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花粉と歴史ロマン その16 海を越えた花粉と胞子

1 マオウと相馬先生

マオウ属(Ephedra)はマオウ科、唯一の1属で、ウェルウィッチア科とともに世界の乾燥域のオーストラリアを除くほぼ全域に分布する。雌雄異株であ るが、まれに同株もある。生薬の麻黄は、主として中国北部とモンゴルに野生 するシナマオウ(Ephedra sinica Stapf)とされている(津山尚:世界の植物 103 1977)。

津山尚:世界の植物 103 1977

 マオウの属名(Ephedra)は、「ギリシア語からきた女性名詞で、 epi(上)+ hedra(座)で石の上に生じるためという」(牧野植物図鑑 学名解説)。
なお、頭痛薬の「エフェドリン」は、生薬“麻黄”の成分であり、葛根湯に含まれているという記事がありました。(参考:証クリニック 「暮らしと漢方」https://www.akashi-clinic.cpm/kurashi/017html).

 マオウの分布域を示す、図(堀田 満:植物の分布と文化、三省 堂、p.216)を見るとロシア、最大の淡水湖バイカルの中央部は含まれていません。

堀田 満 植物の分布と分化、三省堂p.216

1997年 バイカル湖調査(後述します)で湖の東側に流入するセレンガ川の下流域で撮影することができました。(表紙のバイカル湖東岸のセレンガデルタ北側から)

あの山並みの向こうはブリヤート共和国か?丘の緩やかな斜面から南方には低い山並みが見え、アジア大陸を感じることができました。放牧地なのか、馬が数頭放たれていました。
1997年バイカル東岸セレンガ川河口の丘陵地
マオウ:赤い実は種子 バイカル湖東岸のセレンガ川河口

2 大陸内部からの偏西風に乗って

大陸内部から偏西風で日本に運ばれたマオウの花粉が、日本で検出されたのです。
マオウ(麻黄)属の花粉は、スターフルーツのような紡錘状の長球体であり、縦軸にそって波状の模様があり外形から2種類に分類できるようです(POLLEN
ANALYSIS  2nd edi.1991)。下図の詳細なスケッチは、光学顕微鏡像を元にしていながら、走査型電子顕微鏡像観察ができなかった時代、ここまで立体観を組み立てた観察力には圧倒されます。

R.P.Wodehouse (1935).:Pollen Grains:their structure, Identification and significance in science and medicine. McGraw –Hill Book Company, Inc.New York and London Inc.New Yorks

 この花粉は、日本各地で発見されますが、日本で初めての検出者は、東北大学の相馬先生でした。

Sohma, K.(1965): Ephedra pollen from the Tertiary sediment of Japan.Scii.Rep. Tohoku Univ.ser.4(Biol.)31:243-246.
相馬先生が発見された経緯(那須先生の記事)の概要を引用します。

1965年、福島県常磐炭田の第三紀層から、マオウ属(Ephedra)の花粉を発見し、東北大の紀要に日本で初めて発表された。日本列島に自生していない植物の花粉が、日本で発見された理由とは?
① 未発見の生育地があるのでは?② 過去に存在していた?③ 中国大陸からの飛来?④ 人為的な場所(植物園、薬草園)からの混入?第三紀に、人類は登場していない。生育地が見落とされたとは考えにくい。日本の気候環境では生育地は無い。③の可能性「黄砂現象」による飛来の可能性が高い。

那須孝悌:Nature Study, 23(4),1997)

3 相馬寛吉先生 植物分類学教室

青葉山理学部の生物棟の6階にあり、同じ階に同居する生態学教室と深い関係がありました。特に相馬先生は、花粉の形態学を専門とされており、恩師中村純先生とは学生時代が重なっていました。当時、分類学的な立場から私たちの指導を担当されていました。
 研究室では勉強会も開かれており論文紹介後に飲み会も行われ、相馬先生のお人柄に触れることもできました。また、植物分類学教室には、いつも白衣姿の穏やかな木村中外先生がいらっしゃって、廊下でイノモトソウについて質問したとき、ふと「僕はイノモトソウが好きなんだ」と話してくれました。イノモトソウの葉身は単羽状葉で頂羽片があり、シダの中ではすっきりとしたスマートな形は独特です。
こうした会話ができる場に身を置けたこと、幸せでした。

 相馬先生には、1992年の国際花粉学会(フランスIPC)の、フランスアルプスへのエクスカーションでご一緒できたこと、懐かしく今でも感謝しております。
さて、この、マオウの花粉が、最近の私の分析結果にも産出していました。
 長崎県対馬の約3000年間の植生変遷の中で、不連続ながら2回産出しました。この量では考察を深めることは困難ですが、検出されない時代も含めて、常に中国大陸からの偏西風にはマオウを含む微粒子が含まれ日本列島に到着しているものと考えられます。
 将来、莫大な量の花粉胞子の分析処理が進めば、わずかに検出された花粉であっても、その消長が定量化され、大陸の乾燥地の拡大・縮小との関係の考察が可能になるかもしれません。現在、PM2.5で捕捉されている微粒子に花粉データが加味されれば、環境変動の解析の指標となることでしょう。

4 「弥生時代の台風」

  那須孝悌氏の論文(1977)には、日本には分布していないシダ植物の胞子化石の発見をもとに、先史時代の台風の痕跡を推定した内容が記されています。以下、二つの論文の概要を引用させていただく。

シシガシラ科の胞子について
 花粉とともに検出される胞子などの微化石は花粉に比べ、形態的特徴が少ないことや、基礎研究が遅れているために、正確に同定できる人が少ない。そのため不明花粉・胞子として扱われてしまい定性的な環境把握の機会を逃している。検出されたシダはStenochlaena palustris (シシガシラ 科)は、フィリピン以南の熱帯地方に分布する。胞子は単条溝のある両面体型であり、表面にイボ状の突起が散在しており、同じ属の別種とは区別できる。その地下匍匐茎は長く、這う。しばしば、厚い塊を形成する。それは、茎に達した時には樹木にからみつき這い上がる。
(Holttum 1932)(1)。

HOLTTUM,R,E.(1932) On Stenochlaena, Lomari-posis and Teratophyllum in the Malayan Region.
Gardens7Bull., 5(9-11):245-316

弥生時代の台風についての論文
この胞子が、大阪平野北部の弥生時代の地層に含まれていたのである。この事実が、どのように過去の台風の説明になるのか。いくつかの可能性が示されている。黒潮の影響について、検出した地層は、非海成層であることから説明困難。日本に生育していた可能性は、著者の分析履歴に検出例がないことから、とくに完新世においては不可能と判断されている。温帯性低気圧もしくは季節風による運搬については、生育分布域を通過しないことから、台風などの熱帯低気圧による運搬の可能性が高いと判断された。台風が運んだ生物として、迷鳥(アホウドリ)や迷蝶(リュウキュウムラサキ)の例があるが、この胞子の場合、海を渡ってはきたが気温が低すぎて発芽生育できず、分布拡大にはいたらなかった。死滅回遊魚が毎年、黒潮の北上にのって日本沿岸にたどり着いても冬を越せないように、環境変動に合わせるための生存への分布拡大の努力が続いている。

那須孝悌:「弥生時代の台風」—シダ植物Stenochaenaの胞子化石— , Nature Study 23巻10号 2(110)-4(112). 大阪市立自然史博物館編集・大阪市立自然史博物館友の会発行

 マオウと異なり、季節風の可能性よりも台風の可能性の高さに言及されている考察に惹かれました。


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