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人は痛みに耐えて成長を果たす


この言葉は誰とは言わずとも、
多くの偉人たちが言っている言葉である。

目指すべき先には闇しかない。
そして誰もいない暗闇が広がっているが、
目を凝らして見ると針の穴ほど小さい光がある。

そこまでどのくらい長い暗闇の道が続いているか
想像もできない。

自分の目指すべき道は、
遠くて怖い長い道が続いている。
そこには誰もいないが、自分自身で望んだもの
である。

簡単には慣れないが、何よりも頼りになる
夢と希望を秘めている。

それは挑戦であり、自分の定めた未来である。

その道を通るしか、
自分の未来は掴むことは出来ない。

多くの人が夢を諦める時が来る。
その数は途方も無く、光に近付けば近づくほど、
夢が夢で終わった人たちが死んだように、
眠りについている。

しかし、自分の夢よりも
大きな物を手に入れる場合もある。

人生は何が起こるかは分からない。
それは大嵐の時もあれば、
見渡す限りヒマワリが広がる爽快な時もある。

暫く、その光景を見つめて、再び光を目指して
歩き出す。

人は時に疲れ果て、
時として、幸せという幸福に満ち溢れる事もある。

だからこそ生きていける。
生き甲斐があるからこそ生きていけるのだ。

それを手に入れる事も簡単では無い。
自分の視界の広さが必要になる。

それは心の広さであり、
色々な自分の体験が生きて来る。

そして自分の成長に気づく。
その時は実に感無量な喜びを味わえるだろう。

そうして、その生きてきた証に人は夢や希望を
見出していく。
現実的に近くにそういう人がいるだけで、
夢は夢で終わらないものだと示すことが
できるからだ。

自分自身は知らないが、周りには大勢の人が
あなたを見ている事になるだろう。

あなたを見て、誰もが
勇気や諦めない心を知る事ができるからだ。

進撃の巨人の自己犠牲心を
必要なら即断出来るエルヴィンや、
その心を汲みながらも、
最も理解者で友でもあるエルヴィンに対して、
死の宣告を頼むリヴァイ。

彼らはまさに英雄である。

私はいつも言っているが、
漫画や映画やドラマの世界は実在する。

そういった事は現実に起きてはいるが、
気付けないだけであって、
現実的にそういった行動を取るには
自己犠牲心は欠かす事のできないもので
あるからだ。

現実世界でそうした人が見えるようになれば、
確かな眼力が身についたと言えるだろう。

しかし、それが見えるようになるには、
自分自身もその世界に飛び込まなくては
見えないものである。

つまりは自分自身を犠牲にして
その辛さに耐えなければならない。

現実でそういう行いをした結果、
酷い事になっても誰も助けてはくれない。

誰もが視線を逸らして、あなたから離れて
いくが、最初が一番辛い時だから耐えるしか
道はない。

何故なら自分自身で決めた道であり、
その道は大勢の人が避ける道だからだ。

あくまでも自分自身のためにするのであって、
他人の理解など求めてはいけない。

進撃の巨人では、全てを見ることができるから
カッコいいと思えるだけであって、
漫画では多くの事はカットしている。

それこそが人間にとっての過程である。
彼等も最初からああいう人間では無かった。

それは漫画の部分にも少しは書いてあったが、
現実ではその過程の時間は、一番長いものに
なる。

最初は誰にも理解されず、立派な行為であって
も、人は避けていく。
人は行為自体に関しては褒めるが、関わり合い
にはなりたくない生き物だからだ。

しかし、それにも負けず、自分自身の生き方を
貫こうと決めた人には、時間はかかるが、
周囲から認められる存在となる。

何度も言うが、全ては自分という人間が
どう生きていきたいかの問題であって、
他人から注目されたい等の思想でやるなら、
やらない方がいい。

必ず諦めることになるからだ。

しかし、自分がそうした生き方をしたいと
思っているのであれば、そのために頑張る
ことができる。

最初は辛くて悲しい道であるが、
そうした行動は警戒心の高い人達にも、
徐々に人格を肯定してくれだす。

人助けなども同様である。
助けるのは自分という人間の人格を作る
過程であったり、人助けは当たり前の行為
である事をしっかりと理解した上で、
行動に移すべきだ。

仮に自分では無理だと思ったら、
すぐに警察に電話をすればいい。

とにかく逃げ道を選択しないことが、
自己啓発の道と言える。

困難な道は想像よりも遥かに辛いもので、
大抵の人はどこかで挫折してしまいます。

だからこそ強い信念が必要になります。
自分を育てるためには、多くの犠牲を
払うことになるので、心構えをしっかりと
根付かせてからやらないと、
途中で辛さと疲れで、脇道にそれていきます。

真の英雄とは、そうした陰の絶大なる苦労が
常につきまといます。
しかし、自分自身を英雄等とは思う人は
実際には少ないです。

周りから評価されるだけであって、
自分自身は死ぬまで、そうして生き抜くと
決めている人が多いのです。

唯一つ確かな事はあります。

自分の人生をしっかりと生きてきたと
死を目の前にしても、そう思える事だけは
確かなものだと言えます。

自分の人生の分岐点で、常に苦難の道を
選択してきた事は、自分自身を大きく成長
させるので、満足して死ねる事だけは
確かです。

一時的に名前を売ろうとしているような
連中とは違い、名前を売ろうとしなくても
正しく信頼のおける人には、自然と名前は
知れ渡ることになります。

私は選択肢があることを伝えるだけです。
どの道を選ぶかは自分自身で決めなければ
ならないからです。

自分の人生である限り、自分が選択し、
実行し、生き甲斐を見つけ、満足のいく
人生を歩めるかどうかは、自分で進むしか
ないのです。

偉人たちの多くは、死ぬまでそうして
生きていました。
死が直前まで迫ったとしても、
人生を諦めず、自分という人間を
貫いたからこそ、後世にまでその名は
消える事無く残っています。

スパルタの語源である王のレオニダスは、
自ら死地に向かい、死を前にしても恐れず、
最期まで戦い抜きました。

だからスパルタ人からスパルタという
言葉は消えず、王の死に様に感銘を受けた
戦士たちによって、王の死後、勝利を手に
しました。

レオニダスは王ではありましたが、
政治と同じで複雑で、預言者たちの言う
ことに従わなければならない国でした。

しかし、預言者たちは敵に買収されて
いたので、勇敢なる戦士300人を護衛と
称して、戦地におもむきました。

彼等は勇敢に戦い、大勢の敵を倒して、
最後まで王と共に生き、そして死にました。
それは彼等にとって、最高の幸せと言える
ものでした。

王が立派であったからこそ、そうした精神
が育み、敬意を表して従いました。

時代は変わっても、そういった精神は
形を変えて残っています。

それに気づくには、まずは逃げ道を選ばない
事から始めるのが正しい道になります。

一度の人生をどう生きて、どう死ぬかは、
他の誰でもない自分自身で決めるのです。


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