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他人のようでは無く、自分を感じて生きよう。

我々は一体何者であろうか?

自分は自分ではあるが、実際は自分を
人任せにしている人も少なくない。

新興宗教者などがそれに当たる。

今はもうネットの時代である。
自分を探そうと思えば、色々な事を
調べられる。

1つの情報では無く、最低でも10程の
情報を調べた上で、自分の意見を導き出す
のが、情報の正しい調べ方だと言える。

しかし、1つの情報だけを頼りにする人も
多くいる。
それだけでは何も解ったことには繋がらない。

時間は止まらずに、今、この一瞬、一瞬も
大切な時間である。
自分が何をするかで色々見えてくる。
何を見て、どう感じて、それをどう活かす
かで、我々は人間形成されていく。

これはある意味、心で感じるようなもので
あるので、自分が頭で考えるよりも速く
脳に届いて来る。

ある偉人はこう言っていた。

「大切なのは目的地ではなく旅の過程だ」

旅とは人生の生き方を指し、
目的地とは目標をさしている言葉だ。

目的地につくまでの人生の生き方が、
何よりも大事であるという意味になる。

この事に関しては複数の意見があるが、
私も過程こそが大事だと思っている。

誰かと出会い、恋をして、フラれて、
泣いて、また幾度も恋をして、
インスピレーションを感じた相手と
結婚して、日々 愛を告げていくように、
過程にこそ人生がある。

目的地は幾つもある。目的地だけを目的
として生きた場合、誰かと出会う事も
少なく、孤独に生きる事になる。

人を大切にせず、何事も自分優先に
するからだ。

父がまさにそうであったので、
よく分かる。
父の唯一の友人は中学生の頃からの
友人で、父の妹と結婚した人だけだった。

そのおじも父しか友人はいなかった。

どちらが正しいとかは無い。

ただどちらを選ぶかは自分しかいない。

これは、高校や大学などでも言えることだ。

以前、先生たちはただ国の方針に従い、
介護士を推奨するようにした。

今でも大変だとは思うが、当時は酷いもの
だった。給料は安いのに対して、重労働で
あったため、資格をとっても皆辞めていった。

日本政府の手先に近い存在でしかない
教師たちは何も考えていないのが多くいる。

ジャ〇ーズ問題は、本来は庇うべき先輩に
当たる人が前に出るべきだった。
そうしなければならないはずだった。

しかし、勇気が無く、事が終わった後で
当然の如く問題となった。

私は戦ったからよく分かる。
私だけで誰もが見て見ぬフリをしていたが、
精神が破壊されるような事を幾つも体験した。

あの問題も無意味では無かった。
あれをきっかけとして、今、現在も多くの
事を明るみに出て、昨日見たネットニュース
では、また学校の教師が捕まっていた。

だからあの問題は無意味な犠牲では無かったと
言える。

大勢の人を救うための犠牲になったからだ。

教師などは本来、それなりの精神論を持つ程度
でないと、たとえ相手が子供であっても教える
事等できない。

何が正しく、何が間違いなのかを知るのは、
そんなに簡単な事ではないからだ。

自分で考える事をせず、国の方針に従っている
だけであるため、何も考えてないようなものだと
言える。

中には心ある教師もいるだろう。
そういう人は国が決めた方針であっても、
間違いだと思えば、勧めるような真似はしない。

介護士が必要であるのに対して、対価が安すぎれば
当然辞めるに決まっている。
当時、話を聞いたが月に13万とか程度しか無かった。
真面目であったその人でさえ、辞めた。

これは何事に於いても言えることだが、
何かをしようとする時、必ず他にも必要な事が
幾つか出てくる。

それらは事前に考慮しなければならない事だ。

今日見たネットニュースでは、リニア工事を
中止する記事が出ていた。
理由は水位の上昇だった。

もう20年以上前から言われていた事が原因で
中止になった。

少し考えれば分かるような事なのに、
あれだけの政治家がいて、
誰もそれを考えなかったのが現実である。

そんな人間が今の日本を救う事等できる訳が無い。

もう終わらせるべき時が来ている。

今も続く天下りや、くだらない文句の言い合い
でしかない国会、国民の税金はそうしたものに
使われている。

議員を辞めても何もしない天下りをして、
給料だけは多くもらっているのが現実だ。

そんな人間が国を救おうなどと微塵も思って
いないことだけは確かだ。

私は昔、未来予想を立てたが、コロナの影響で
予想よりも悪い展開になった。

誰かが悪い、誰かが正しい、等の議論は
もう終わりにして、国民の一人一人が、未来に
向けて自分や、そういった団体で頑張るしか
道はない。

誰かに頼るのではなく、自分の意思で行動する
勇気と愛のある人間が増えなければ、
ならないのは、東京の人口が初めて昨年、
1千万人を切った。

これは非常事態と言っていい。
公式的な数であるので、それ以上いる事は
分かっているが、公式的に減っているのは
マズい。

国を想う人たちは確かに存在する。
しかし、力不足でそれは無駄に終わっている。

現実は現実として受け止めることも大切だ。
身近な人を助けることはできる。

しかし、国ともなれば一人では無理だ。
どれだけ強く願っても無理なのが現実だ。

私は私が頑張って生きているからか、
よく言われることがある。

「若い人なら同意する意見だと思う」

つまりは私の考え方は、純粋な意見でしか
ないという意味だ。

そういっていた人たちは、今は苦しい
状況下にある。

私は私が思う正しい生き方をしている。
だからどんな状況でも未来を見つめて、
今を生きてる。

しかし、若い頃の情熱のある思いを
捨てた人たちは、今を生きていない。

先の事に目を奪われ、今を大切にしていない。

今日があるから明日がある。
今年があるから来年がある。

その時その時を大事に生きる事は
簡単ではない。
だが、目が曇ること無く生きていける。

この先に何が待っていようと、私は私でいる。
自分という人間を作ることが出来れば、
全ては自分の選択になり、自分の責任になる。

誰かに対して怒りを覚える事も無いし、
自分が至らない事を知ることが出来るので、
自己啓発の念を抱く事ができる。

人は本来、そうして生きるべきだと
私は思っている。

今、後悔していることはあるが、
それは自分自身の事では無い。

自分自身は何度も地獄を見たが、真っすぐ
生きてこれたから後悔はしていない。

自分を見つけるための旅は終わった。
今は自分が成長するいばらの道を歩いている。

傷の数だけ自分は成長を果たしていると、
実感できる満足のいく日々を過ごしている。

難しい事では無い。ただ、はじめの一歩を
踏み出す勇気さえあれば、誰にでも出来る。

勇気ある一歩を踏み出せる人が増える事を
私は真に願っている。


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