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自らの運命を駿馬のように駆け抜けた坂本龍馬

“夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る”


この言葉から私が連想されるのは、長州藩、薩摩藩、
そして坂本龍馬の実の姉だ。

坂本龍馬の人生は激動そのものだった。

若くして死んだが、理想を追い求めてやまない
満足のいくものであったと私は思う。

生死に関しては、意見の別れるところではあるが、
彼はそれほどまでに命を狙われていた。
いつ死んでもおかしくなかった。

そしてこの言葉で私が何故、その三つが頭に浮かんだかというと
徳川幕府が大政奉還をして、振り上げた刀の落とし所を
無くなってしまった長州藩、薩摩藩の中には坂本龍馬は敵として
見るようになってしまった事にある。

そして坂本龍馬は、地元の土佐藩の外様大名の山内容堂。
そして後藤象二郎、乾退助(後の板垣退助)

この両名は最後のほうで坂本龍馬の名のおかげで、薩摩藩、
長州藩の仲間に入れてもらった立場で土佐藩は入った。

しかし、後藤象二郎と乾退助は土佐藩でひどい扱いをしていた
郷士という身分だった、実質奴隷である者たちを切腹もさせず
勝手に処刑した。

土佐藩で坂本龍馬の家は身分は低いがお金持ちではあった。
土佐藩にも多額のお金を貸していた程であった。

坂本龍馬は黒船で土佐の桂浜に行き、牢屋に入れられている
旧友の武市半平太を処刑したら土佐に砲撃すると脅しをかけた。

土佐では奴隷の身分の者が黒船を操ってきた事は、
簡単に言えば、一般市民が自家用ファルコンで、
昼食にピロシキが食べたいからウクライナに行くようなものだ。

そして乾退助、後の板垣退助であるが、若い時は奴隷身分である
坂本龍馬をよく虐めていた。当然他の郷士の者たちも酷い扱いを
受けるのが、当たり前であり、坂本龍馬の父親くらいの世代では
命令されること自体に対して光栄だと思うほど劣悪な長い時代
は続いていた。

土佐藩の中で、坂本龍馬の名は売れた。
そして武市半平太は郷士よりも少し身分の高い白札郷士として、
幕末の世界に飛び込んでいき、岡田以蔵などを使って
多くの要人を暗殺した。

あの頃の武市半平太は今考えても、
どうにも出来なかったとしか言えない。

彼は山内容堂に心酔していた。
坂本龍馬も土佐藩に帰らないよう説得に行ったが、
皆、勘違いしている、容堂公を誤解していると言って
土佐に戻ったが、すぐに投獄された。

理由は山内容堂を敬愛していたが、
山内容堂の恨みは、頼りにしていた吉田東洋を暗殺された事だった。

ここにまず容堂の心を完全に勘違いしており、
武市は東洋に対して容堂の邪魔な存在だと思い込んでいた。

暗殺を命じたのは武市半平太だと分かっていたが、
その頃には武市半平太の名は長州、薩摩にも知られた名前で
あった事から、いくら郷士と言えども、理由なく殺す事は
出来なくなったが、容堂の恨みは増すばかりであった。

「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と呼ばれるほど
山内容堂は状況次第で、強い方についていた。
基本的には幕臣としての忠誠は高いものであったが、
信念の無い人間だった。

そして時代は残酷にも佐幕派が強くなった。
長年の恨みから容堂は即座に武市半平太の切腹を命じた。

そして山内容堂は後藤象二郎、乾退助に、
坂本龍馬も旧知の友でもあった武市半平太に切腹させた。

実に複雑な世界の中で坂本龍馬は土佐藩を脱藩した。
脱藩は当時の土佐藩では重罪である。
馬に乗る事も禁止されていたほど、酷い扱いを受けていた。

彼には姉が三人いた。大きい姉がいて彼女は
土佐藩の郷士たちに食べ物などを隠れてあげていた。
郷士とは白い米も滅多に食べる事の出来ない人たちだった。

坂本龍馬はその姉と手紙をよく送っていた。
後藤象二郎に会いながら、坂本龍馬は後藤象二郎を
許して手を結んだ。

これを知った姉は龍馬に手紙を送り、
皆の期待を裏切ったのはどういうわけかと問い詰めた。

龍馬は返事に、要約すると、

「小さな恨みに囚われず、土佐だけではなく
日本からみたらわかるのですが、失礼ながら、
姉は小さな事に囚われていて、今の大局を見れてない。
私は大局をみています」

と言うような内容の文書を姉に送り返した。

そして大政奉還における地位を、坂本龍馬は人生の幕を
閉じる時を知っていたかのように、
寝る間も惜しんで龍馬の思う新政府の肩書を書いた。

坂本龍馬は皆に嫌われていた、陸奥陽之助(陸奥 宗光)を
高く評価していた。

彼は大政奉還における地位で、自分の名前を入れなかった。
坂本龍馬は海に出たかった。世界を見たかった。
そして薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通にそれを見せた。

陸奥陽之助はこの時の様子を、
死ぬまで何度も色々な人々に伝えた。

まるで自分事のように彼の凄さを語った。

坂本龍馬の名前がどこにあるか、探しても見つからず、
当然高い地位に自分の名前を書いているものだと
誰もが思っていた。

その時の西郷と大久保が、如何に小さな存在に
見えたかを語っていた。

坂本龍馬は間違いなく一番重要な役目を果たした。
それは日本を救う事であって、日本で内戦になれば
海外からも参入され、酷い状況になる事を心配していた。

問題は坂本龍馬が知らない所にあった。
彼は先進的な人物であった為、土佐藩から脱藩をした。
これは死罪にあたる罪であった。

そして土佐藩から度々、土佐に戻るよう通告して
きていたが、全て無視して、勝海舟の海軍塾に
逃げ込んだりしていた。

土佐藩の者たちは引き渡しを要求したが、
勝もまたこれを無視した。

しかし、こういった事が出来たのは坂本龍馬くらい
でしか無かった。他にも坂本龍馬と行動を共にしていた
土佐藩出身の郷士たちにも戻るよう手紙が送られてきていたが、
坂本龍馬は無視するように強く念を押した。

彼は自分の価値を知らなかった事が、暗殺、そして後々にまで
それらは及んだ。

彼の死により、多くの犠牲が生まれたのは事実だ。
妻にしたおりょうも犠牲者の1人であった。

彼女は坂本家に入ったが、毎日、坂本龍馬の好きだった
曲を一日中弾いていた。
そのため、坂本家にも居づらくなり、その後は酷い有様で
死ぬまで過ごした。

西郷隆盛もまたその1人であった。
薩摩藩の中で立場上、親友であった大久保と対立する
事になり、彼は追い詰められ自害した。

坂本龍馬の愛した日本では無い日本が、龍馬の死によって
現実のものとなった。

彼はカリスマ性も高い人物であったと思われる。
よく人から慕われ、味方も大勢いたが、逆に嫌う人も
いた。自分の価値を浅く見ていたので、自分の死によって
日本が荒れる事になるとは知らなかった事が一番の
犠牲でもあったと言える。

幕末のようなといえば語弊になるが、
日本にもその時代が近づきつつある。
日本中を飲み込む程の大きな高波がどんどん近づいている。

今回は私的な分析をしてみたが、手は一つだけ見つけた。
日本には実はまだ手付かずの大金がある。

高齢化社会になり、その額は更に増えつつある
相続者がいないお金や、芸術品等がお金に変えられ
山のようにある。

もうかなり前からこのお金を運用すべきだと
言っている人もいるが、反対者もいてそれに手を出さずに
いるのが現状だ。

誰のお金でも無い事は確定しているのに、
そのお金を使わないというのは、今の深刻な日本に対する
内戦のようなものでしかない。

まあ、これは対立して味方を増やそうとする昔ながらの
やり方ではあるが、今の日本には通用しない。
まだ数年は持つとは思うが、問題もそれに伴い増え続ける。

今の世に多くの優秀な人間がいることを私は心から願う。

決して良い人生を送る事は出来ないが、自己犠牲心のある
誰がか、或いはAIによるものからかは不明ではあるが、
一度は崩壊しかける事はもう避けられない。

問題は立て直す事の方が難しい事にある。
その時に大勢の人間の真の心が見え始めるだろう。

今の日本政府は当たり前の事をしているだけであって、
当たり前では通じない現在となった時には、非凡なやり方
でいかなければ、絶対に通じる事は無いものだと言える。

ブラット・ピット主演「Z」の中に出てくるインドか
あの辺りだったと思うが、「11番目の人」と呼ばれる
人物がいた。

10人が同じ意見であった場合、10人とは違った目線で
物事を捉える役目の1「1番目の人」が日本には
必要不可欠な存在であると私は思う。

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