閼伽

閼伽(あか)水の考察1


【 東大寺二月堂のお水取りに使われる若狭井を汲む閼伽井の水屋。結界のしめ縄と榊が閼伽井を守る 】

 閼伽の語源はサンスクリット語(梵語)arqhaに由来し、貴重な、神聖なという意味合いと仏に捧げる水を入れる入れ物とされている。閼伽水とはこの閼伽から出る水のことで、仏に供える水「功徳水」のことだという。仏に清い、神聖な水を捧げ供することは日常的な行為なので、恐らく仏教伝来と同時に伝わってきた言葉だろうと思う。

 閼伽は仏教関係者以外には難解な用語で、意味が理解されないことが多い言葉だ。では、大衆はどのように理解したのかを推測した。  閼伽は地中から「チョロチョロと湧き出す水」の井戸のことであり、閼伽から水の湧き出す形、様子が木造舟の底板や舷板から水が漏れ出す様子に良く似通っていることから、漁師を含めた大衆が「チョロチョロと湧き出す水」のことを「あか」と呼んだと推測しても、あながち大きな間違いではないと思う。あくまでも私見であり、推測の域を出ない面もあるが、珍説と嘲笑されることを恐れず、経験知をまじえて閼伽水についての一考察を記した。

 


 【 西国観音巡礼第31番札所・滋賀県近江八幡市にある長命寺の閼伽井 】

 水は人間にとって絶対的に不可欠であり、命をつなぐ最低限必要不可欠なものだ。太古から水を求めて移住してきた。水が毎日、確保できる場所に定住してきた。水を、また水が湧き出す場所を神としてあがめた。その水が出る井戸が閼伽だとすれば、それこそ神聖、貴重というほかはない。

 滋賀県近江八幡市にある西国札所の1つ長命寺は神仏習合が色濃く残る古寺の一つ。琵琶湖の東岸にあり琵琶湖水運の拠点の一つで、寺のある長命寺山はかつて周囲が干拓される以前は島だった。寺域のあちこちに巨岩があり、巨石信仰から神仏習合に発展したとみられている。本堂の近くに古い形の閼伽堂の中に井戸がある。井戸をのぞき見ても水は見えない。古井戸だが文化財の指定はない。山の上の方にある寺なので、周辺の森に水が蓄えられている。湧き水が豊富に出るというわけにはいかず、森の蓄えられた水がチョロチョロと地中から水が浸みだしていた井戸と思われる。

 京都市東山区にある皇室ゆかりの御寺・泉湧寺にも閼伽井がある。月の輪山のふもとにあり、門を入って境内は下に降りたところに伽藍がある。寺域の中に水屋形があり、閼伽井は屋形に覆われている。屋形は京都市の有形文化財に指定されているが、古井戸そのものの指定はない。閼伽は土中を掘って水が土中から浸み出ていた。中をのぞき見ると、浸みだした水が幾らかたまっていた。

 【 東寺・波切不動の閼伽井】

東寺の別当職だった阿刀家の屋敷跡だったという場所にある波切不動の岩屋は、不動尊を祀る洞穴の下に閼伽井がある。1960年代初めの東海道新幹線建設前までは、地下から豊富な水が湧き出ていたとう。今は新鮮な水のようで、水が枯れることはないが、水があふれ出ることもない。

東寺近くにある南区八条の六孫王神社の誕生水は京都の古くからの名水に一つ。やはり新幹線建設で井戸水が枯れたが、2021年には復活した。同神社の近くにある児(正しくは睨の目編のない漢字)水)ちごすい)不動明王堂も波切不動を同じ造り。新幹線のすぐそばにあり、やはり新幹線建設以前は水が豊富に湧き出ていたという。井戸水をくみ上げる古い手押しポンプの跡が残っている。

吉水弁財天の井戸



東山の円山公園の上にある吉水弁財天の井戸(現在使われていない)「吉水の井」も閼伽井と呼ばれる。大津市の三井寺(園城寺)にも閼伽井がある。神護寺の閼伽は立て穴ではなく、崖を横に掘りぬいてあった。いずれも水はわずかにしみ出る程度しか出ない。

伏見・長建寺の井戸


 【 伏見・長建寺の閼伽水 。酒造りの水と同じという 】

 伏見にある長建寺の湧水も閼伽井としている。湧出量が豊富でどこまで掘ってあるか不明。京都大原野にある大原野神社の閼伽井は掘った浅井戸。長建寺と同じようにこんこんと湧き出ていた。まるで泉のようだった。水が枯れることはないという。

閼伽水は仏に捧げる水なので、神社の場合は当然、閼伽水とは言わない。地中から水が浸みだし湧き出す仕組み、形態は同じでも、御神水という。明治時代以前の神仏習合時代は社寺で湧き出す水はおしなべて閼伽水と呼んだ。
(つづく)

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