「知りたいループの沼」にハマる理由を行動心理の面から考察したら、最後に仏陀にたどりついた話

壁にぶち当たるとさらにその先が知りたくなり、深堀りはじめる。
そのうちまた新しい壁にぶち当たり、もっと深く掘り下げたくなる。

そんな「知りたいループ」にハマっていく経験ってありませんか?
でも、そこには必ず”ハマるきっかけ”を作る「トリガー」が常に潜んでいるのです。

注目させるトリガー

職業柄、僕はいつも企画立案やデザイン、キャッチコピーなどの方向性を考えて「この方法で良いのか?」「この手法は正しいのか?」などと迷いながら日々を過ごしています。

なので、気になっていることに対してやや敏感に反応してしまう癖があり、
無関係な情報に接していても、間接的にも関連する言葉に触れたとき、「あれ?この言葉、聞かれたら説明できないかも…」などと思いはじめて、いてもたってもいられなくなります。いわゆる「カクテルパーティーの法則」ですね。まったく関係のない会話で雑音にしか聞こえない中で、自分の名前や好きな人の名前が口にされた途端に、耳に入ってくるような現象です。

興味を引くトリガー

それ以外にも、良い言葉が見つからない時やアイデアが浮かばない時に、僕は壁にぶち当たります。特にもう少しで答えがみつかりそうでなかなか出てこない時などは、どうしても気にかかって途中でやめられなくなります。ネット検索で済めばよいですが、調べるうちに「足りない知識」に気づき、より高度なレベルで「学び」を求めて専門書籍をアマゾンで即買いしてしまいます。

翻って俯瞰すれば、別に今すぐそれが必要かと問われれば「否」です。
では、なぜ?
まさに、心理学上でいうところの「完結への衝動」あるいは「ツァイガルニク効果」などと言われ、未完成の状態に対して緊張感が維持され、完結しないと気が収まらなくなるのです。

謎解きさせるトリガー 

先日も、良い表現をもとめて悩んでいる際に目にした「コピー作りに関する事例集」を買ってしまいました。
当然そこにはより奥深い情報がちりばめられているわけで、専門用語はもちろん、理解を深めれば深めるほど「知らない」自分に焦りを感じ始めます。
そうして僕は「知りたいループの沼」に、片足を踏み入れ始めるのです。
そう、「知らない=謎」なのです。
案の定、読み続けているうちに「そもそも自分には、文章力があるのか?」と思いはじめてしましい、すぐさま「文章力アップ術」の本を購入。

同じように読み続けると、「そうか、自分は語彙力が足りていないんだ。」と思いはじめ、今度は「語彙力アップ」の本にシフトチェンジ。ユーチューブもチェックして、さらにまた参考になる本を探す。

そこに書かれていた「語彙力アップにはとにかく書く習慣と読む習慣。加えて類義語や対義語も調べるべし。」など、まるで僕の知りたい欲求を煽るかのようなアドバイスが綴られている…。

こうなると、「知りたいループの沼」はどんどん深まるばかり…もう両足どころか、体半分、腰まで「知りたいループの沼」に浸かっているのです。

心理学的には、不確実な状態をできる限り減少させようと努めたりすることを、不確実性減少の理論というそうです。まさに僕は「知りたい感情を煽られ、はやく答えを教えてほしい」と思い、ループの沼にハマるのです。

最大のトリガー 

でもこの現象は、本当にそれだけの理由からくるものなんでしょうか?

以前から僕は、自分で自分のハードルを上げてしまう傾向が高い部分があります。「期待に応えて、裏切らない人間」として認められたいという「承認欲求」の感情が、自分の中に潜んでるのだと思います。それこそが、知りたいループにハマる落とし穴につながっていく最大のトリガーだと思っています。結局はみんなに注目されて人気者になりたいという願望や尊敬される人でありたいという自意識過剰なプライドが根底にあり、それにより、期待を裏切り、相手をがっかりされることへの不安や恐怖が、背中を押しているんだと思うのです。

しかもこれは、僕だけの問題ではありません。現代社会のコミュニケーション手段の中心になりつつあるのがSNSで、これこそが「承認欲求」の代表的存在でだからです。
SNSでは、「この写真、映えるかな?」「みんなに注目されるぞ!」などの欲求が行動を駆り立てます。いいネや再生数が増え続けることで、その行動がどんどんエスカレートしていき、時には犯罪めいた行動に発展することはニュースで何度も耳にしますよね。

いいネがもらえない不安、再生数が減少する恐怖など、様々な不安がこの承認欲求の先に待っている、ととらえるべきではないでしょうか?

この世は、諸行無常

仏陀の教えに、諸行無常という言葉があります。人間という生き物に備わる最も難しい本質的な能力のひとつが「妄想する能力」で、それこそが人々を苦しめる原因です。
つまり、まだ見ぬ未来予測にすぎない不安を重視してしまうことで、要らぬ心配や防衛本能が働き、物事の判断にストレスによるバイアスがかかってしまうのです。
仏陀はそれこそが心を苦しめる「煩悩」であり、その「煩悩」を捨て去ることが大切だと説きます。この世は諸行無常であり、一つとして同じではなく、昨日までの自分ですら今日の自分ではなく、ましてや未来などは計り知れないのだから、何よりも「今」を大切にするべきだと。

僕を「知りたいループの沼」に引きずり込んでいるのはほかでもなく、自分自身の中に潜んでいる煩悩によって導かれる「承認欲求」ということだとすれば、今一度、自分の姿を見つめなおして、行き過ぎる欲求から解放されることも考えてみたいですね。
昨日のいいネは今日もらえるとは限らないし、期待を裏切ったと思っているのは自分自身であって、相手は全く思っていないかもしれません。いや、多分きっとそうです。
いつまでも知らない不安にとらわれていないで、まずはいったん休んでから明日また考え直すぐらいのゆとりを心に持ちたいと思います。

(ぴん👆)



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