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ごんぎつねその後

故新美南吉に敬意を表して
私のような稚拙なものがこの物語を書くことをお詫びしたい

兵十は己の愚かさを嘆いた、すでに銃口の煙は消えて、散らばった栗や柿の匂いが辺りにただよう。
ごんの血の匂いが生々しかった。
兵十はやおら、ごんを担ぐと泣きながら台所へと向かった。
彼はごんの腹に包丁を入れ、丁寧に捌き始めた。
血と臓物の匂いに何度も吐きそうになりながら。
彼は食物として、消費する事が、ゴンへの償いになることを考え付いた自分はやはり『食物連鎖の上位者』であると思い知らされたことを思い起こした。
ゴンは肉になった。
彼は、ゴンだったものを焼いて、せうゆに絡めて、そして皿に盛り付けて食べた。
ゴンの持ってきた果物や栗をデザートにして。
兵十は人間の愚かさを憎んだ。そして、己の無知を憎んだ。母の骨を齧ったときの自分にごんを憎むことをやめることを伝えたいと思ったが、それはこの惨状が起きてしまった今、叶わぬ夢であることに気づいて。
虚しさに教われた。兵十は知っていた。近頃村の人々が、この近辺で殿様同士の諍いの拗れにより、戦が起きることを。
彼は決心した。殿を止めなければならない。
彼は城下町へと走った。
自分の粗末でもう己以外誰もいない家の火を消して、もう帰らないように
『な帰りなそ』と家の柱に筆で記して、ありし日の母が藁で編んでくれた草履を履いて飛び出した。
道中にては、草木によって多くの擦り傷を負って、山中に潜んでいた山賊を己の銃にて打ち倒し、殿を止めるため使命のみにおいて、気力のみにおいて、走っていた。
擦り傷から流れる血をごんや母への詫びと考えることで己の痛みに耐え抜いた。
城下町に着いた。
町人たちは、そのぼろぼろの田舎者を小馬鹿にするかのように冷徹にあしらったような目をして、彼を無視した。
彼は、『町人は冷徹にならねば、生きられぬ。小判によって心を喰われてしまったからだ。』と考えた。
彼は銃を取り、人を冷徹にした肥太った大商人や殿や貴族を打ち倒そうと決意した。
富という概念があるゆえに、私は母に鰻を食べさせてやるために、きつねに奪われるかもしれない川で鰻をとらざるおえず。役人に米を奪われるのだと。
彼の母の10回忌に事を起こすために、彼は弾薬や火縄銃を、武士の家に忍び込み、城内に忍び込み。気付かれぬように、それらを町内に借りた家に持ち運んでいった。
怪しまれないように、そこで職について、金をためて身なりを整え。勉学に励み。
彼は、表向きは優秀な商人になった。
時は来た。しかし彼はなにもしなかった。
彼は殿に招かれ、謁見し褒美をもらった。
かれはそれを使って、大きな屋敷を建てた。
周りのものは妬みから狐憑きの家だと唾棄するように罵ったが、きれいで若い嫁が彼の人となりに憧れて嫁いだとき、そんな矮小な言葉は耳に入らなくなった。
彼は華麗な馬車に乗り。幼い息子や娘や妻と共に、母の墓に毎年参った。
ごんの事などとうに忘れてしまっていた
当初の戦は彼が貯めた資金を敵国に和平のためと、与えたため未然に防がれた。
彼は気がつけば、田舎の生活を忘れ、居所のわからぬ復讐を忘れ。
彼の子孫は代々続き、次第に兵十家という家名を殿様から与えられ。
明治大正昭和と権力を維持して、GHQの弾圧をも耐えて、今でも名家として続いている。
その家紋にはなぜか狐がかかれており。

また、法事の日に、自分達の立派な墓とは別にある地域の苔むした古びた墓に参ることがしきたりとなっているという。
これは新美南吉氏が書いた世界線が本当にあったらどうであったかを私なりに考えた結果である。
拙き後日談に、さぞ草葉の新美南吉はお怒りになられていることだろう。しかれど、死人に口はない。私は私のみちをゆくのだ。

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