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人生の時運を掴もう

時運とは、時の運命の事を指す言葉である。

人生の中で誰もが一度は体験する事にはなるが、
それを選択したからと言って、自分の好ましい
未来が来る訳では無い。

ある偉人が言った。

「誰にでもチャンスはあるが、掴む選択をする
のは僅かな人である」

そう、自分の人生の未来は見る事はできない。
だから人は不安になって、お金を貯めなければ
と言って、老後の事を考える人は多い。

しかし、時運はいつ来るか分からないが、
それは自分の夢であり希望である。

事によっては年齢的に難しいものもある
かもしれないが、時運を掴むチャンスは
そうそうあるものでは無い。

自分の価値は自分では分からないが、
自分が何をしたいかは自分にしか分からない。

そのきっかけとなるのが時運である。
掴んだからと言って、それが自分の描く未来に
なるかどうかは、実際の所分からない。

寝食を惜しんでも必ず自分の求めていた結果に
なるかどうかも分からない。

だが、時運が来たと自分の中の心の声が聞こえたなら、
その時は勇気を振り絞って掴むのが人生になる。

自分のやりたい事を本当にできるかどうかは、
過去の偉人たちも不安と自信がぶつかり合いながらも、
頑張り続けた結果、自らが求めていた答えで
無かったとしても、必ず何かしらの道は見える。

人生は長いようで短い。

織田信長がこよなく愛した敦盛の歌の意味は、
誰かが最初に適当な事を言ったことから、
間違った意味として日本中に広まった。

「人生五十年、下天のうちにくらぶれば
夢幻の如くなり」

この有名な敦盛の言葉の意味は、

「人間の人生など、下天つまりは天の一番下に
位置する場所と比べれば、夢や幻のように
短いものである」

という本当の意味である。

信長の人生は激動だった。だから早く感じたと
思われる。だからこそ、この歌を愛していた。

人間が生きているうちに出来ることには限りがある。

しかし、想いは自分が死んだ後でも生きてゆく。
自分が本当にしたい事をすればいい。
そうしなければ、必ず後悔するからだ。

海外ドラマのハンニバルのセリフにこうあった。

「選択の数だけ後悔があった」

この言葉のように、どちらを選んでも後悔する
ことは実際にある。

でも、それは自分が頑張りぬいたかで決まる。
自分の道を進めば必ず後悔はしないが、
涙がこぼれるくらい悔しいと思えるならば、
続けるべきだと思う。

一度や二度で夢や希望は掴めない。
時運は云わば、自分の人生の手助けのような
ものでもある。

時運を掴んだとしても、日々の努力が大切になる。
自分で誰よりも頑張ったと思えたなら、
夢は叶って、希望に満ち溢れた事を実感できるはずだ。

夢が叶えば、そこからは広大な青空が待っている。
道は無いが、どこにでも行ける。

そう、夢が叶えば、道は自分で作っていく事になる。
夢は新たなる人生の始まりに過ぎない。

この思想は結婚に近しいものである。
結婚をゴールだと思う人が多いため、失敗する。

結婚も新たなるスタートに過ぎない。
愛を毎日のように伝えて、時には最初に出会った頃の
気持ちを想い返すのであれば、運命の人と生涯を共に
することは出来る。

これは実際に私のおじがそうだった。

おじは英語も堪能で、ネットワークがまだ日本に定着
していない頃から、未来を見ていた。
だからその世界で生きる道を選んだ。

海外によく行っていたのは、海外の方が技術的に進歩
していたからであったが、おじは毎日のように、
おばさんに愛を伝えていた。

私も連日会った時でも、必ず、決まり文句のように、
「どうだ? かわいいだろ?」と自慢していた。

私は子供の頃は、それに対して照れていたが、
年齢を重ねて、それがいかに大事な事であるのか
気づけた。

愛を伝えることは恥ずかしい事では無い。
人生をより良いものとする大切な日常である。

おばさんは実際の年齢よりも若々しく、おじも
年齢の割には若く、元気だった。

それは人生を楽しんでいるからだろうと、
最後に会った時に思った。

また必ず会いに行く。会いたいし、私にとって
唯一、最初に愛とは何かを教えてくれた存在だからだ。

最近では2、3年に一度程度会うくらいだが、
電話をかけた時、おじは必ず言う言葉がある。

「覚えててくれたんか」と言って電話ごしでも分かる
くらい泣いている。

私は「忘れるわけがない」と言って、私も自然と涙が
溢れてくる。

理想の夫婦ではあるが、おばはアルツハイマー認知症には
なったが、おじのことを夫だと覚えている。
私のことは忘れているが、二人が夫婦であることは
忘れてない。

それは二人の中に深い愛があったからこそ、
おばの記憶に留まったのだと思う。

おばがしていた料理も洗濯も、今はおじが壱から覚えて、
前回会った時には100均に料理に使える良いたタッパーが
あることを、嬉しそうに話していた。

おばが私に数十秒ごとに、「どなたでしたっけ?」と言う
度に、おじが私のことを教えていた。

何度も何度も私が誰なのか尋ねていた。
それが現実である事は分かっていたが、
おじは弱音を一度もはかなかった。

夏になればおじはおばと一緒に海外でワンシーズン過ごす。
気候の良い国で過ごすのだが、おじは深い眠りにも入れず、
気苦労は相当なものだと思う。

前回会った時に、海外でのホテル生活の事を話していた。
夜中に目が覚めたら、おばの姿が無くて、おじはロビーを
探し、フロントに声をかけて一緒に探してもらったと
言っていた。

その時でも苦笑い程度の顏しか見せなかったが、
私はその時思った。

(気が休まる時は無いのに、笑い話のようにして
語る裏では大変な苦労があるはずだ)

そう思えて仕方が無かった。
だが、おじはおばと結婚したのは時運を
掴んだのだろうと思った。

海外の良い面と、日本の良い面を日常にする事に
よって、愛は深まり、幸せは日常になっていた。

それでも、毎日、愛を伝えることの大切さを
忘れずにいたからこそ、最後まで一緒にいれるの
だろうと思えた。

私が数年おきに会う度に、まだ勝てないと
思い続けているのは、おじだけである。

お金に負ける人は大勢見て来た。
おじはお金は大事ではあるが、それ以上に大事な
事があるのを知っている。

知っていても、それを実行できる人は数少ない。
だから、今、老後の心配などせずに夢や希望を
抱いて、時運が来た時には掴んで欲しいと心から
願っている。

それは本当に幸せになるための向かい風では
あるが、頑張り続けていれば、いつの日にか
追い風となって自らの道を見つける事に繋がると
私は信じているからだ。

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