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「優しさに大小は関係ない。行為自体が優しさなのだ」

今年に入って雨がよく降っていて、
私は天気予報を見ずに
出かけてしまいました。

両手には荷物を持っていた為、
タクシー乗り場も雨の影響を受けて、
混雑し、なかなか来ませんでした。

その間、私はキャップにパーカーを
被っていましたが、肩は雨によって
濡れてました。

後ろから何も言わず、
スッと私の頭の上に傘の陰ができて、
私は振り返り、お礼の言葉を言いました。

紳士的なご老人で、育ちの良さそうな
方でした。私の言葉にその老紳士は、
「お気になさらず」と、
一声だけ発しました。

私はこういう事こそが、
優しさだと思ってます。

私を傘に入れる訳で、
ご老人の逆の方の肩は、
雨に濡れてました。

小さな事ではありますが、
それを実行できる人は、
真の優しさを持ち合わせている人だと、
私は認識しています。

優しさの定義は色々ありますが、
単純な優しさに勝るものはありません。

小さな優しさでも、
ほんの少しずつ世界に渡っていけば、
世界は素朴な優しさに包まれていき、
その小さな優しさは大きなものへと
変わっていくかもしれません。

しかし、そんな小さな優しさでさえ、
なかなかできないのが当たり前に
なってしまっていて、私の願いは
残念ながら無意味に終わるでしょう。

しかし、そこに意味を求める事こそ
間違っていると思っています。

自分がいつまでも変わらない自分で
いるためには、何歳になっても
正しい行いをすることはやめては
いけません。

自分が自分であるためには、そういう
優しさで、己の成長を感じる事でしょう。

自分も満たされ、相手もそのささやかな
優しさを感じてくれるなら、それだけで
その日は雨が降っていても心は晴れる
ことになるはずです。

人間はどうしても、
誘惑に負けてしまう人のほうが多く、
誘惑に勝つ人は本当に
強い人だと私は漫画から得ました。

有名な漫画のキャラクターでも
荒木氏もお気に入りのキャラクター
でもある「岸辺露伴」と主人公の仗助が
お互い嫌い合う中、
バスの中で問題が起こる話でした。

仗助は敵に捕まり、敵は岸部露伴に
「お前は助けてやる」と言ってきました。

「お前は逃げてもいい。コイツはもらう」
と言うような事を敵は言ってきました。

仗助と露伴はお互いに嫌い合っている仲で、
バスの中でも露伴が妙な事に気づいて、
仗助に話しかけましたが、仗助は、
「いい加減にしろ」と怒鳴りました。

記憶の中から書いているので、
セリフは多少違いますが、意味は合ってます。

そんな嫌いな仗助が敵に捕まり、
敵は露伴は逃がしてやると言ってきた時、
露伴は漫画の中のキャラクターではありますが、
葛藤があったようなセリフを言いました。

「私は本当に逃げていいのか?」
「ああ、逃がしてやる」

「だが、断わる! 私が最も好きなのは
自分に打ち勝つ時だからだ!」

私はそれを期に、負の要素が多く絡む事柄から、
逃げる事を辞めました。

自分に打ち勝つという事の偉大さに触れ、
漫画でも書いてあった通り、
逃げずに自分に打ち勝った時は、
何よりも!! 他では得る事の出来ない
自分の中で最高の一瞬を感じることが
出来る上に、自分自身に打ち勝つ意味を
知りました。

満足感で心が満たされます。

今はもうそれが普通に
できるようになりました。
そして、今、現在、私の人生で
最大の難関に挑戦しています。

敢えてアウェイのnoteで0からの
出発で挑戦し始めて1年以上が経過しました。

未来に何があるか分からないが、
絶対的にこれ以上ない事だと
ハッキリ認識できます。
ギリギリで生きて、何度か落ちたから分かる。

伝えきれない程の事ではあるが、
僅かな希望を胸に、
そして多くの学者たちの言葉や、
真の苦悩を味わった人の気持ちから
生まれた行動により、その人の本性が
分かる事を知りました。

ロバート・オッペンハイマーは
どれほど辛かっただろうか、
原爆を広島に落とし、
地獄絵図だと曾祖父は言っていました。

オッペンハイマーは、
その残虐極まる行為である
原爆を率先して作ってしまった為、
悩んだ事は明らかで、
落としたのは軍人ですが、
そんな言い訳をするような人間では
ありませんでした。

彼は反対派に移り、それからは
悲惨な運命をたどる事になって
いきましたが、アインシュタイン等を
率いるチームリーダーにもなったほど、
優秀な人であったが為に、
悩みが尽きる事が無かったはずです。

私も同じく、悩みが尽きる事が無い、
現実の中で生きています。

しかし、生き生きとしている自分を
感じる事が多々あるようになりました。

道でティッシュ配りをしている人が、
誰からも無視されているのはよく見る
光景です。

あのバイトをした友達がいました。
配り終えるまで仕事は終わらないのです。

だから私は必ず受け取ってます。
相手も少しの喜びは感じますし、
私もそれに助けられる事もあるだろうと
思って受け取ります。

優しさの少ない時代だからこそ、
私は優しさが必要なのだと思います。

大切な事は優しさを共有できることで、
相手だけのためでは無い事です。

小さな行動でも、誰かが喜びの気持ちを
味わえるなら、それに勝るものは無いもの
だと、私はおもいます。

大切な心をより良く育てるように、
自分に負けない自分になる度に、
私は成長し続けているのを感じます。

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