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不滅の心で挑むマイケル・ジョーダン

“一度でもあきらめてしまうと、それが癖になる。
絶対にあきらめるな!”


この言葉は誰もが経験したことが
あるだろうと思われる。

この言葉から察するに、
彼自身も二度は諦めた事があったが、
三度目にしてこのままでは癖になると
気づいたからだろうと言える。

この言葉は事実であり、人は諦める癖
だけでなく、癖というものが定着すると
自己啓発、成長、思想力、等もその時点で
止まってしまい、人間力も失われていくこと
になる。

そしてこの“絶対に諦めるな!”というのは、

頑張る事を諦めるな!という意味を持つ。

この言葉は全て、自分自身との闘いでもある。
自分に如何にして勝つかが決め手となるものだ。

漫画などでもよく目にするが、自分自身は自分で
あるため、それを乗り越えるためには、今の自分
よりも強い信念を持って、その諦めようとする心を
封じ込めなければならない。

これは何事に於いても通用する言葉であり、
人生の過程の中でも、多くの時間を割く事の1つで
あると言えるだろう。

そのため、諦めてしまう人は自然と多くなる。
これが人間にとっての苦悩と呼べるものであるが、
人生には苦悩はつきものだ。

だからこそ乗り越えなければ、想い描いていた未来は
消えていく事になる。
マイケル・ジョーダンの言葉の通り、彼は一度とは
言葉にしているが、体験をしない限り、それを知る
事はできない。

私も過去に二度、自分に負けた時、三度目は無いと
思った。三度目も自分に負けたら、もう一生自分に
勝とうという気が失せると感じてからは、
自分に負けないで生き続けている。

今ではもうそれほど苦も無く、
自分に打ち勝つ以前に諦めないという心が
根付いているため、今のところは自分自身と
闘わずして自分の抱く信念を貫いているが、
またいつ、自分自身と闘うほどの苦悩が来るのかは
解らないが、必ず来ることだけは分かっている。

人生はそれほど甘くない事を知っているからだ。

とは言え、知っていても、何度も体験していても、
楽な道では無い事は確かである。

日常における事に関しても、簡単にはいかない。
自分という人間を確立させて、自分に負けないという
強い気持ちを、そういった時には心の中で唱えるように
して、自分を奮い立たせることにより、困難な問題に
真正面から向き合い、絶対的に乗り越える。

横道等に逸れずに、正面から立ち向かう事が大切になる。

マイケル・ジョーダンの言葉は常に正面から向き合う
言葉が多くある。
だからこそ、気持ちの良さが滲み出ているが、彼も他の
誰もが言葉で言うように簡単に、打ち勝っている訳では
無い。

苦難な道のりを越えたからこそ、言葉に出来るのである。

気持ちの持ちようという言葉はあるが、その程度だけでは
難しいものである。

彼らが言葉にして後世に残したものの中には、
軽はずみな発言は殆ど無い。

それは彼らの体験により、未来にも伝えたいと思うほど
恐ろしくもあり、現実的な結果や行いに対しての答えは
事実であり、大切な事であることから自分自身の体験を、
言葉として残したのだと言える。

当然ながら我々が初めて体験した時に、これらの言葉は
まるで生き返るようして脳裏を過るが、初めてなので
言葉を知っていても失敗する事はよくあることになる。

しかし、その失敗は言葉を噛みしめるように、体験した
事により、息吹を得たかの如く、その事に対して理解は
深まる。

そして失敗を糧にして、二度と失敗しないよう心掛ける
ことが大切である。

そこで諦めてしまうか、再び立ち上がれるかで、人生を
大きく変えることになっていく。

打たれ強さがある人間は、少々の事では全く怯まないが、
諦めてきた人間は、少々の事でもどうしたらいいのかが
分からなくなってしまうからだ。

今、現在、我々に降りかかって来ている事は、
過去に全て起きた事である以上、その過程の後の結果を
知ることができる立場にある現代人は、それを活かす事
こそが何よりも大事だと言える。

ソクラテス等の時代から人間の思想の歴史は4千年以上
経っている以上、文明的には進化しているが、
人間そのものは同じ事を繰り返してきた事を見ると、
人類には進化はほとんど見られないと私は考えている。

だからこそ、過去に言葉を残してきた人たちの言葉と
過程を、私は大事にしている。

本当の意味を理解する事で、その言葉を残した人の思想や
結果を知ることができるからだ。

最初は本当の意味に気づきにくいものではあるが、より深く
その言葉を噛みしめることで、残された言葉は脈打つように
本当の意味を述べてくれる。

マイケル・ジョーダンの言葉も一見しただけでは、彼が何故、
そこまで言うのかも理解できる。
言葉の裏には必ず体験した事が描かれている。

彼らは誰もが体験を経て言葉を残している以上、
それは事実だと受け止めることが、彼らに対する礼節だと
私は認識している。

偉人と呼ばれた人たちをただ称する事はあまり意味は無い。

しかし、残された言葉は彼ら自身の人間性や人物像を
表している。それは彼らが生きた証とも呼べるものである。

だから私は彼らの言葉を大切にしている。




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