見出し画像

北朝鮮 フィリピンの残留日本人

北朝鮮軍事パレード 2023年7月/North Korea's military parade

漁に出たまま行方不明…北朝鮮に引き裂かれた母と子32年の記録|ABEMAドキュメンタリー

13歳の時、漁に出たまま行方不明となり、北朝鮮で生存している事が判明した寺越武志さん。 母・友枝さんはこれまで66回訪朝して息子の生活を記録し続けた。 はたしてそれは拉致だったのか?現地で家庭を作り、朝鮮人「金英浩」として生きる息子との“最後の面会”で、88歳となった母の心をよぎる思いとは? 数奇な運命によって引き裂かれた母子の32年に渡る記録。


<秘密撮影>北朝鮮でひっそり暮らす日本人妻

北朝鮮には在日朝鮮人の帰還事業で共に渡航した日本人配偶者が暮らしている。 2014年5月29日、「北朝鮮に在留する全ての日本人に関する調査を実施する」ことで日朝両政府は合意した。日本人妻(配偶者)とその子供たちも、もちろん調査対象である。しかし、日本の家族と音信不通、行方知れずになった人が多い。 日本人妻は北朝鮮で、いったいどんな生を送ってきたのか。2010年6月、アジアプレスの北朝鮮内部の記者、キム・ドンチョルは、ある日本人妻のもとを訪れた。 香川県出身だという81歳の日本人のおばあさん。暗い部屋は敷物が剥がれコンクリートむき出し。「水も出ない、配給もない」と言う。相当に困窮しているようだ。 キムのカメラが捉えた平安南道の陋屋にひっそり暮す日本人妻の姿を報告する。(石丸次郎) ※1959年に始まった在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業で、9万3000人あまりが北朝鮮に渡ったが、うち7000人弱が日本国籍者だった。その多くは朝 鮮人の夫について北朝鮮に渡った日本人妻及びその子供たちだ。北朝鮮に渡った日本人妻(配偶者)は統計上はおよそ1800人とされるが、渡航前に日本国籍 を離脱した人が相当数いたため、その実数はずっと多いと思われる。

https://youtu.be/Y7hudc63ktE?si=VnWJCq_ujqBpw_ZB


「私たちは日本人なんです」

フィリピンに暮らす“無国籍”の残留日本人2世たち~厳しい戦禍、戦後の実態と国籍回復への道のり~【テレメンタリー2023】フィリピンには戦前、多くの日本人が移り住み、麻の栽培などに携わっていた。 最盛期には3万人の日本人移民が。現地のフィリピン人女性と結婚し、家族を作る人も多く、各地域でコミュニティーを形成していた。  しかし、日米の開戦とともに、現地で暮らしていた邦人は日本軍への戦争協力を強いられる。寺岡カルロス(92)さんは母と弟、妹を米軍の攻撃で亡くし、長兄は日本軍にスパイ容疑をかけられ銃殺、次兄はフィリピンゲリラに殺された。 アメリカ、日本、フィリピン、3か国に家族を殺されたのだ。 戦後、残留日本人2世はさらなる苦難が続く。激しい反日感情が続く中、身を潜めて暮らすばかりか、当時のフィリピンは父親の国籍に属すると定められていたため「無国籍」として生きることになってしまった。 長きにわたり知られることがなかった実態だったが、高齢となった2世たちが「日本国籍の回復」を求め、声を上げだした。 ところが戦火で書類が消失しているなど、親子関係などの「証拠」を揃えるのは困難な状況が続く。 そういった中、姉と2人、小さな離島で日本国籍の回復を待ち続けるモリネさん姉妹に進展が。 父親が沖縄からフィリピンに渡航した記録が見つかった。親類や知人にたどりつき証言を得られれば、日本の裁判所に国籍取得を申請する上での大きな証拠のひとつになる。番組は沖縄へ。 そこで大きな発見と進展があった!

https://youtu.be/3fzX4_Q029E?si=NRD-hH18SceoWFDT


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?