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悲しすぎる実話 8

人は何故か、金持ちに対して良い事ばかり考える。
それは真実が言えないからでもある。
私はその世界をぶち壊す事を、中学生の時に誓った。
真っ黒に染まった親族たちと私は闘うことになったが、それまでの道のりは
長く険しく、絶望が常に傍にある人生だった。
私は多くを知り得る立場にあったが為、多くの生があるだけで死んでいる人たちを見すぎた。
彼らのようになるつもりは無い。
私の命1つで捜査に乗り出してくれるなら、本当に安いものだ。
命を軽く見ているのではない。熟慮の結果その道が最善だと分かった。

ある日、父が私に言ってきた。
「〇君の結婚式に我が一族の代表として行ってくれ」と軽々しく言ってきた。私はその見合いがどうやって成立したかも知っていた。

昔は男が跡継ぎだと言う思想があった。
その為、叔母は男の子が産まれるまで、子供を産み続けた。
4人か5人目でようやく男の子が産まれた。

彼はプレッシャーにあまり強くなく、勉強があまり出来なかった為、
3浪して、予定よりも一つ低い大学へと進んだ。
跡継ぎにさせる為、よりよい大学に行かせる事が目的であり、
勉強の云々《うんぬん》は一切関係無かった。

彼は跡継ぎの為だけにこの世に産まれた。
しかし、出来の悪さから、跡継ぎは長女に決まった。
基本的に私の記憶にある者の中で、恋愛結婚したのは一人だけだ。
当然のように、勘当された。それは今でも当たり前の世界なのだ。

跡継ぎで無くなった彼の使い道は当然、定番の政略結婚の道具に使われる事になった。見合いでは無い。政略結婚だ。見合いの場合もあるが、彼は完全な政略結婚の道具として、結婚する事になった。

私からすれば相手の女性も可哀そうだ。最後まで嫌がっていたらしく、条件をつけてきた。その条件とは『12時以降でないと帰って来てはいけない』
というものだった。つまりは一生合わないというのが前提だった。
背も低く見栄えは正直良く無い。しかし彼の道はそれしか無かった。

父はいつものように厄介事を私に押し付けてきた。私は言った。
「政財界や芸能人たちが皆、笑顔で拍手するような大嘘つきどもと俺は違う。拍手もしないし、笑顔も出さず、酒だけ飲んで帰る事になるがそれでもいいなら行ってやる」

父は黙り込んで、何も言わなかった。
こういう世界で正しく生きるには、信念を以て生きるしかない。
妥協は一切許されない。何故なら一度でも許せば、転がり落ちるだけだからだ。

#未来のためにできること

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