見出し画像

6月3日 モハメド・アリ命日 6月といえばもう一つ、1976年6月26日猪木さんとの「格闘技世界一決定戦」。

6月3日 モハメド・アリ命日 6月といえばもう一つ、1976年6月26日猪木さんとの「格闘技世界一決定戦」。6月はアリを思い出します。 プロレスの敵のようなイメージのアリですがWWF(現WWE)でレフェリーをしたことも。 今年、WWEの殿堂入りもしてますね! 「ザ・グレーテスト」をたたえよ!


モハメド・アリ(Muhammad Ali)は、20世紀を代表するボクサーであり、スポーツ史上最も影響力のある人物の一人です。本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay Jr.)で、1942年1月17日にアメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビルで生まれました。彼の人生とキャリアは、ボクシングの枠を超えて社会的、文化的な影響を及ぼしました。

### 1. 初期の人生とボクシングキャリアの始まり
アリは、貧しい家庭に育ち、12歳の時に自転車を盗まれたことがきっかけでボクシングを始めました。地元の警察官でボクシングコーチでもあったジョー・マーティンの指導を受け、急速に頭角を現しました。彼は1960年のローマオリンピックで金メダルを獲得し、その後プロボクサーとしてのキャリアをスタートさせました。

### 2. 世界ヘビー級チャンピオン
アリのプロボクサーとしてのキャリアは、1964年にソニー・リストンを破って世界ヘビー級チャンピオンに輝いたことで大きな転機を迎えます。この試合後、彼はイスラム教に改宗し、名前をモハメド・アリに改めました。彼の改宗と新しい名前は、アメリカ社会に大きな衝撃を与え、アリは単なるスポーツ選手を超えた存在となりました。

### 3. 政治的・社会的な活動
アリは、公民権運動や反戦運動にも積極的に参加しました。1967年には、ベトナム戦争への徴兵を宗教的信念から拒否し、このためにボクシングライセンスを剥奪され、タイトルも剥奪されました。彼は裁判で有罪判決を受けましたが、1971年に最高裁で無罪となりました。この期間中、アリは公民権運動や黒人解放運動の象徴的な存在となりました。

### 4. ボクシングへの復帰と伝説的な試合
1970年代にアリはボクシングに復帰し、数々の伝説的な試合を繰り広げました。特に有名なのは、「スリラー・イン・マニラ」と呼ばれる1975年のジョー・フレージャーとの試合や、1974年の「ランブル・イン・ザ・ジャングル」でジョージ・フォアマンを破った試合です。これらの試合は、アリの技術と精神力、そして戦術的な頭脳を示すものでした。

### 5. 晩年と遺産
アリは1981年に引退しましたが、その後もパーキンソン病と闘いながら社会活動を続けました。彼は人権活動や慈善活動に尽力し、その影響力はスポーツ界を超えて広がりました。2016年6月3日に74歳で亡くなりましたが、彼の遺産は今なお多くの人々に影響を与え続けています。

### 6. モハメド・アリの影響
アリの影響力は、単なるスポーツ選手にとどまりません。彼は人種差別や社会的不公正に対する闘いの象徴として、多くの人々に希望と勇気を与えました。彼の自己表現の自由や信念を貫く姿勢は、後の世代のアスリートや活動家に多大な影響を与えました。

### まとめ
モハメド・アリは、卓越したボクシング技術とカリスマ性、そして社会的な意識を持った人物でした。彼の人生は、スポーツの枠を超えた社会的・文化的なインパクトを持ち続けています。アリの勇気と決断、そして不屈の精神は、今なお多くの人々にインスピレーションを与え続けています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?