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習慣とは人生を形成していく

私は日々、五つ以上の新しい事を習慣としています。

その他にも習慣というか自分との約束もしてます。
これを習慣というのかは難しいので、
考えてみる事にしました。

まず、
一つ目は、嘘を限り無くつかない。
二つ目は、約束を守る努力を出来る限りする。
三つ目は、自分に負けない。
四つ目は、しっかりと頑張ったと言えるように生きる。
五つ目は、自分から死への道は選ばない。
六つ目は、お酒を断つ。

今、考えた時、これらのうち、5番目と6番目は
カウンセラーさんと約束したことです。

一つ目、二つ目は、私が父母や親族から受けた
憎しみや苦悩を、自ら味わった事で
人生を見失いかけたことでした。
最初は殺意や怒りに呑まれていましたが、
色々な事を経て、そうなるべきでは無いとして、
今があります。

三つ目は、昔に自分が自分に負けた時に、
ここで踏ん張らないと、もう二度と自分を
見失うと思った時から負けずに生きてきました。

四つ目は、ただの頑張った時に感じる喪失感を
感じる場合は、しっかり頑張ったと言えない事だと
認めた上で、自分自身で、今日も頑張ったと言える
ようにするために、私自身で入れました。
これは自分に対しての自分で決める事なので、
難しいものではありますが、やはり達成感の違いは
感じることが出来るので、そこを目安にしています。

それを決めたのは、この中では一番新しいこと
ではありますが、それでも3年ほどはそうしています。

頑張れなかった日があった時は、
次の日に、自分で自分に、それでいいのか?と
心に問いかけて、それでは1つ目と2つ目の事も
無駄になると自問自答して、幾つかの事を重ねる
事によって、自分で決めたルールに従っています。

何故、限りなくなのかを説明すると、どんなに頑張っても
無理な時はあるからです。嘘に関しても、自分のために
嘘はつきませんが、自分以外のための時に、嘘をつかざるを
得ない場面がある事から、そうしてはいますが、地元を
離れた今は、そういった状況になることは無くなったので、
嘘はつかないでいる事が出来ます。

簡単な例で言えば、町で私の父を知らない人はいない
状況下で、タクシー等に乗った場合、大抵、父の事を
聞かれていました。その際、死去したことだけ伝える
ようにしていました。

人は人の表面上しか普段は見ないため、肩書もあった
父などのような人に対して、世間の評価は高いので、
「優しい人でしたね」や「良い人でしたね」等に対して、
沈黙か、「そうですね」とだけ答えていました。
本来は化け物でした、そういった場合に嘘の必要性を
感じたので、出来る限り嘘はつかないとしました。

ルールは基本的にはこの六つになりますが、
自分を自分で納得させる時のために、一見、似ている
ようにも思える事ですが、細かく考えた場合、違いが
出て来るので、私を納得させるためには、逃げ場が
ないようにすることにより、

この重複させる効果は、非常に強力なものになるので、
最初からそのつもりで決めました。

習慣とは自分自身で決めるものでありますが、
人の影響を受けてから、始める人もいます。

私は習慣と自分で決めたルールは、限りなく近い存在
としていますが、別物としてます。

習慣は日常の中、続けていくうちに自然とするように
なるものに対して、自分で決めたルールの場合は、
習慣として身につける事は、非常に困難なものだと
感じています。

私は即断即決できます。お酒をカウンセラーさんに
もう飲まないと決めてください。と言われた時、
もう飲まないと、即答して決めました。

もう数年経ちますが、一滴も飲んでいません。
止める前日までは、ウイスキーのボトルを2日程度で
空けるほどロックで飲んでいましたが、お酒の力を
借りて人生から逃げていました。

ただ、現実的にどこかにストレスを発散しなければ
ならないのに対して、今、どこにストレスを発散
してるのかを考えた時に、いつの間にかnoteに
書く事で、これまでの自分では無くて、本当の自分を
探す旅に出ているような感覚で今も書いています。

私とって今、大切だと思えるようになったのは、
カウンセラーさんと歌と音楽と映画、それに加えて、
本来の自分とはどういった人間なのかを、
見つめ直しています。

私には、それを見つけるのは一つ目の人生が
あっただけに、非常に難しいものです。

これはカウンセラーさんと話していた時に
聞いた話ですが、人間が一番精神的苦痛を
感じる時は「親の死」だと、あくまでも
暫定的ではありますが、精神医療の世界では
そう言われています。

私の場合はこれは当てはまらない程の憎しみ、
憎悪を抱えていました。
人としてやってはいけない事を私は受けたため、
信じるべきでは無い人だと分かっていても、
人間が古来より誰が言い始めたのかは知りませんが、
「死を前にした人間は嘘をつかない」という、
ものと私の良心を利用して、私は完全に騙され
ました。

これだけであれば私の中の精神で消化する事は
可能でしたが、その話を父がした翌日に、叔父と
叔母が来る予定でした。

その際、私は父を警察に詐欺罪で逮捕してもらう
事を告げると、自分たちは私をずっと騙して利用
してきたのに、何を勘違いしているのか分かりません
でしたが、伯母は「お兄さんを警察に逮捕なんて
させません」と言いました。

私はそこで、何故、父親を警察に突き出すのかを
聞いてこない事に違和感を覚えました。
普通ならば、絶対に聞いてくるはずなのにと思い、
私は、私に支払われるお金を、父が自分で盗んだ
いたと言っていた事を伝えて、それまではずっと
父を筆頭に全員が支払わないつもりでいると
思っていました。

しかし、前夜、父は、
「お金は実は送ってきていたが、自分が使った」
と言いました。
この時、詐欺罪等で知り合いの警察に逮捕して
もらう予定でしたが、仮に逮捕される形になった
としても、癌になった高齢者を牢獄にいれる
ことは無いので、せめて罪を告白させて、謝罪だけ
でも本人の口からさせようとしていました。

しかし、人間性的には悪意に染まっている事は
知っていましたが、正に一瞬だけ変な目つきに
なった時がありましたが、その時は私は二人に
こう告げました。

「これまで協力しようとしなかったのは、自分を
ただ利用するだけで、本来、約束していた最低
賃金も支払われない事に対して、親子の縁は切った
けど、本当は叔母さんたちが私にお金を払って
いたと昨夜、父から聞いて叔母さんたちには罪は
無いので、裁判に協力する」と、

私は涙を流しながら謝罪しました。

それに対して、叔父と叔母は大喜びしていました。

裁判では叔母が一族の一人を詐欺罪で訴えては
いましたが、100坪ほどある家の中から色々な
探して欲しいと言われたものなどを、探すよう
私に頼んできました。

しかし、その訴えた相手は、ほとんど話を進めず
経費として1千万預けられていましたが、
2年ほどで無くなりました。

これに対して、伯母は医師会の弁護士を雇い、
即日、訴えたまでは良かったのですが、
問題の焦点となったのは、私でした。
私が実際に色々な問題を片付けていたのは、
近所の人や、父の唯一の友人であるおじも
作業場に来た事もあり、私だけが働いていて、
他の人は誰も働いていない状態でした。

その為、医師会の弁護士は私に話を聞きたいと
言っていたらしいのですが、その時にはすでに、
父はお金を払う気は無いと見て、私の方から、
「お金はいらないが、お前たちとは縁を切る」
と、伝えて、父はもう私に利用価値は無いと見て
承諾していました。

それから3カ月もしないうちに、叔母は裁判を
起こしたまでは良かったのですが、私がつく方が
勝つといったものになっていました。

叔母たちに対して、父はお金を払う必要はないと
言っていただけに、当然、そのことを頼んでくる
事はありませんでしたが、雇った弁護士3名のうちの
主軸となる女性弁護士さんは、私に会いに来ること
になりました。

私としてはもう関わるつもりは無かったので、
当日の前後3日間はホテルに泊まって、会う意思は
ないものとしました。

仕方なく父が女性弁護士と話した結果、弁護士さんは
私が何故会おうとしないのか理解して、
「被害者は一人しかいません。その方が被害者です」
と告げて、自ら裁判を辞退しました。

これはかなり異例な事で、医師会に所属している
弁護士たちは、患者との問題以外の全てに対して
起用することができます。
私用であっても格安で雇うことができるように、
医師会所属弁護士として雇われていますが、
この時、この女性弁護士さんは正常であったので、
私が被害者だと理解しましたが、
父を始めとする一族は、もう善意の心は残って
いなかったため、理解することはできませんでした。

そういう経緯があった後に、私を騙すために、
頭の悪い父は、人生で一番頭を使って自分がお金を
取った事にしても、牢獄に入る事も無いことも
計算して、翌日にくる叔母と叔父に、私が一体
どういうつもりなのか? 聞くことを知っていた
父は、それを回避させるために、前夜に私に嘘を
ついて、悪くない私を悪役にして、良心を利用して
裁判に出させようとしました。

まずは民事から入り、裁判をするとなると、
自分の人生は死ぬまで裁判だという事は理解して
いましたが、父の嘘により、私の良心はそれを
覚悟してでも、叔母たちがお金を払っていたので
あれば、協力すると決めていました。

仮にも甥が、涙を流しながら謝罪して裁判に
出ると言うのを直接聞きながら、大喜びしていた
全ては茶番に過ぎないものであって、父から話を
聞いて、私が悪いのだと思い込んでいたのですが、
人として絶対に有り得ない。

悪い人が悪くない人を騙しておいて喜ぶなど
私がその全ての嘘に気づいたのは翌日でした。

その時、白髪など無かった私は、翌日には、
白髪が目立つ程多くなっていて、もみあげ部分は
全て白髪になっていました。

当初は叔父と叔母、父は殺すつもりでした。
しかし、父は私が嘘に気づいたと知ると、
東京の叔父を広島に呼び寄せて、一番良い病院に
個室部屋を用意させて、面会謝絶として逃げました。

その時に、ハッキリと気づきました。
首吊り自殺した子供たちの心や、優秀で誰からも
慕われていた友人が壊れた事を、体験により理解に
達しました。

なので、体験しなければ何も分からないものだと
知りました。どんなに優れた頭を持っていても、
こういった精神的苦痛を理解するには、
体験しなければ、絶対に不可能なのだと。

海外ドラマの「クリミナルマインド」の初期メンバー
にギデオンという一番有能な人物がいました。
天才だと知られている若い弟子のような存在も
いましたが、やはり経験の差は埋められず、
誰にも犯人だと分からない人でも、犯人だと分かる
ほど優秀でした。

しかし、一度だけ、自分の考えとは違う答えが
正解であった時、彼は自ら引退の道を選びました。

その気持ちもよく理解できるようになりました。

以前の自分は確かに自分自身だったという自覚は
ありますが、権力に押し潰されそうになりましたが、
いや、一度は完全に押し潰された過去があるのは
現実であって、どこで区切りをつけるのがいいのか、
未だに答えを得る事が出来ないままでいます。

普通のと言えば、聞こえは悪いとは思いますが、
私の場合は普通とは程遠い別世界での戦いであった
ことが、一番の難題とも言えます。

非現実的な世界に生きた人でないと、その世界における
常識や、力の関係性、血族だというだけであって、
医者にならなかった私を見下す人たちもいました。

ソイツは表では名士で有名な医者でしたが、
裏の本当の顏は、何度も会う機会はありましたが、
目は口ほどにものを言うというように、
実際に完全に私を見下していました。

しかし、こんな無駄な血の力のお陰で、
私は今、現実の事を書く事ができます。

父母を始めとした一族では、
結果が全ての人たちだけでした。

過程など無意味だと思っていたのに対して、
私は結果も大事ではあるが、それ以上に過程の方が
大切だと思っていた為、その時点で考え方の違いは
感じていました。

しかし、父は自分だけのために生きていた事が、
現実として、自分に不要であると思うもの全てを
殺し、壊し、捨てました。

恐らくはこれまで医者になった人の中で、
医者しか入れない保険には絶対に入っていて、
掛け捨てですが、医者の場合、突然死などの
場合に色々と問題が生じるため、6千万円の保険に
入るのが普通です。
父も当然入っていました。

しかし、掛け捨てであるのに、自分が癌になると
保険も解約しました。家の中にある金目のものは
全て売って、自分だけのために、愛犬も毒殺し、
私には弟を殺すよう言ってきました。

私は記憶にはハッキリと残っていますが、
父が異常な事を普通に話しているのに対して、
弟を精神病院から出すから問題になると言い、
勝手気ままな母に、病院から出させるなと
言いました。

しかし、私も気づかないうちに、おそらくあの時、
父を見る目は、信じ難い悪魔のようなものを見るような
目をしていたのかもしれません。

父は話を切り上げて、それからは弟を殺すのを諦めた
のか、私には話を持ち掛けないようになりましたが、
父は医者になりたくてなったのではないと、晩年
話していました。

それは性格から見ても、当然のことでありながら、
言われた時に初めて知りました。
少し考えれば分かるはずの事なのに、
人助けは当然の行為だと思い込んでしまっていた
自分の愚かさを悔いました。

当たり前の事などこの世に無い事を、
現実的に知った時の衝撃は凄まじいものでした。

人は当たり前だと思い込んでいる事が、非常に
多くある事に気づいた瞬間でもありました。

現実に対して、それを嘘だと思うほどまでに深く
考える仕事もしていたのに、血の繋がりなど皆無で
ある事も知っていながら、私の心の真っ黒い世界の
中に小さくて見えないほどの光が、以前はありました。

その光は、彼らに対する無いはずのものである良心
の光でしたが、それさえも存在しない事を現実で
知った時、私の中で人生の無意味さを痛感しました。

いずれも住む場所は違っても、それぞれが名士と
言われているような連中が、微かな光のような
良心さえもない現実を知り、更には私を利用し尽くして
おきながら、最後の最後まで騙されていた事に、
気づいた時、現実に自分が崩壊していくのを感じました。

常識など一切存在しない世界で、常識を唱えても
通用しません。

しかし、過去の偉人が残した言葉を覆した人物が
現れてから、私の中で再び生きる種火が生まれました。

偉人は言っていました。
「個人が組織や国家のような大きなものには勝てない」

このような言葉を残していましたが、
オバマ政権の時、私は彼は実際はテロリストでは
無いと思っていました。

しかし、政権を懸けたものであったため、
世界的テロリストとして、日本でも国際的なテロリスト
としてニュースに流されていました。

私はその頃、バーでお酒を飲みながら、
逃げ延びて欲しいと思いながら、一人で彼が逃げている
映像が流れるのを見ていました。

彼には運もありました。
運命のような運が重なり、彼は逃げ延びました。
その時、彼らも絶対ではないと、私の中で私が負けたのは
仕方が無かった事にしました。

簡単ではありませんでしたが、現実に正義感から
彼は正しい行動を起こして、勿論、それ以前にも彼のように、
挑戦した人はいたのだと思います。

ただ犯罪者のように殺されただけであって、
でも自分を貫いて死んでいった人たちにとっては、
スノーデンは特別な特殊な訓練を受けてない身でありながら、
己の中にある正義感の心を奮い立たせて、
「監視などしていない」と公言していたオバマ大統領を、
たった一人で壊しました。

今では当たり前のように監視システムはありますが、
彼の行動は無駄にはなりませんでした。
私が知る限り、現実で起きた事が映画化されるまでの
時間は、これまでの映画界では最速で作られたと
思いますし、今後もこのような現実に起きた事が
映画化されるまでには、「スノーデン」以上のものは
生まれないと思います。

彼は自分を信じてやり抜きました。
私にとってそれは有り得ないと思っていた事で
あっただけに、大きな希望と衝撃を生みました。

国的にも日本より遥かに難しい世界で、
同じ時代に生きる人物が、正義心から、
それは間違いだと考え、世界に暴露した事により、
先進国にウィルス兵器を仕込んでいた事が
明るみに出て、各国はウィルス除去しましたが、
日本だけはその時、動きませんでした。

彼は日本にもウィスルを仕込んだ事を
公言してましたが、動かないことにより、
アメリカに今でも降伏している状況なのだと
思いました。

確かに弱い立場である事は知っていましたが、
私が思う以上に弱い国なのだと改めて知りました。

日本がアメリカに逆らった場合、日本全国の電気の
供給は止まるものだと判明していながら除去に関しては
有耶無耶になり、今ではもう誰も彼の勇気ある行動に
対して、称賛している人はいないのかと思うと、
悲しみよりも、現実的に真の勇気ある人であると、
死ぬまで忘れることはないと伝えたい思いに駆られます。

こういった事に関しては、習慣だけでは知り得ない
事だと、私は思います。

習慣に対しての問題だと言っているのでは無く、
自分のルールと掛け合わせる事により、
より広い視野で世界を見れることができるので
ないのかという、思いからのものとなります。

人間の世界は複雑です。文化も違い、信じるものもまた
違います。単純なような事であっても複雑になるのが、
現実の世界であって、今を知らずして過去を知ろうと
する人も大勢います。

昔は今よりも、もっと複雑な世界でした。
時代は進化していきますが、それは文明であって、
人類は進化しているかどうかは疑問のある問題です。

現実によくないニュースは毎日起こっています。
そこには悪意が存在していて、その悪意によって
深い不幸が生まれる場合も少なくありません。

現代に於いても多くの嘘が蔓延る中、
過去はもっと多くの嘘にまみれていました。
人間がどれだけ賢いとしても、過去の真実を
絶対的なものにする事は不可能だと言えます。

私が私の一族を見ただけでも複雑極まりない事から、
それは確かなものだと言えます。
世間に公表できないことが、たった一つの元財閥にも
多くの嘘が存在すると体験から知っているから、
この事に関しては断言できます。

人間の悪意や欲、その狭間でただ犠牲になる人たち。
バレても問題とされなかった時代や、権力と金によって
何でも叶う悪夢のような世界。

たったの一つの財閥が、80年ほどの間に消え去って、
各地に飛んで行き、そこでもまた悪意に晒される世界を
生んできた事は事実です。

私の父がまだ十代の頃、資産は約一兆円以上あった事は
分かっています。財閥解体された後の話です。
父の兄弟は弟が二人、妹が二人の五人兄弟でした。

祖父が他界したのは、私が幼稚園児の頃だった事は
覚えています。若くして癌で死にました。
どんなに使っても使い切れない程の財産があっても、
どう生きて、どう死ぬかで人の人生は決まります。

絶対的に私自身では新たに生きる事は不可能だと
認識していました。
母は全ての財産を奪う形で逃げました。

しかし、どうなるのかは分かっていました。

浪費癖が酷くて、私の家のゴミ出しを父と私が
してましたが、一週間で60リットルのゴミ袋が、
平均して16個も出していました。

すぐに人にお金を借りた所までは地元にいた
ので、話は入ってきてましたが、散財の酷さは
抜けないほど愚かだと知っていたので、
誰にも理解はされないでしょうから言いません。

人は体験する事により、初めて理解する生き物
であることを、今の私は理解しています。

多くの事を知っていても、それを自分のものに
することの難しさ、何事に対しても浅く考えない
ようにする事を心掛けて、生きています。

私の一度目の人生の命は、知ったような顏はしない
事を理解する過程であったと、今は思っています。

多くの痛みに耐えて乗り越えるのは、尋常では
ありませんでしたが、偉人たちが残した言葉は、
誰もが経験から出た言葉です。

経験無くして理解することは不可能である事は、
充分理解できました。

しかし、彼らの言葉を理解する方法は、体験が
一番良い事に変わりはありませんが、彼らの誰もが
言う、「頑張れ」の意味を知ることが出来れば、
他も見えてきます。

しかし、彼らのいう「頑張れ」は当然ながら、
理解に到達するには、脳内に遺物が入り込むほど
までに、一度は精神的に狂うほどまで頑張る必要が
あります。

彼らは言葉を残してはいますが、いずれも容易な
事ではありません。彼らの人生が詰まった言葉を
ただ、読んだだけで理解することなど不可能なのです。

その事にまずは自分で気づいて、生き地獄を
味わわなければ、絶対的に不可能だと言えます。

ネットでの書き込みのように、浅いものからは
何も生まれません。

体験して知ったとしても、その先は続きます。
こればかりは慣れる事はできない程、キツイものです。
アインシュタインがそういった状況下に何度も
なったと言っていましたが、彼でも慣れることは出来ず、
賢いだけに苦悩の数も多いものであったと言えるでしょう。

体験は正直お勧めはできません。
本当に生死の境に立たされるので、良い手とは言えません。
そうなるとやはり「頑張る」ことが、一番妥当だと
思われます。

マイケル・ジョーダンのように、頑張り続ける事が
実を結ぶ事に繋がります。
イチローも松岡修造も言ってるように、
まずは頑張り抜くことから始めるのが、
人生の岐路と言ってもいいと思います。

ただ、誰もがものにできるものではないので、
多くの批評家たちがいますが、大抵は理解には
到達していない人が多いです。

心眼のようなものが持てるまでは、日々が地獄
のように思えるかもしれませんが、自分に屈する
事無く頑張り続ければ、いつかは必ず道が見えて
くるはずです。

私はいつかまた戻って、親友を救いたいという
想いは消えずに残っています。
それには私は頑張らなければ、絶対に不可能なので、
今はまずその前段階として、本当に吸収するように
深謀遠慮し、今でも脳裏にあの頃の苦悩は残って
いますが、日々、前に進んでいます。





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