6/5 午後6時

お久しぶりです。
思ったことを書く。
くだらない男の駄文なのでそこはお許し願う。

最近、巷では人種だ障害だジェンダーだマイノリティマジョリティと騒ぎ立てるのを見る。
何のためにやってるんだろうと思う。

本当に自分達を理解して欲しくてやっているのか、はたまたそういう境遇の人間を「敢えて」貶めているのか、どこかの誰かから多額の金がもらえるからなのか。

目的は定かではないが、随分と面倒な世の中になってしまったモノだと常々思う。

僕はディズニーランドが大好き。
中でもスプラッシュ・マウンテンは擦り切れるぐらい乗ってる。
海外のディズニーリゾートにも同様のものが点在していたのだが、最近の人種問題の煽りを受けて次第に閉鎖されてしまうことになった。

もともとスプラッシュ・マウンテンは、
遥か昔のディズニー映画『南部の唄』が元ネタであり、シーンの中で見方によっては「そう」ともとれる描写があると言われている。
しかし、この『南部の唄』は
そもそもの時代設定は「奴隷解放宣言後」のアメリカ合衆国。
スプラッシュ・マウンテンのお話をする農場のおじさんは、ただの農場のおじさん。
それを聞く少年も、どこにでもいるお話好きのわんぱく坊や。
そもそも差別がどうちゃらなんてシリアスな話ではなく、農場で働くおじさんがたまたま知り合った少年に色んな空想のお話を聞かせてあげるというディズニーらしいお話である。
(封印作品なので全部は見れなかったが)

肌の色や話の端々、少年の家庭事情などを切り取っては人種差別だと吊し上げられているだけではないのかと思う。

たしかにそういう時代があったことは否定できないし、かといって認めたくないのもわかる。
傷を抉ることになるだろうし。
そう捉えてしまった人々の認識は、そこから動くことはないと思う。

だけど、そんな時代があってそういう差別が蔓延っていたと捉えるのならば
作品をかつての焚書運動みたいに焼き払ったり
巷の騒ぎのように暴力や圧力で訴えかけるのではなく、
作品を通してありのままを伝えていくべきではないか、とも思う。

ありのまま伝えて後世に「こういう考えがあってはならない」「同じ過ちを犯さないように自分達ひとりひとりがよく学び、よく考えて生きるべきだ」と教えなくてはならないんじゃなかろうか。

そして時に、作品を純粋に楽しむ心を持つことが大事なんじゃなかろうか。
作品に罪はない。
世相を表しているとはいえ、当時のものだからある程度は仕方がないこともある。
だけど、こんな形で娯楽が奪われることは
決してあってはならない。

もうこんなことをしている暇はないんじゃなかろうか。
もっと落ち着いてよく考えて
向き合うべきなのではないか。

駄文失礼。

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