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フリーランス理学療法士・キャリアアドバイザー 小倉将徳(おぐらまさのり)

フリーランス理学療法士・キャリアアドバイザー小倉将徳 (27歳)

ビジョン:可能性を広げたい全ての方のために動く

ミッション:可能性を広げたい全ての方の活躍の場を提供する/世の中から腰痛を無くす 

    

プロフィール

生年月日:1995年3月31日生まれ 27歳
出身:千葉県茂原市
住まい:千葉県千葉市
家族構成:両親、兄
     3年前に結婚し、妻と暮らしている
趣味:スポーツ観戦、お笑い、お酒、野球、温泉、サウナ、メンズ美容
特技:立甲ができる(肩甲骨を自在に操れます)、体幹が強い、人のことを全力で応援できる
資格:理学療法士、FRピラティスインストラクター
仕事:フリーランス、キャリア支援事業、個人・企業向け出張整体、イベント主催

野球(小学校〜中学校)

小学校3年生から、野球を始めました。
小学生の頃は、身体能力がずば抜けていたので、
小学校4年時に低学年チームのキャプテンになりました。
(当時の通算打率は5割越え)

ここから、野球の魅力にどんどん引き込まれていきます。

ただ、所属していた少年野球チームは、全国大会にも出場したことのある強豪チーム。
当然、監督やコーチは鬼のように厳しく、毎日のように怒られました。笑
(チック症という軽度の精神疾患になるほどでした。)

強豪チームで鍛えられたため、
小学5年生で県準優勝2回(下級生ながらレギュラーを獲得)
小学6年生で県準優勝1回(エース、クリーンナップ、テレビ出演あり)
このような結果を残すことができました。

中学校では、年子の兄の影響で、
クラブチームではなく中学の野球部に所属しました。

ここでも、地元で知らない人はいない程の怖い先生が野球部の顧問だったので、小学校と同様に毎日のように怒られました。笑

中学校では、県大会に行くことはできませんでしたが、
1年生から3年生まで、地区の選抜チームに選出され、中心選手として活躍していました。
上級生が引退してからは、キャプテンとしてチームをまとめ、日々野球に打ち込んでいました。

高校野球での挫折

千葉県内の公立校へ進学。野球でお声が掛かり、県ベスト16には入る公立の中では強い高校です。
同学年の中で、一番最初に上級生との練習に参加するなど、監督からも期待されていました。

しかし、高校1年生の夏に大きな挫折をしてしまいます。
腰痛により、1年間全くプレーができなくなってしまったのです。

どのくらいの症状かと言いますと、このくらいになります。

常に病院に付き添ってくれた母親には、かなり迷惑かけたと思いますし、
本当にありがとうを伝えたいです。

1つ上の先輩方が引退し、自分達の代になっても腰痛は治っていませんでした。
ただ、後悔はしたくなかったので、痛くても無理矢理でも頑張ろうと決意し、何とか部活に復帰しました。

と言っても、バットを振る、走る、守備をするということはできなかったので、唯一残された投げること、投手に専念することを決めました。

最初は1イニング投げるだけでもかなりキツかったですが、
3年生になった頃には、1人で9回を投げ抜くまで回復し、
何とか最後の大会も出場することができました。
(9回投げた次の日は、全く動けませんでした。)

不完全燃焼な高校野球生活でしたが、監督や仲間のおかげで、
怪我を乗り越えることができました。
そして、怪我がきっかけで新たな目標を見つけます。

世の中から腰痛を無くすために、理学療法士を志す

僕の高校時代と言えば、「腰痛」というくらい苦しんだ経験。
同時に、自分みたいに腰痛で苦しむ方を救えるようになりたいと、強く思いました。
そんな時に出会ったのが「理学療法士」という仕事でした。

しかし、ここで問題が発生します。勉強です。
正直、僕はあまり成績が良くなく、学年順位も圧倒的に下から数えた方が早かったです。

学校の先生にも、親にも、面接に行った専門学校の面接官にも、「この成績で大丈夫?」と言われました。
(思いだけは誰にも負けなかったので、大丈夫と言い切りました。笑)

この時の悔しさ、そして親への恩返しと、やってやろうという熱い思いで、一気に勉強に火が付きます。
テストの成績も一気に上位20番代へ上り詰めました(当時勉強を教えてくれた方ありがとう!)

こうして無事に高校を卒業し、専門学校へ入学します。

勉強しかしなかった、専門学生時代

4年制の理学療法の専門学校に入学しました。
4年間、勉強しかしませんでした。以上
嘘です!笑

ただ、田んぼのド真ん中に上から落ちてきたような学校で、周りには何もありません。
本当に勉強をするために進学したと言っても過言ではありませんでした。

特に大変だったのは、4年時の病院実習と国家試験勉強です。

実習では、とにかく症例レポートの作成に追われました。寝る間を惜しんで3日連続30分睡眠だったことや、実習中に歩きながら寝て壁に倒れたことがありました。

国家試験勉強は、気合と根性で乗り越えました(1日平均12時間勉強)。

結果的に、無事に国家試験に合格し、
卒業式では、成績優秀者として表彰されました。

この時、初めて親に恩返しができたと感じました。

就職(理学療法士)

千葉県内の総合病院へ就職しました。

専門学校の3年時にお世話になった実習先であり、
当時バイザーをしてくださった先生に憧れて、就職を決めました。
ダメな時に叱ってくれる人がいる環境を選びました。

とにかく理学療法士、社会人として成長したいこと、
世の中から腰痛を無くすという、やりたいことへの思いで日々を過ごしていました。

成長をするために、病院で勤務した3年間で、
下記のようなことをやってきました。

・毎日自主的に6時半出社(8時半までに行けば良い)
・毎朝の機材準備、掃除、ゴミ捨て
・朝活
・プリセプター
・学生指導
・理学療法系の知識、施術、トレーンング系セミナー参加(100万以上の自己投資)
・自分の腰痛を治すための勉強
・リアル臨床発表(病院外での発表)
・地域活動
・100名規模の健康セミナー講師
・高校野球スポーツトレーナー
・ピラティスインストラクター など

総合病院に3年間勤務し、その後、千葉県内の整形外科クリニックに転職しました。

しかし、将来の不安や、自分がやりたいことに対しての能力のギャップを感じ、1年で退職しました。

ただ、この1年間で大きな出会いがありました。

新たな出会い

理学療法士という、やりたい仕事に就くことはできました。
そして、人から感謝される、とてもやり甲斐のある仕事だと感じています。

しかし、

・正社員の給料は上がらない
・10年先の先輩と給料が変わらない
・理学療法士が飽和状態となる
・将来、理学療法士しかできない自分で良いのだろうか
・本当の安定って何
・家族を守っていけるのか

このような話を聞くことが多くなり、漠然とした悩みが増え始めました。

また、僕自身が副業として行なっていた、
スポーツトレーナー業やピラティスインストラクター業に関しても、
自分の能力不足により、継続して人を集めることができなくなりました。(何を解決すれば良くなるのか、当時は分かりませんでした。)

そして、コロナに直面したことで中止にせざるを得ない状況となりました。

そんな路頭に迷っている中で、
先輩からの紹介で、僕と同級生でとんでもない人と出会いました(メンターとの出会い)。

その方は、経営コンサルタントであり、営業で日本一を取ったことのあるカリスマ(現在は、バズを生み出すことが得意なSNSコンサルタント)。
自分との違いと、新たな可能性にワクワクし、弟子入りをしました。

まずは、理想と現実とのギャップが自分では分からなかったので、
キャリアビジョンを描いてもらうことからスタートしました。

自分の理想により早く行くために、
「フリーランス」という働き方があると言われました。

当時の頭の中では、なんかフリーランスって格好良いけど本当になれるの?少し不安。。。
という印象でした。

イメージでいうと、
会社員・フリーランスのハイブリットの働き方でした。

そこからは、企業とパートナー契約を結び、
・営業(未経験からスタート→to C、toBを経験)
・キャリアアドバイザー
・キャリアアップスクールの運営
に取り組みました。

やりたいことの前に、やるべきことをやる

理学療法士から一度離れる決断をし、新たにフリーランスという働き方をスタートさせました。

結果的に、このフリーランスの働き方で、
自分の足りていない能力、ギャップを補えることができたのです。

その中で、キャリアアップスクールで自分も学び出すと
大きな変化がありました。

理学療法士のままで良いのか?今後のキャリアが心配だ、という果てしない悩みから抜け出し、
目の前の課題に対して、「どうしたらできるようになるか?」という、
ポジティブな思考に変わりました。

フィードバックをしてくれる方が多かったので、すぐに課題も解決することができました。

そして、自分の働き方を変えたことで、
理学療法士しかできない自分から、選択肢を増やすことができたのです。
本当の意味で土台を作ることができたと思っています。

これは、将来独立したい人だけではなく、

・働き方に悩んでいる人
・仕事で悩んでいる
・ストレスを感じている
・やりたいことが見つからない

と感じている人にとっても
すごく得られるものはあるんじゃないか?

自分がこのスクールや働き方を変えて、大きな変化をしたから、
自分と同じように悩んでいる全ての方の人生を、横で並走してサポートしていきたい!

と心の底から思うようになりました。

フリーランスの働き方に変えて1年が経った頃には、

キャリアアップスクールの「専属講師」として、
1年間、講義をさせていただきました(年間50講演)。
在籍130名以上の方のキャリア支援をさせていただきました。

現在の活動

現在はフリーランスとして、
・キャリアアドバイザー
・個人・企業向け出張整体
・イベント主催
をしています。

キャリアアップスクールでの講師経験を活かし、
コンサル会社人材コンサルティング事業部マネージャーとして、
可能性を広げたい全ての方のために、キャリア支援を行っています。

これは、今一番自分ができることだと思っています。

また、2022年に出張整体サービスを創業し、
主に企業向けに展開をしています。

会社の福利厚生として、健康課題の解決や仕事のパフォーマンスアップ、離職率の軽減、企業PRなどに貢献しています。

「世の中から腰痛を無くす」というミッションに向けて、少しでも社会に貢献できればと思っています。

そして、可能性を広げたい全ての方の活躍の場を提供する、このような未来を創っていきたいです。

自分1人だけでは難しいので、優秀な人材を輩出し続けられるように、今後も成長していきたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

小倉将徳のインスタグラム
https://www.instagram.com/masanori_ogura/


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