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ラジオデビュー

 その日は、朝からわくわくしていた。友達との約束の時間に30分も前に着いてしまった。僕の手に握られた往復はがきに「2名様まで入場できます」とあり「全席自由」と連なって書かれていた。
場所は今は無きTBSホール。500人位で満杯になってしまう中ホールだ。
入場時間より2時間も前にホールに着いたが、すでに100人位並んでいた。僕が最後列にチョコンと並ぶと、30分もしないうちに列はどんどん伸びていった。
そうこうしているうちに、友達のH君がやってきた。
「すごいねぇ。前の方の人は酒を飲みながらギター弾いて歌っているよ。」
吉田拓郎のコンサートではよく見る光景だが、あの雰囲気がまた一層気分を高めてくれる。
僕たちは、吉田拓郎と小室等がパーソナリティーを勤めるTBSラジオの「サタデーナイトカーニバル」の公開生放送に来ていた。高校2年の秋のことだ。

 開場とともにホールに人がなだれ込んだ。僕たちはホールの丁度中央の席が取れた。舞台にはテーブルにマイクがしつらえてあり、ラジオスタジオのセットが組まれていた。机をはさんで2人が座り、マイクに向かってしゃべるのだろう。上手にはキューサインを送るディレクターの席も用意されていた。
 時間が近づく。オンエアー10分前に2人が登場。ヤンヤ、ヤンヤの大声援。オヤジ(拓郎35歳小室さん38歳)2人のしゃべりを見に、会場は満杯に膨れ上がっていた。会場内にラジオのオンエアー状況が流され、ラジオCMがこだましていた。ちょっと不思議な感覚だ。
 放送開始時間とともにテーマソングが流れ、拓郎と小室さんの軽快なトークが始まった。家にいて独りでラジオを聴いているときより、当然テンションも高くなっているので、ちょっとしたことでも笑っていた。
放送開始から30分位たった頃、拓郎がおもむろに、はがきを読み出した。
「・・・公開生放送に当選させて頂きましてありがとうございます。今僕はTBSホールの中におります。名前を呼んでいただければ返事をします。・・・花形!」
「はーい!」と僕。
会場内大爆笑。
「お前、中にいるって、本当にまん真ん中いるな・・」
「はぁ」(緊張して声が出ない)
小室さんがすかさず「有名希望って書いてあるよ・・・君!有名になりたいのか!」
「はい」(緊張して声が裏返る)
「そうか、じゃあちょっとインタビューしてこよう・・・」といいつつ席を立ち、でかいマイクをもって客席に乗り込んできた。
僕も友達のH君も舞い上がってしまった。
数分に及ぶインタビューの後、
「君は何か得意な事はあるのか?何か得意なものが無いと有名になれないよ。」と小室さん。
「いや~・・・・ギターかな・・・」
「ほう!ギターで有名になる自信があるのだな!」
「いや、あの・・・」
小室さんはきびすを返し舞台へ戻っていく。
「きっと無理だと思うよ。僕たちの頃は、ギターが弾ければ何とか有名になれたけど、今は結構厳しいからね・・・、あとで時間があったらギター弾かしてあげるよ・・・。」

 僕とH君は放心状態になっていた。
拓郎と小室さんのミニライヴがあったが、その後の内容はあまり憶えていない。ゲストが三原順子だったかなぁ。
 番組のエンディングでは、その日にはがきを読まれたリスナーを再度紹介し、新譜アルバムを贈ることが慣例となっていた。この日のプレゼントはオフコースの『ベストセレクション』だった。
拓郎が次から次へとはがきを紹介していき早々と読み終えてしまった。すると小室さんが、
「えっ!もう(君の読む分)終わったの・・・俺、まだいっぱいあるよ。えーと、横浜市、花形裕・・・」
「はい!」(僕)。会場大爆笑。
小室さん「おー、すっかり君の事は忘れていたよ・・・」
拓郎「早く、花形にギター弾かせるか!」と言って僕に手招きをする。
僕は「しまった!」と思ったが、舞台に上がるしかなかった。だって拓郎に「来い!」って言われたら断れない。その場所は、さっきまで拓郎や小室さんのミニライヴが行われていた場所だ。拓郎がいすを用意してくれ、ピックを渡してくれた。ギターは小室さんが弾いていたマーチンのD19である。非常に珍しいギターだ(僕のマーチン初体験)。
 僕はマイクの位置を拓郎にセッティングされながら、何をやるか、まだ決めかねていた。会場からは無責任な野次が飛ぶ。「人間なんてやれ~!」「落陽!」など怒号が飛び交う。高校2年の僕のハートは口から出そうになっていた。そして、勝手に手が動き始めていた。
力強いストロークに小室さんは「オッ!」と声を上げていた。
「あついーガラスの向こうに光る、白い河のような高速道路・・・」
一瞬みんな何の歌だかわからない顔をしている。しかし、そのうち笑い声が広がってきた。一番最初に笑ったのは拓郎だった。

 僕は小室さんの歌をモノマネしながら歌っていた。「都会の朝」という小室さんには珍しいアップテンポの歌だ。手拍子が広がり、サビの部分では小室さんがハモってくれた。ワンコーラスを歌いきったところで拓郎が拍手で「すげぇ、すげぇ・・・小室さんから影響受けてるの?」と割り込んできた。
「ええ、まぁ。」
「よく観ると顔も似てるよ!」と拓郎。当時僕は銀ブチの眼鏡をかけていた!
「君はひょっとしたら、有名になれるかもしれない!」小室さんが笑いながら話しかけてきた。

 番組のエンディングまで僕は舞台に残され、満杯の会場に手を振っていた。
番組が終わり、客席に戻るとき、小室さんが話しかけてきた。
「君はもう帰っちゃう?よかったら簡単だけど打ち上げに行くかい。」優しい声をかけてくれた。

 僕とH君は2人でTBSホールの会議室で行われた打ち上げに参加していた。
もちろん高校生なので、最初はジュースをもらっていたが、いつの間にか・・・。
「今まで小室さんのモノマネをしたやつはいなかった」とか、「もう一回歌え」とか、「何で高校生が小室さんや俺(拓郎)を聞くの?」とか「流行の音楽に興味は無いの?」などいろいろ根掘り葉掘り聞かれた。
小室さんは酒が入ると目が据わってきて、「戦争はなぜ起こると思う?」という名言も聞くことが出来た。
2時間ほどで宴は終わり、終電で帰った。拓郎や小室さんは六本木に場所を移して行った。
家に帰るとお袋が開口一番に「あなた、何してきたの?」
「えっ?ラジオの公開生放送を見てきたよ。」
「さっきまで友達から電話がいっぱいかかってきてたわよ!」と困惑そうな顔をするお袋。
「あ~。ラジオに出ちゃったからかな・・・。さっきまで拓郎とか小室等と飲んでたんだよ。」
「何、馬鹿なこと言ってんの・・・。早く寝なさい。」

 週が明けて学校に行くとヒーローになっていた・・・なっていたらカッコイイんだが、何故かみんなに笑われた。度胸あるなぁ、と言われたが、今思うとあのときの演奏は火事場の馬鹿力というやつだったかもしれない。
 翌週の放送でも僕のことは話題に上った。リスナーからの葉書で、僕の歌い方の感想とか・・・。小室さんもよっぽど嬉しかったのか、僕の名前を何度もラジオで言ってくれた。小室さんのモノマネをした人なんていなかったのではないか。

 拓郎は、当時、僕の家の近所に住んでいた。たまに自転車で行くと当時の奥様である浅田美代子さんに何回か遭遇したことがある。黄色いワーゲンを危なっかしそうな運転で、せわしなく走らせる。
僕は近所に住んでいたS君とラジオ公開生放送に行ったH君と一緒に、当時出たばっかりの『アジアの片隅で』(1980)というLPを持って拓郎の家のチャイムを鳴らした。3回目でジャージ姿の拓郎が出てきた。
「おっ!小室さん!」
LPにサインをもらった。
変な思い出である。

2005年2月21日(月)
花形

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