした曲で、 カトリック系進歩派の若者たちから、大きな支持を受けた。 「大砲に向かって話すには、愛しかない時、太鼓に打ち勝つに、歌しかない時」の節を取
り上げ、同年(1956) 10月に起ったハンガリ一へのソ連軍侵入に対する抗議であると評価されたが、ブレルにとっては、夢見心地の抗議よりも、愛しか信じられないことによる絶望の予感が強い。希望を歌っている筈の最後の一節が虚しく響く。」

<世界の名曲とレコード・シャンソン=永田文夫著>
「あくまでも自己に忠実に、 常に死を見つめながら愛と人生をうたった偉大なシャンソン歌手兼作詞・作曲家ジャック・ブレルの出世作。1956年、ハンガリーにソ連軍が侵攻した時に作られ,若者たちから圧倒的な支持を受けた。作詞・作曲はもちろんジャック・ブレル。彼はこの曲を含む LP
盤によって1957年の ACC ディスク大賞を受賞し,名声を確立した。」

この解説は、楽曲制作時期が、ハンガリー侵攻より後なので間違っている。
永田文夫先生の解説はすべて、フランスのレコード会社からの紹介を訳したものだそうなので、永田先生への情報自体が間違っていたということ。
永田先生にいろいろ質問した際、「僕の本が間違っていた?」と仰ることがあった。先生が曲目紹介した時期には、間違った情報が提供されていたことも多かったようだ。

それから録音されたのは1956年の5月か9月か、いずれなのか?という点については「フランス専門」さんのブログに詳しく解説されている。
正しくは1956年9月18日ということになる。
ジャック・ブレル「quand on n'a que l'amour」 | フランス専門さん(daniel-b)のなんでもブログ (ameblo.jp)


フランスでは1939年に始まった第二次世界大戦から1946年に勃発したインドシナ戦争、1954年11月1日から1962年7月まで続くアルジェリア戦争と絶え間なく戦争が続いていた。そして1956年9月18日に録音されたこの曲が発売された同時期の10月23日にはハンガリー動乱が起こる。そのため、反戦歌として、そして軍事侵攻したソ連軍への抗議の歌として盛んに歌われた作品なのだ。
2015年11月13日パリ同時多発テロの犠牲者への鎮魂歌としても歌われました。

愛しかない時 Quand On N'a Que L'amour(1956年9月18日録音) (youtube.com)

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