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アルベルト・アインシュタインの精神論

“大切なのは、疑問を持ち続けることだ。
神聖な好奇心を失ってはならない”


この言葉は日本人には、
ピンッと来ない人のほうが多いだろう。

それは神聖という文字があるからだと、私は思う。

信仰心とはまた別のものではあるが、
日本人がこの言葉を使う人は少ないはずだ。

なので、まずは上から紐解いていこうと思う。

「大切なのは、疑念を持ち続けることだ」

この言葉は、物事は安易なもののように
見えるモノであっても、
簡単な事などこの世には無く、
状況次第で形を変えるようなものであることから、
一つでは無く幾つかの答えに到達したとしても、
どれが本物かを見定める事は決して簡単な事では無いと、
私は解釈している。

そして、
「神聖な好奇心を失ってはならない」とある。
神聖という言葉は、清らかで、けがれが無い意味や、
神のようにという言葉がある。
日本人なら眉をひそめる人間も多いはずだ。
だが、西洋の神を祀ったり、
魔除け等のパーティーはする。
支離滅裂とはまさにこの事だ。

神がいるかどうかは、自分の気持ちの持ちようだ。
信仰心を広めようする人間ではなく、
自分の中で唱えるなら問題はない。

アインシュタインのこの言葉の面白い所は、

「神聖な好奇心を失ってはならない」とある。

文章を目で追うだけでなく、このような言葉に
出会った場合は、一度そこに居座って暫く言を
嚙みしめることをお勧めする。

日常では出逢わない言葉の組み合わせが、
実にアインシュタインらしいものと言える。

そして必ず含みを入れているのも実に
アインシュタインの気持ちが伝わってきます。

難解な言葉だ。それ故、愉しめる。

神聖とは穢れの無い事であり、
清らかさも強調している。

そして、その神聖というものに、
好奇心を失ってはならないとある。

つまりは、アインシュタインは、
一度か二度程度、
好奇心を失った事を意味する。

哲学とは絶対に、現実的な物事に密接するもので
あるため、討論や意見を出し合うものである。

そして彼自身が、何か神に対して
好奇心を失ったからこそ、その大切さを理解した。

人間は、皆、何かを失って、
初めてその大切さに気付く。

手遅れは無い。
自分にとっては手遅れではあるかもしれないが、
己が経験した事は大きな遺産となる。

彼らが皆、偉人かどうかは皆が判断するものであり、
自分の思想と似ている人を見るのも良し、
逆に真逆の意見を見てみるのも、
知らない事を知るので自分の為になる。
彼らは皆、大きな経験から言葉を残している。

哲学の世界では、それぞれの学者たちが
「神の存在証明」について議論した事がある。
しっかりとした論理的思考から
神が存在するという討論が成された。

哲学の絶対的に無くてはならない事は、
人間の人生に触れていなければならないと
いう点である。つまりは日常が哲学なのである。

アインシュタインも確か言っていたが、

「言葉を知ると言う事は、
その人の人生の多くを懸けて得た言葉である」
ちょっと違うような気がするが、内容は合っている。

我々もそうだが、後世に残す何かの為に、
多くの人が生きている。

自分の役割は何か?
私にもあるが、それは良い事では無い。

だからこそ日々葛藤している。
自分を最大のライバルとして、私は生きて来た。

「過去や現在の人と張り合うな。自分と張り合え」
と言った人もいた。

私もその通りだと思ってから実践している。
もう長い間、疑問を持ち続けながら闘い続けている。

自分は自分だ。
過去にも現世にも未来にも、
私は独りしかいない。

私は自分を育てる為に、
自分と闘い続けている。

神聖な好奇心を失ってはならないとは、
自分自身で己を自覚し、悪の手に堕ちる
ような行為や思想を持たずに生きることを
指している。

アインシュタインも人間である。
だからこそ、失敗から経験を生む。

失敗を恐れていては何も手に入らず、
自分で自分の人生の幕を下ろす行為だと
言えるだろう。


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