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人生の大半は過程にある

"YES" or "NO"で時代は進むが、
答えを生もうとする思想に費やす過程に、
人間は人生の大半を使う――——その答えとは‥‥‥?


これはおそらく自問自答した時に
書いたものだと思われますが、今見ても、
その答えとは何だろうと思ってしまいます。

これから再びその答えを求める旅に
出ることにします。

自分の言葉ではあるが、疑問に関する意識的
問題であるためか、実に難解なものだと言える。

まずは私自身が人間の人生に意味があるのかと
いう思いから来ているので、答えを探している
ようだ。

これを書いた時、私は人生の無意味さを知って
しまった時だった。その時間は現実的にも5年
以上あったが、精神的に感じる時間はその10倍
のように感じた。

それが何故なのかは分かる。
映画「インセプション」を見た時、同じ発想で
私は物事を考える方法取っていた。

「インセプション」では物事を考える事には
使われていなかったが、似た部分の1つとして
感じたのは、夢の中での時間のことだった。

夢の中での時間は非常に長く感じることが多い。
それは思想の産物である夢から夢へと一瞬で
飛ぶ事により、実際の時間よりも長く感じる
ことは分かっていた。

私の場合は、「インセプション」のように町や
何かしらの建造物、地球等の現実的にあるもの
を少しずつ作っていく感じで、パズルを埋めて
行くようにして少しずつ完成させていく事を、
現実の世界でしていた。

今の私の現実は実にそれに近いものでもある。
しかし、分からないものだと断定した場合は、
他にも色々ある問題へと飛ぶ方法を取るため、
無駄な時間は出来るだけはぶくようにしている。

この文章から相当追い込まれている自分が
見えるが、多くの場合やこの場合でも同様に、
精神的に立ち直った場合、古傷のように傷痕は残るが、
その痛みは確かに体験したものであるが、
痛みを感じた時の現実は覚えていないのが特徴的である。

確かな痛みは残る。しかし、それを思い出す事は
精神面ではそれを緩和させようとする自覚症状では
無い心がそうさせる事によって、心の痛みを和らげ
ようとする。

当然ながら、個人個人にはキャパシティーがあるし、
人生に於いて、特別な痛みである場合でもまた変わって
くる。誰しもに当てはまる事は殆ど実際には無いのが
現実である。

これにより、実に難しい分野になる。体の病気とは
別格的に難しいのは、個人個人の性格や精神力、思想
等が入るので、体内の臓器に関する病気とは全く違った
ことになっていく。

私のこの文章はそれを解こうとしているのは覚えている。
人間が何故、存在しているのか? を真剣に考えた末の
言葉だった。

"YES" or "NO"で時代は進むが、
答えを生もうとする思想に費やす過程に、
人間は人生の大半を使う――——その答えとは‥‥‥?

私は過程にこそ人生が存在すると思っている。
結果は答えであって、あくまでも過程の結末に
過ぎないものだと考えている。

答え、つまりは偉人の言葉のようなものも
含まれるが、それを体験し、更にはそれにも
負けず、自分の心に打ち勝ち、そこから答えや
思想が生まれてくる。

辛い体験は誰もがすることである。
その度に、辛いやキツい等の文句を言っても
何も進まないし、逆に答えから遠ざかるとも
言える。

基本的には向き合う事が大切になってくる。
自分であったり、自分の中で迷いが生じている
そのものに対して、言い訳はせずに直視する
事が始まりとなる。

この時点で多くの脱落者が出ているのが現実で
ある。

昔、地元の飲み屋で私は独りで飲んでいた時、
たまたま叔父の会社の社員数名が話をしていた。
私がまだ20代の頃だった時、その人は45歳くらい
だった。その人が飲みながら、
「もっと頑張れば班長になれてたかもしれなかった」
と愚痴をこぼしていた。

私がその言葉を聞いた時、最初に思った事は何とも
小さい器だと思ったことだった。

班長とは大勢いるものであって、5人から10人を
まとめる役職であって、45歳くらいからでも
頑張れば充分なれることに対して、もう諦めていた。

私に欠けているものは、一般常識的な事がよくある。

例えば、遊びに行く時に、迎えにきた先輩の車の
後部座席に乗ろうとしたら、「社長待遇かよ」と
言われたりもしたが、逆に前に乗る方が偉いのだと
思っていた。

タクシーや運転手さんが運転をする場合、自然と後ろ
に乗っていた事から、それが当たり前だと思っていた。

他にも初めて人の家に行った時、トイレが1つしか無い
事に対して、「男子トイレは?」尋ねた事もあった。

昔ながらの金持ちの家では、トイレは男女別々にある
ものであったため、祖父の家も父の建てた家もトイレは
別々にあった。

父に至ってはクレジットカードの存在も知らない
お金の出し入れは銀行員がするものだと思っていた。

このように常識的な事の一面では、全く知識にない事が
数は多くは無いが起こる事はある。

今、ふと頭を過ったのは、
こちら葛飾区亀有公園前派出所」でのザリガニを
捕まえに行く時のシーンで、中川圭一と
秋本・カトリーヌ・麗子がザリガニはロブスターの
子供だと思っていた事だった。

しかもロブスターと同様に海で取れると思っていたが、
田んぼで取れる事に二人は衝撃を受けていた。

シャーロック・ホームズでは「地動説」を知らない
設定になっていたり、当たり前が当たり前では
無いことが非常に目立つ。

その辺りも含めて考えてみると、

"YES" or "NO"で時代は進むが、
答えを生もうとする思想に費やす過程に、
人間は人生の大半を使う――——その答えとは‥‥‥?

「時代は進むが」の「」は打ち消しの意味を
持つものである。これは日頃から思っている文明は
進化するが、人類そのものに進化は無いという持論
を入れてあることが分かる。

「答えを生もうとする思想に費やす過程」という
言葉には短い時間では無い意味が込められている
事が分かる。どこでそれを分かるかと言うと、
答え、生もうとする思想、費やす、これらの言葉は
それぞれが短い時間を打ち消している事から、
全体的に長い時間が過程には必要だと言っている
事が見えてくる。

そして、それらの言葉をまとめる形で、
「人間は人生の大半を使う」と結論付けている。
事実、過程にかける時間は誰もが長いものである。

しかし、1つや2つでは無い。能力によってその差は
想像できない程の差が生まれる。

その答えは今の私には分かる。
私自身もその為に再び生きる事を決めた事でもある。

しかし、これが絶対的なものでは無いものである事を
忘れないで欲しい。
人間にはそれぞれ考え方は異なる。
人や本やネットの言葉に惑わされる程度の考えなら、
無意味に近いものではあるが、体験をして自分なりの
思想を持っている人は、なかなか揺らぐ事は無いだろう。

私はいつも書いている時に、あくまでも一例として
書いている。世界の人口、国による違い、宗教、発想、
思想、全ての面において、それぞれが意見を持っている。

自分の答えはあくまでも自分から引き出さなくては
ならないと私は常々思っている。それが過程でもあるし、
考える事に繋がりを見せるものだからだ。

答えは未来に繋げるために、自分自身を活性化させ、
いつか自分が幕を下ろす時まで頑張り続ける事だと
今はそう思えている自分がいる。

もっと思慮深くなれば答えも変わるかもしれないが、
今の結論としてはそれが答えと言えるだろう。

それが答えならば、現時点では力を入れているので
未熟では無いと言えるだろう。


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