見出し画像

前向きに行く!

歌は誰でも聴こうと思えば聴けます。
習慣として今後も聴いて頂ければ済む
だけとして、前向きに行きます。

ある偉人が言っていました。
「進歩が止まれば必ず衰退していく」

私個人ではキタニタツヤは実にそれを
理解しているのだと思いながら、いつも
全く別のやり方でMVを紹介していました。

何でもかんでもそうですが、出来る人は
誰もが陰で努力しています。その結果だけを
我々は見るだけであって、本人の成長は非常に
大きなものとなっています。

誰に何を言われようとも、自分が納得するまで
頑張る事が大切になります。

本人的には夢中になっている時などの場合は、
頑張っているという自覚は無く、謎が解けた
ように喜びに包まれます。

それが自分を成長させているとは全く気付き
ませんが、何かしらの成長は遂げています。

私も可能な限り前向きに生きると決めた時が
ありました。私の場合は状況的な問題があった
ので、頑張れなければ落ちていくだけだと
分かっていたので、逆に厄介でした。

取り組むにあたり、知らずに頑張るのと、
知って頑張るのとでは違いが出ます。

知って頑張る場合は追われるような感覚
があるため、無駄なストレスを受ける事に
なるので、焦りや頭で考える場合に、
上手くまとまらないようになります。

刻々と時間が刻まれて行く事に対して、
マイナス効果が出てきます。

そういう事もあり、私は基本的に80%で
頑張るようにしています。

それでも充分ではありますが、今回の様に
突然の事に対して、正直、想い入れは無いので
削除する事に抵抗はありませんが、
私のように営利目的では無い人にとっては
何とも無駄が多いなと思ってしまいます。

今、脳裏を過ったのは、伊丹十三作の
「マルサの女」でした。

有能な女性が税務署に努めていて、国税局に
入って脱税を暴こうとする話です。

伊丹十三はいつも奥さんを主役にして映画を
撮っていました。

以前も書きましたが、伊丹十三は心から奥さん
を愛していたのだと思いました。

伊丹十三が不倫か女性関係のトラブルが発覚し、
マスコミが詰め寄せてくる前に、自殺して事を
終わらせた時に、まだ若かった私ですが、
そう感じました。

実際、自殺した事により、マスコミは不倫等の
話は出ない事になり、静かに何事も無いまま
終わらせました。

ああいった決断を総称して英断といいますが、
誰にでも出来る事では無いものではありますが、
基本的には自ら悪役を買って出るような状況に
なる場合が多いです。

そういう人たちによって世の中は回っています。
気づかない人の方が多いのは、分かり切って
いながらも、それをしなければ終わりは来ない
という時に、自らを犠牲にして世界を動かします。

吉田松陰や織田信長はそれに当たりますが、
坂本龍馬は少し違いはあります。
やるしかないと思った時に動けるかどうかに
なります。

大抵の場合は即答で動く場合が多くなります。
その為、自己犠牲心や即断力、決断力等も
有していなければ出来ない事です。

最近、ロバート・オッペンハイマーの映画が
ありましたが、私は見ていません。
見なくても分かるからです。

映画では大抵の場合、その人の人生で一番
輝いた時や、大変な時にスポットを当てますが、
どう死んだのか等については誰もがあまり考える
事はありません。

生き様だけが人生ではありません。

司馬遷が有能な人間たちに対する仕打ちの酷さに
「天を呪う」と言ったように、今、事実を知る事は
出来ませんし、映画を見た人の99%の人は映画を
見ただけで終わるでしょう。

心情等も描かれているでしょうが、よく知るという
事はその人をよく知らなければ何も分かりません。

それは現在に生きる私たちにも当てはまります。
友人の事をどこまで知っているのか? 等考える
事など大抵の場合はありません。

例外として恋愛的な感情がある場合はよく知ろう
とします。

この例のように、ロバート・オッペンハイマーを
見た人たちはいずれ忘れるだけで終わるはずです。

興味があれば別ですが、一時的な興味であれば
消えていくのが普通です。誰からも攻められる
事はありませんが、それでは無意味に終わります。

これらは全ての事に共通していますが、
活かしてこそ初めて生きるものであって、
活かせないのであれば、意味がありません。

色々な人たちの心情を理解するには、よくその人を
知っているかどうかにかかってきます。

例えば、人から相談を受けた場合、まずその人の性格
をよく知っているかどうかで答えも大きく変わります。
そして相談に乗る時は、あくまでも中立的な立場で
なければ答えは出ません。

ただ、話を聞いてほしい時などの時は、時折頷いて、
一緒にお酒を飲んであげればいいです。

しかし、真剣な相談となると最善の答えを出して
上げなければ、頼りにされた意味が無くなります。

多くの偉人の映画や評価などをしている人は大勢
いますが、大抵の人はまるで何も分かっていない
人ばかりです。

甘い世界に生きている人がまずザックリ半数、
そしてその人物をどう見ているのか?

医学の中でも実際、一番難しいとされるのは
精神的な事になります。人間の難しさは知れば
知る程、難しいものだと理解できます。

仮に誰かしらの偉人と呼ばれている人の事を
語るとして、まずどこから語るか? その人が
何をして、そこからどういう風に派生していき、
どう変わり、それに対してどう感じるか等、
人の長い人生を語る事は、例え友人であっても
簡単には出来ません。

人は何かしらの隠し事をするものですし、
一番仲の良い友人であっても、その人をどういった
人間であるかを語る事は出来ないでしょう。

私はよく全く理解していない事に気づいていない
人に対して、こう尋ねます。
「漫画やアニメに好きなキャラクターがいる
のであれば、どこが好きなのか教えて欲しい」
と尋ねます。

大抵の人は何も言えなくなります。
仮に何かを言う人でも的外れな意見しか
言えません。

世界はネットで一応、繋がりはありますが、
分かっていないのに、それをあたかも理解して
いるように発信する事で、昔と変わらない状態
になっているのが現実です。

昔よりも嘘が蔓延しているのかもしれないほど、
安易に知らないことを書く人が大勢います。
そして人はそれを信じて更に拡散されていきます。

まるで疫病のように、心に棲みつきます。

今はAIなどが発達して、ドローンにしてもそうですが、
戦争の道具として大きな力を発揮しています。

私自身もまだ爆弾は落とされないと思ってはいますが、
それは私が日本人からであって戦争を知らないから
でもあります。

戦時中に生きた父はよく言っていました。
「北朝鮮なんかが一番厄介だ。国が無くなると思えば
ためらく事なく爆弾を落とす」

確かに北朝鮮のような独裁国家を考えると、
自分の国が無くなると思えば、爆弾を落とすのは
間違い無いと思いました。

国にはそれぞれ思想がありますが、日本にはあまり
それはありません。あくまでも戦争を仕掛けられたら
と言い続けていますが、どこかに爆弾が落ちただけで
日本人は大パニックになるでしょう。

現実的に考えていないので、我々は日々恐れる事無く
生活していますが、その安定が崩れた場合、当然、
よくはならないでしょう。

我々がロバート・オッペンハイマーの事を考えたと
しても、分からないのが正解でしかありません。
少なくとも見た人よりは、彼を理解はしています。
しかし、それはあくまでも一部だけでしかありません。

私は確かに普通の人たちよりは、人間の本性を
知っています。
それはそういう家柄だったからであって、
知っているから言える事はありますが、
それでも一部だけです。

多くは隠蔽され、真実の多くは消されました。

そういう世界に生きていた人たちの多くは死を
選びましたが、昔だったので、今のようにちゃんとした
捜査もされず無駄死に終わりましたが、
彼らの狂う心境は理解できます。

アインシュタインも、自分で自分を疑うと言っていた
ように、本当の苦しみは体験した人にしか分かりません。

安易に人の批評や、意見をあたかも事実であるかの
ように言うのは良くない行為です。
昔の日本人のように根拠の無いものにしかなりません。

今でも度々言われますが、信長がこよなく愛した
敦盛の句も未だに昔の人の寿命は50年だったと思い込んで
いる人がいるように、時代は進化を遂げても
それを扱う人間次第で、それは正しいものを発信するか、
嘘を広めるかのどちらかになるでしょう。

なので、私は嘘を発信しません。
友人の相談事にはしっかりと詳細を聞いた上で、
結論を出すと決めています。

一歩一歩前へ着実に進むには、自分の成長は
欠かせないので、迷いが生まれた時は時間を
かけて、休んでから前に進むとしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?