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トットちゃんと、祈る日に。


1日1日に映画を観に行った。
「窓ぎわのトットちゃん」が観たい!と4歳の娘に催促された。理由は「絵が可愛い」からだそう。

松葉杖と装具歩行での移動は正直しんどい。
悩んでいた。
夫に「いや、ずっと家に引きこもっているのもなんだから行ってみないか?」と背中を押され、行ってみる事にした。

不自由になるとトイレや移動の際に所々にある段差やスロープ、扉などに苦戦した。
動き回る子どもにも追いつかず、冷や冷やしながら、あくせくしながらスクリーンまでとたどり着いた。

「窓ぎわのトットちゃん」恥ずかしながら、原作をしっかり読んだ事が無かった。つまり、内容を良く知らなかった。

情報といえば、発行部数がギネス世界記録であり、「黒柳徹子の自叙伝」という事のみ…。

全くノーマークの作品だったのたが、「トットちゃん」と「彼女を取り巻く心優しい人達」に、私は最初から最後まで心奪われてしまったのだった。

戦前の日本社会が大らかで優しい世界だった事を改めて知れたし、カラフルな日常があっという間に灰色の世界になっていく様が「子どもの目」から覗き込む事が出来た様に感じた。

お腹が空いて泣いて歩く帰り道。
歌が歌いたいけど歌えないもどかしさ。
可愛いお洋服を着られない悲しみ。

八鍬監督はシリアの内戦が激化していた際に、「子どもに戦争をどう伝えるか」というテーマを模索していた時、「窓ぎわのトットちゃん」に出会ったという。

「明るい光が差し込むような作品を作りたい」と語った彼の言葉通りの世界になっていた。

彼女が通った「トモエ学園」と「魂を売らないと誓った彼女の父」と「優しく接してくれた駅員の叔父さん」と「心を通わせた小児麻痺の男の子」と「彼女が観た戦争」と…

子どもの頃に刻み込まれた記憶の鮮明さ。
柔らかくて優しくて歯痒くて切なくてやるせなくて…。

「君は本当はとってもいい子なんだよ。」

それは生まれてきた誰もが。

私は最後まで涙が溢れて止まらなかった。


そして、1月1日はもう一つ…。

映画の余韻覚めない中…
帰宅中の車内で鳴りびいた地震警報のアラーム。

あの日。3.11。
揺れる建物にしがみつき、「どうか、神様…」と祈った日。
水を求めて給水車まで歩いた日々。
食べ物を探した日々。

祈りは届くのだろうか…。

どうか、1人にならないで。
1人じゃないから。

全ての人に。

どうか温かいごはんを。
どうか安らかな寝床を。

音楽なんか聴ける余裕も無かった事は覚えているのだけど…

少しだけ…
一息ついたら聴いてほしい。


足が不自由でも子どもと映画を見れた事…
今日も生きている事…
何も出来ないと、「自分なんて」と悲観するけれど…

この奇跡の様な日々に。

当たり前じゃない日常を「ちゃんと生きよう。」

祈りを込めて。
72時間を前に…。
どうか誰かの大切な命が救われますように…。

まとまらないけど。
生きているときっといろんな事があって…
でも、生きていなきゃ。

忘れそうになるけれど。

なんとか、生きていなきゃ。

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