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今のような時代だからこそ、目標を掲げて進んでいこう

私は書き手になるまでは、
書く事の難しさを知らなかった。

noteで書き始めて1年と1カ月経った。
この1年間は今まで体感で感じる時の
時間の流れを一番早く感じた。

時間は絶対的に一定速度を保ったまま
進んでいく。
しかし、体感で感じる時の速度は、
何をしてるか? どう過ごしているかで
全く変わってくる。

すぐそこにある事に対しての待つ時の時間は、
長く感じるものであるが、何かに打ち込んで
いる時は、何故か一瞬のように時に置き去り
にされたような感覚になる事がある。

この1年は充実したと言えるのだろうか?
自分自身しかその答えを出す事はできない。
充実はしたと思うが、絶対的にかと問われると、
心という口は閉じてしまう自分がいる。

つまりは充実はしたが、もっと頑張れたのでは
ないか? と自分のどこかで思ってしまっている。

書き続ける事によって、言葉の扱いに長けるよう
になれるとは思ってもみなかった。
事実として言えることは、文章力は花の種を植えた
ように少しずつではあるが、目で見えるもので
あることもあり、確かな成長はしていると自分自身
では思っている。

だから私は、じっくり本腰を入れて、心に不安という
猛獣を飼いながら書き続けることにした。
不安はいつでも感じている。

この不安は人によって違いがあると思う。
私の場合は、自己啓発の念を忘れずに、書き続けると
決めた。私は臆病だから、自分の得意分野を入れた
のだと思う。

哲学をエッセイとして書く事により、最初は持論を
書いていたが、持論は自分で理解している程度の
ものでしかないと気づいた。

多くの意味のある言葉を理解はしっかりと
受け止めるように、何度も何度も考えた末の言葉を
書くようになったのは、言葉を文字として伝える
ことの練習でもあった。

書き続けるうちに、偉人たちの言葉は絶対ではないが、
哲学の基本を伝えれない事を承知で、何とか伝えようと
している人達は大勢いる。

しかし、伝えれない事は本人たちは分かっているので、
敢えて分かりやすいような言葉で残している。

そこは落とし穴とも取れるもので、間違った解釈を
してしまったら深い落とし穴に落ちてしまう。
しかも、軽く読んだ程度では、その罠にかかりやすい
ので、間違った解釈をしている人は大勢いる。

政治家の多くは、意味を理解せずに使っている。
だから分かっている人からすれば、自ら愚かな事を
訴えているのだと感じてしまう。

日本人の多くは愛国心というものがあまりない。
それはあまり良い事ではない。
信じる気持ちの大事さや、優しさを感じとる
事を難しくするからだ。

心が良いもので満たされてなくなってきている。
良くないものというのは、自分の中でしか育たない
良心のようなものだと解釈してもらえればいい。
人にとってそれは大事な事だと私は思っている。

人は天気次第で心が変わるほど、繊細なものである
反面、強く願う事に対しては、それが善悪の判別が
つかないものであっても、変わらず持ち続ける事が
できる。

当然ではあるが、悪より善のほうがいい。
悪は人を│陥《おとしい》れるようなものでしかないが、
善は違う。善の心があれば、人に優しくなれる。
困っている人を助けたり、時には命さえも救う事にも
繋がりを見せる。

人が人を助けようとする姿を見ると、人はその人を見て、
親切な人だなと感じる事はできるが、自分では
そうしようと思わないのが普通である。

あくまでも、それは自分の普通でしかない。
大きな視野で世界を見れば、命懸けで大勢の人を救う
ために自分自身は死んでいる。

それは我々の目が届くことは無いが、そういった勇気
ある人達がいることは知るべきだと思う。
知ったからといってどうなる? と思う人もいるだろう。
それは世界をみていないからそう思うだけであって、
間接的ではあるが、物価上昇や品自体が減りつつある。

品物を作るに至る素材が無いから物価は高くなる。
大きな視野で世界を見ることは非常に大切ではあるが、
まずは自分の周りから見て行くのが良いと思う。

直接的に自分から率先して、自分がこれまでは
見て見ぬフリをしてきた事をするだけで、心は大きく
変化を見せる。これもある種、体験しなければ分からない
事である。

私は昨年末に思っていた事は、今年よりも来年の方が
大変になるのに抱負など言うだけであって、それを
本気で成そうとする人はいないだろうと思っていた。

でも、今、書いていてそれは間違いだと思った。
目標は来年だけで達成できる事は無いが、
何かしらの成長を果たすために、目標を立てる事は
大切だと思った。

元々、今年よりも来年は書き続けていくとは決めて
いたが、それだけでは去年とあまり変わらない。
1年や2年で成そうとしようとしている事自体が
間違いである事に気づいた。

もっと困難なものであると最初に知るべきだった。
しかし、実践しないと分からないものでもあった。
だから知らなかった。

実践して、その難しさを知った。
だから今年も書き続けるのは当たり前であって、
それに加えて何かしらを足していこうと思う。

今月中には確かなものとして、実践していく。
急ぎ過ぎず、遅くもなり過ぎないように
気を付けないと、その何かは自分を満たすもの
では無くなるので、そこだけは気を付けて決める
つもりでいる。

急ぎ過ぎれば、焦りから本当に求めるものでは
なくなってしまうからだ。
遅くなり過ぎると結局は、早く決めないとと焦り、
自分が求める確かなものでは無くなってしまう
からだ。

私は今年はおめでとうとは言わなかった。
私は自分で掲げる目標を達成するまでは、
おめでとうとは言わないと決めたからだ。

ただの挨拶程度になってしまった「おめでとう」は
無意味に近いものとなってしまった。
だからこそ、本当にめでたい時にだけ使うと決めた。




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