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「都会の朝」  小室等

「朝」を題材にした歌を並べてみる。そこには様々な情景を映し出す物語がある。
夜明け直前の薄暗くてノスタルジックな雰囲気や爽やかな朝陽、二日酔いのような気だるさを綴った歌もある。また、夕暮れに感じる寂寥感を携えた朝の歌も存在する。
 ペドロ&カプリシャスのデビュー曲でも有名な「別れの朝」は、元々オーストリアのウド・ユルゲンスの作品。原作と詞の内容は異なるが、訳詞のなかにし礼は寂寥感満載の世界を作り上げ、前野曜子のウィットなヴォーカルも相まってデビュー曲ながら大ヒットした。
「朝」の歌が全て爽やかなわけではなく、区切りという観点で捉えている歌詞も面白い。
シェークスピアの『マクベス』に出てくる、「明けない夜はない」という言葉。
 原文は、”The night is long that never finds the day.”で、直訳すると、「夜明けが来ない夜は長い」となる。このことは、絶望している人を慰めるために、いきなり励ますより同調してあげる方が精神的には適していると、昔、心理学の授業で聞いたことがある。
しかし、マクベスの別の邦訳には「朝が来なければ、夜は永遠に続くからな」というのもあるそうで、再起を立てることを促す意味もあるのだそうだ。
 ドリカムの「朝がまた来る」は、願いが届かなくてもきっと朝は来るから、歩き続けようというメッセージが込められた応援歌のような歌だが、マクベスの言葉からヒントを得た作品にも思える。
しかし、シェークスピアではないが、心情を表現している歌。そして、その歌を聴く状況においてもその歌の趣きは変わってくるもので、悲劇を見て悲しいと思えるのは、自分が悲劇の渦中にいない時であり、本当に悲しい時は、悲劇の自分が喜劇に映るかもしれないのだ。
 失恋した時には、失恋ソングを聴きたくなる人が多いと聞くが、絶望した時だからこそ絶望の言葉の意味を真摯に感じ、心に一層沁み入る、ということなのかもしれない。もしくは、こんな生易しいものではないと鼻で笑うかもしれない。
 朝の歌を思いながらダラダラと書いてしまったが、私の好きな朝の歌を思い起こすと何故か小室等の歌がポンポンと頭に浮かんだ。
 小室等は頻繁に詩人の谷川俊太郎の作品に曲を付けている。
「おはようの朝」は、ゆうべ見た夢に翻弄されながらも、必ず“おはようの朝がやってくる”と締める。朝は夢の世界との別れであり、区切りとしている。
1970年代の青春ドラマでも有名だった「俺たちの朝」のテーマソングのサビ。
“答えを知らぬ君に できるのはただ
開けていく青空に 問いかけること”
というフレーズの前の詩は、夢や愛を求めて彷徨い、悩める人たちに向けて朝は優しく迎え、その想いを吐露する瞬間だという。朝陽はすべてを包み込むのだ。
 そして、私の好きな歌に「都会の朝」という歌がある。作詞は白石ありす。この歌は小室等には珍しくアップテンポの歌で、よくコンサートのオープニング曲にも使われていた。

“厚いガラスの向こうに 河のように流れる高速道路
音を刻まない街の彼方に 今日がただ急ぐよ
心のままに愛して 心のままに振舞う
悲しみなんか忘れたように 都会の朝は息づく”
1番の情景描写は、心情とはあまり関係なくありふれた日常のスピードが醸し出されている。そして2番の歌詞では、

“さびしいからこそ ほほ笑み 始発のバスに揺られてみれば
やがてざわめきとかわる街に やさしい人々がよみがえる
心のままに愛して 心のままに振舞う
悲しみなんか忘れたように 都会の朝は息づく”

と、1番より深く心情が描かれている。「さびしいからこそ、ほほ笑み」という詩的表現などは次のセンテンスにある「ざわめき」との対比で都会の喧騒を上手く表現している。

“赤錆びた橋の上をふたり 今日も別れる人がいる
鳥はいつかまた飛んでくるよ この空を見直した時に
心のままに愛して 心のままに振舞う
悲しみなんか忘れたように 都会の朝は息づく”

3番の「この空を見直した時に」は様々な思いが込められていると思う。別れる2人の心情なのか、それとも公害やスモッグだらけの都会の空を憂えた表現なのか(1974年当時の東京の空は光化学スモッグで灰色の空だった)。
「都会の朝」は初めて聞いた高校生の頃からずっと好きな歌。
 高校2年の頃、TBSラジオの公開生放送を見に行った時、ちょっとしたハプニングで拓郎に促され、TBSホールの舞台で500人のほどの観客の前で私はこの曲を歌い、ラジオで全国に流れたことがある。小室さんの歌を歌う珍しい高校生として拓郎に笑われたが、その時に小室さんのマーチンを弾かせてもらい、小室さんは私の歌にコーラスまで付けてくれた。
 拓郎は最後まで大笑いしてたけど。妙な思い出となった歌なのだ。

 最近は夜明けが遅くなってきたが、乾いた空気の中、だんだんと空の色が赤く染まり始めると、何故か今でも口ずさむのは「都会の朝」。僕の朝の歌の定義は「都会の朝」のような<スタートの歌>なのかもしれない。

2020/11/20
花形


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