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渡辺香津美 スパイス・オブ・ライフLIVE


 ギタリストの渡辺香津美が本年度予定していたすべてのアーティスト活動を中止することが発表された。検査の結果、意識障害を伴う脳幹出血と診断されたため、当面治療に専念するとしている。
まだ若いのに。
あの華麗な指使いで難解なフレーズを弾きこなす姿の復活を祈りつつ、昔のコンサートレポ。
2024年3月


 私は高中正義をあまりギタリストとしては見ていない。どちらかというと作曲家という括りか。それは、高中の作るわかりやすいメロディラインや曲の雰囲気がキャッチーで非常にカジュアルに聴こえるからなのではと自分では理解している。楽曲重視も去ることながらラテンチックではあるがアンサンブルの幅も広く、聴いていて楽しくなる。
 その点、1970年代中頃のフュージョンブームで数多くのギタリストが排出されたが、テクニック重視で目にも止まらぬ速さのフィンガリングを披露した和田アキラを初めて見た時の驚きは忘れることができない。私は当時あまりにも驚いてしまい、どのようにして弾いているのかを確かめにわざわざ「プリズム」としての和田アキラを外し、ピアニストの深町純との「DUO」を六本木PITINNに観に行ったことがある。
 和田アキラは先ほどの高中正義と比べると(そんなの比べてはいけないね・・・)、まさにギタリスト。ギターでしか表現できないもの全てをフィンガリングでカバーしていた。そして、深町純とのバトルはあたかも「巌流島の決闘」の様相で、ピアノとエレキギターの音の応酬が激しく、お互いプレイに没頭してしまうと目も合わせず、一心不乱にプレイしていた。狭いPITINNの薄暗い中に音の閃光が飛び交っていたのだ。
そんな2人、今はもういない。天国で2人はまだ音のバトルを続けているのだろうか・・・。

 1980年代半ば、六本木PITINNに入り浸っていた頃、面白いバトルがあるというニュースを知った。
新宿PITINNや六本木PITINNでレギュラーのように出演していた「渡辺香津美」である。
渡辺香津美というギタリストはもちろん当時から日本のトップギタリストで、私が聴くようになった頃は『KYLYN』(1979)や『TO CHI KA』(1980)といったヒットアルバム、同時期にYMOのワールドツアーの参加など話題に事欠かなかった。そして、様々な海外ミュージシャンとの共演を経て、あのマイルス・デイビスからもバンドメンバーに誘われた経験のあるギタリストであった。
但し、私は当時の渡辺香津美にあまり興味が湧かなかった。私は今でもテクニック重視のギタリストよりも歌心を引き出す演奏家を好む嗜好であるので(歌のバッキングができるギタリストばかり聴いていたからか)、ギタリストの中でも無意識に分けてしまったのかもしれない。乱暴に言うと「上手いのはわかるんだけど、フレーズが心に残らない」という結論。
 家内も学生時代に友人に誘われて六本木PITINNに「渡辺香津美BAND」を観に行ったことがあったが、ずっと村上秀一のドラムと坂本龍一のピアノばかり見ていて渡辺香津美の印象は全くなかったと言っていた。アンサンブルを聴きたいという欲求があり、ギターもその一部に過ぎないという事なのだろう。
しかし、渡辺香津美を一度はちゃんと見てみたいと思っていたので、その機会を探していた頃の話。
おっ、これは!と思い、行ってみるかと足を運んだ中野サンプラザホール。
「スパイス・オブ・ライフ」と称されたライブ。1987年の事だ。

 客電が消え暗転。PRSのギターを抱えた背の低い男が舞台に現れた。
初めて生で見る渡辺香津美。
全てにおいて小さい。ギターがでかいのか?などと思いながら、その姿を凝視した。すると絶対フォークギターでは押さえない指使いから発する意味不明のアルペジオやソロ。
“口で言えないフレーズは弾けないんだよ”と心の中でツッコミながらも出てくる音たちに圧倒された。
そこにアロハシャツを着たカジュアルな髭のオヤジのベース音が重なる。ジェフ・バーリンだ。バークレイの優等生で、ラッシュのゲディ・リーがジョン・ウェントウィッスルと並んで尊敬するベーシストという記事を読んだことがあったが、ローディーみたいな恰好で登場したジェフ・バーリンに驚いてしまい、音が中々入ってこなかった(笑)。
ドラムはビル・ブルーフォード。超有名。イエス、ジェネシス、ブルーフォード・・・。
何の先入観も無く、面子だけ見てチケットを購入したから、出てくる音が新鮮で、最初はこの3人で何するんだ?という感じで始まったコンサートだったが、曲を経るに連れトライアングルの中に引き込まれていった。
但し、リハ不足なのか、ビルのドラミングがたまにつまづくことがあり、首を傾げる瞬間も多々あったが、それをカバーする渡辺香津美の音を紡ぐ妙技は、目を見張るものであった。

また、ジェフ・バーリンのベースは変幻自在で、曲をしっかり支えながらも同時にフレーズ間のオブリというレベルではなく、渡辺香津美のフレーズに呼応したフレーズを奏でる。まさにその瞬間で作曲をしているのではないかという緻密さであり、ジャコパスが認めたベーシストというのも頷けた。
 コンサート全体の印象としては、「テクニックの応酬」という音楽記事も当時見受けられたが、超高速のビートが溢れた後に、フッと涙を流すようなバラードがあったりと、全体を通してなにかの物語を聴かされているのではないか・・・その世界観に浸るとても心地よい時間。私にはそんな感動的な印象の方が強かった。
 ジャズやフュージョンなどはテクニックに偏る傾向があるジャンルだが、それを超越したところに見える頂きだけが感動という波を掴むことができるのだ。
 渡辺香津美はあれ以来そんなに聴いていないが、いまだにこの「スパイス・オブ・ライフ」だけはとても印象に残っている。
やはり歌もののバッキングギターの方が私の性に合う・・・ってことで。

ついでの話。
ジャズメンが歌のバッキングをした失敗例。
1994年12月31日NHK紅白歌合戦の一コマ。

 拓郎が昔ラジオで語っていた・・・
それまでも幾度となく出演交渉を受けていた吉田拓郎だったが、NHKの担当者から「もし出るとしたら、何か企画的にやりたいことはありますか?」という打診をされた。
 拓郎は基本的に出演したくないので、出来るだけ不可能な企画を口にした。
「どうせなら、一度も一緒にやったことのないジャズプレイヤーの方とか・・・」
担当者は拓郎を出演させるために奔走した。
後日NHKの担当者は「集めましたから、お願いします」と言う。
集められたバンドメンバーは
トランペット:日野皓正、ピアノ:大西順子、コントラバス:金沢英明、ドラム:日野元彦、ギター:渡辺香津美である。それにアコースティックギター:石川鷹彦、ベース:吉田健、オルガン:宮川泰というビックネーム。
こんなバンド、普段でも聴くことができない面子である。
もう、後には引けなくなった拓郎だった。楽曲は「外は白い雪の夜」。
 そして本番前のたった一度のリハーサル。
ジャズメンはこの歌を知らず、楽譜を見ながらのリハが開始されたが、拓郎はひっくり返ったという。
ジャズはテーマと呼ばれるメロディがあり、そのテーマを演奏する間に各自のアドリブを行なうことが多いが、今回は拓郎の歌う部分がテーマと化し、歌の合間に日野皓正のトランペットや渡辺香津美の容赦ないオブリ(カウンターメロディ)の応酬となった。
しかし、拓郎としては
“今の日野さんのフレーズ、音合ってる?なんか外れてない?”
“今の音、俺の歌う音にぶつかるんだよなぁ”
なんて具合。
ジャズの理論も理解していない者からすると、しっくりこないのだ。
だから、拓郎は原曲を忠実に弾く石川鷹彦と吉田健の2人の音だけが頼りだったそうだ。
いざ、本番(12月31日)。
 ワインレッドのジャケットに身を包み、居心地悪そうに拓郎はNHKホールで歌っていた。
そんな拓郎にお構いなしのジャズメン。
ポップスとジャズの融合は、面白いが、一夜漬け感が目立った。それぞれのソロの部分では伸びやかに演奏しているが、歌に入るとギクシャク。特に3コーラス~4コーラス目に向かって自由奔放に暴れはじめるジャズメン。
しかし、拓郎はしっかり舞台をまとめようと努力したところにNHKの勝手な演出が入ったという。
 いきなり最後のコーラスリフレインに白組応援として五木ひろし、森進一、前川清が乱入したのだ。当日、NHKのディレクターの余計な差しがね。
これには拓郎は心の中で「あーあー」と幻滅したそうだ。映像を見るからに、しらけている。歌い終わった後、ぴょんぴょん跳ねて“もう終わり!早く帰りたい”と思ったそうだ。
そりゃそうだ。「Bye Bye Love」という英語フレーズが演歌のこぶしになるんだから・・・。
ジャズと演歌にやられた拓郎の紅白。
気になる人はYOUTUBEで。

2021/4/27
花形

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