※この記事では、ほぼ全ての内容に対して誰にでも確認できるソースを用意しています
※「良い」「悪い」という話ではありません
四国で多目的ダムが作られる計画が持ち上がった際、反対したのは香川ではありません。
■分水拒否と建設費負担拒否
・ダムはいいが分水は絶対に拒否
・建設費負担は県民感情として拒否
・ダムの必要性は認める
・分水は絶対に拒否
・負担金も県民感情として拒否
反対運動により早明浦ダムの開発計画を立ち往生させたのは当時の徳島県でした。
徳島県が作成した資料にも、反対についてはっきりと書かれています。
・吉野川開発計画における徳島県の感情とその変遷
早明浦ダムの資金分担には「身替り妥当支出法に分離費用の概念を加えたもの」が採用され、各県それぞれの負担が決定されています。
「受益量により負担割合が決定される」というルールにより、徳島には「吉野川の治水に対する費用」という費用が発生していました。
水は絶対に分けたく無い、徳島単独の費用もなんとかしたい。そんな徳島県でしたが
①橋、道路、水が優先されるなら分水してもいい(政治的判断)
↓
②新産業都市の指定を受けるために安定した水の供給が必要不可欠。ダムが必要。場合によっては分水してもいい
↓
③水量確保と負担金の軽減を求める条件闘争へ
このように態度が変化します。
徳島はダムと引き換えに「橋、道、水」「水量の優遇」「負担金の軽減」等の条件闘争を、国と他3県に対して仕掛けて行った訳です。
結局のところ、早明浦ダムの水は70%以上が徳島に流れることとなり、水量確保には成功しています。しかし「絶対に分水しない」という当初の決意からすれば到底納得のできるものではなかったのかもしれません。
橋についても「建設費が高すぎる」「工期が長すぎる」事を理由に、岡山香川ルートが優先されてしまいます。
建設費負担についてはかなりの額が軽減されていますが、「治水分費用を他県にも負担させたい」という徳島の希望通りにはいかず、国と徳島で負担する事になるのでした。
「絶対に他県に渡したくない徳島県の持ち物である吉野川の水を分けているにも関わらず、徳島の希望が通らなかった」
この事は、一部の徳島県民の感情に大きなしこりとなって残ったのではないでしょうか。
上記の資料を読み解いていくと、うっすらとですが見えてくるものがありますね。