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長谷川製作所 1/32 メッサーシュミットMe163Bコメート (1)

持っている箱に書いてある商品名?と、入手当時の会社名で書いておきます
入手したのは、1974年前後だと思います
1973年発売の長谷川として1/32の第11弾らしいです
  第何弾がなにだったか覚えていません
1975年にデカールと箱絵が変わっていますので、その間です
1972年の1/32 P51Dの次の発売なのでしょうか
長谷川が1/32で、どんどん開発していった時代です

2013年に飛行機模型作りにカムバックするにあたり、
その昔の荷物をリスト化していきました
手をつけて、完成までに至らなかったキットも多数ありました
一時休止?してから二度の引っ越しがあり、段ボール箱につっこんであった
多くのものは、雑に段ボール箱に詰め込んでありました

未着手キットは、ネットオークションに出そうかなと、途中でリスト化していて
知人に評価額はそのときに聞いていましたが、オークションに出すことなく
経過していましたので、わかりやすく箱詰めになっていましたが

このMe163Bは、途中で作るのをストップしてして、箱に無理やり
つっこんでいたためダメージが大きなものでした
部品と説明書、デカールはとってありました   残っていました  かな?


破損していました

2013年に発掘? したときは、写真を撮っていなかったし
たぶん2016年ころに、完成までいけないものかと思って、
少し手を入れたときにも写真を撮っていなかったので
破損した全体像の写真はありませんが、文章だけですと
胴体は真っ二つに左右にはがれていて、そのときに一部が割れていました
破片は残っていました
コックピットは、はずれていました   今からだともう少し手を入れたい部分なので、
外れていたため、手を入れやすくなっていました
脚にあたるスキッドは、取付のオレオ部分が、けっこう折れていました
たぶん、上から圧力?力?衝撃? がかかったため折れたのでしょう
これがいちばん厳しそうでした

写真を残していたのは
機首の発電機のプロペラが折れているところです
これだけ細いと、すぐ折れます

塗装については、ある程度は進んでいて、下面のライトブルー
当時のレベルカラー20番で塗装されて
たぶんダークグリーン17番かな?で
スポットを塗装されていました
当時の私は、オリンポスのヤング88というエアブラシと呼んでいいのかな
その時は「ピースコン」と呼んでいました  を買って使っていましたので
それでなんとかうまく塗装したいと思ったはずです
でも、今見ると下手です。このエアブラシはシングルアクションなので、いまやっても
うまくいかないかもしれません  このエアブラシは、今も稼働していますが、
広い面のみの塗装に使っています

どうせ今から作るなら、真っ赤なシュペーテ機にしようかなと、あまり深くは考えずに
再開することにしました


箱は1973年の初版と同じと思います

700円の値札シールが貼り付けられていました
1973年のオイルショックが始まったばかりのころで
このあとに、プラモの価格は上昇していきました
上昇直前ですが
このころはグンゼ/レベルの1/32のキットがまだぎりぎり500円のが
あったと思いますので、ちょっと高いかな

なぜ、この40年も眠っていた、途中つくりのキットを
完成までもっていこうかと思ったか
それは、1974年ころのこのキットの入手にからみます

当時の話ですが
知っている方に、このキットを手渡されました
「飾りたいから、これを作ってくれ」と
安易に承知して受け取りました
高校二年生のころです
正確な時期の記憶はありません
受験ちょっと前で、もちろん通常の勉強や部活もあり
飛行機模型製作に使う時間は多くありません
そのため高校時代に完成した飛行機模型は多くありません
かよっていたのは進学校ですし
小テストもしょっちゅうあり、定期テストもきびしいものでした
まあ厳しいおかげで国立大に現役合格できたわけですから
そんなわけで、高校生時代は結局途中までしか作れませんでした
たのまれものは...........プライオリティーを低くした結果ですね

大学に入って、高校時代とまったくちがうサークル活動に入会すると
それが楽しくて、飛行機模型どころではありませんでした
そのサークルに、静岡出身の人がいて、彼は、地道にプラモを
作っていましたので、彼の住む部屋に行ってはときどき作っていました
結局1/72の小さな飛行機をちらっと作る程度でした
大学生活のあまりの楽しさで、Me163Bの約束をすっかり忘れていました

2013年のカムバックの時に、荷物をほどいてリストアップしていく中で
この途中作りのものを見たときに
ズキッ!!  と気持ちに突き刺さるものがありました
約束を思い出しました
頼んだ人との連絡は、手渡されてから、数度話したことがあったかもしれませんが
たぶん高校卒業以降は、会っていませんし
その方が以前住んでいた家自体もなくなって、どこにいったやらで
もう連絡が取れません

心の中で  ごめんなさいして   作ります
高校時代の予定を変更して、赤い機体にします

手持ちの資料は皆無です
中学、高校時代も特に気になる機体ではなかったし
カムバック後も特に好きな機体でもないし
こうなれば、ネットのみが資料です
赤い機体の実機の写真は見つかりませんが
別な機体なら、当時の写真や、復元機の写真はたくさんありました
いろいろなキットの説明書や完成品の写真もたくさんあります
それを参考にして作っていくしかありません

作ることができました
私なりの理解の中で..........  つづく

文章ばかりで、お付き合いしにくい内容でした

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