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吃音と生きる、我が家のこれまで 【後編】

娘が発吃してからの私たちの歩みを書いています。

今回も長いです…!お時間ある時にぜひ…!
こちらは後編です。

前編はこちら



年長さんに進級した娘。
担任の先生からクラスで吃音の話をしてもらうも、難発が増えて話しにくそうなことが増えていった。
そこで、思い切って長野県東御市民病院の餅田先生のところまで相談に行くことにした。


いざ長野県へ!

東京から長野県へ、日帰りで通うことに決めた。幼稚園は1日お休みになるけれど、それは仕方がない。

ついに餅田先生の元へ!事前に何度かメールや電話でお話しさせて頂いた。
ドキドキしながら、夫と娘と3人で新幹線に乗る。

※餅田先生の吃音についてのお考えは、こちらの書籍で詳しく書かれています。
吃音のお子さんを持つ保護者の方必見の内容です。


餅田先生とご対面

餅田先生は、娘と吃音の話をどのようにするか、また、どのように娘の吃音に対する考えを聞くかという事を、私の目の前で実践して見せてくださった。

娘の受け答えを見ていると、娘は自分の気持ちではなく、私が教えた「正解」(知識)を話しているように見えた。そこに娘の考えや意見は出てこなかった。
娘は頑なに、「そう思おうとしている」ように見えた。

そんな娘の姿を見て先生は、「連発をそのまま出せない自分をダメだって思わなくていいんだよ。」「変だって思われたら嫌だなって思って、出せない時もあるよね。」と話しかけた。

5歳の娘の葛藤


私はこの会話に気付かされた。
私は、娘に「連発をそのまま出さないと、声が出にくくなってしまうこと」をたびたび伝えてきた。娘は、そのまま出せない気持ちと、そのまま出さなきゃいけない気持ちの葛藤を抱えていたのだ。その葛藤を誰にも言えずに、「出せない自分を悪い」と思ってきたのではないか。

幼稚園のクラスでも、吃音の話はしてもらっていた。ただ、クラス替えで初めて出会う友達も多く、「本当にわかってくれているのかな?」という不安もあっただろう。そこで、葛藤が生まれていたのだ。

私は、吃音の知識を娘に授けることを重視して、その先の、その知識から娘が何を感じたのか、日々の生活の中で、その知識とのギャップはないか、ということは、考えられていなかったことに気づいた。

餅田先生からのお話で、1番心に残ったことは、
娘と吃音の話をする際に「丁寧に聞く」に徹してみてはいかがですか?というご提案。
話の途中で、アドバイスしたくなっても、「〇〇と思ったんだね、〇〇という風に感じたんだね」と聞くことに徹してみる。
すると、それは、娘が今後、自分自身はどう感じているのか、どう思っているのか気付き、自分のことを理解していく力を育てることに繋がっていく。
吃音は、周りの理解が大切、とよく言われるが、それ以上に「吃音のある自分自身をどう理解するのか」ということが、小さな子どもであっても、とても大切
だということ。


この先生のもとで、吃音について学び直そう。
娘の考えや話を聞いて、私自身も理解を深めていこう。
視界が開けていくのを感じた。


きつおんのーと

娘は、新しいクラスで担任の先生から、吃音について話してもらっても、まだなお心配で、連発をのびのび出せないことや、吃音のことを忘れてしまった子から、話し方に関して指摘されないか、ということを心配に思っていた。そのこと対しては、餅田先生は、自分の考えた言葉で伝えることができるようになると、安心につながるとして、先生と娘で「きつおんのーと」を作成した。

先生と娘で作成した「きつおんのーと」
このノートを使って、お友達に聞かれた時のために、練習した。聞かれた時に自分でも、自分の言葉で伝えられることが大切。練習はその後自宅でも繰り返した。娘も「今日も練習しよう!」と楽しんでいた。


難発について


次に私たちは難発を、「悪化した結果の何とかしなければならない物、治さねばならない物」と勘違いしていたが、このように教えていただいた。
①普段連発をそのまま出しながら話せている場合は、「難発」は多少の苦しさはあるものの、自然な話し方の1つである。
普段連発を出さないようにしている場合は、その結果出てくる難発は、非常に苦しい物で、悪化してしまったもの(連発を出せる環境を作れば、戻してあげられる)である。

この考え方を学べ、難発を伴いながら話す娘の話し方を、上記の①なのか②なのか、分けて考える事ができるようになり、私の中で「なんとかしなきゃ」という焦りが消え、とても安心した。


保護者の方からの共感のお気持ち

途中で、吃音のお子さんを持つ保護者の◇◇さんも来て下さり、お話をさせて頂いた。私は、今でも治ってくれたらな…という気持ちがよぎることがあり、そう思ってしまう自分に「罪悪感」を持っていることなどをお話しすると、◇◇さんは深く共感して下さった。
子の吃音に関する自分の心のうちを誰かに話せたのは初めてだったかもしれない。誰にも打ち明けられなかった気持ちに、深く共感してくださるお気持ちが、私の心に大きな安堵を生み出した。



消えた自責の念


不思議なことに、先生とお会いしたその日から、私の中にずっと抱えていた「自分を責める気持ち」が、スッと消え去った。菊池先生や堅田先生のご著書で、いくら「発吃はお母さんのせいではない」という文字を目にしても、頭では理解していたが、心の底には、自責の気持ちが消えていなかったのである。
そのずっと持ち続けていた「自責」が、餅田先生に出会ったその日に消失したのだ。それ以降、娘の吃音の多い時、少ない時の波が来ても、自責する気持ちはなくなった。
これは本当に不思議である。

でも、理由は明確である。
私はこの時初めて、「発吃はお母さんのせいじゃない、吃音が治らない事もお母さんのせいじゃない」と心から考えている専門家に出会えたのだ。先生の全ての態度にそれが表れていた。
さらに、餅田先生は、「お母さんはゆっくりした速度で話すように」や、「母子でゆったり過ごす時間を作りましょう」という内容の話は一切されなかった


今まで相談した専門家や小児科の先生、児童館の先生は、口では「お母さんのせいじゃないですよ」と話しながらも、「母親の接し方、話し方」についての助言をすることがほとんどだった。もちろん、こちらのためを思ってくれてのアドバイスなのだと思うが…。

毎回、このような助言があるたびに、私はとても苦しかった。私のせいで治してあげられないでいるのか、私が早口だからか?私の接し方がいけないのか?と自責の気持ちがよぎる。母親が自分のせいだと思ってしまうと、吃音と向き合うことがすごく難しくなってしまう。せっかく吃音と向き合おうと思って相談しているのに、向き合えなくなってしまう。

私は、頭では、母親の接し方や話し方のせいではないと、本を読んで理解した後も、そう考えている人に会うことが、とても辛かった。この人は、私の接し方も関係していると思っているんだな、ダメな母親と思われているのかもしれない、と思い、苦しかった。娘の吃音を打ち明けると「ダメな母親」と思われてしまうかもしれないと恐れ、相談することを躊躇するようにさえなった。今でも、この手の助言を耳にすると、正直かなり辛い。

専門家の皆様にはどうか、このようなご助言で、苦しい気持ちになる母親がいるということを、頭の片隅に留めておいて頂けたら、と私は強く思う。このようなご助言がどうしても必要な場合があるのなら、母親が自責しないように、細心のご注意を払って頂けたら、と願う。

(また、餅田先生も、過去にはそのように助言していた時があったようです。臨床を続ける中で、そのような助言が、母親を苦しめるということを知り、猛省された、という内容が執筆に書かれていました。)


娘の変化

娘自身にもはっきりとした変化があった。餅田先生にお会いしたそのすぐ後から、以前はあった、手を動かしたり、舌を出す随伴症状がなくなったのだ
「それをしないように」というお話があったわけではない。
餅田先生と話したこの日は、娘の気持ちや吃音に対する思いが、大きく変わった日になったのだろう。
こんなにも、心の底から「吃音はあなたの自然な話し方。だからそのままでいいんだよ」と本気で思ってくれている専門家に出会えたのは、私も娘も初めてだった。その本気のお気持ちは、私にも夫にも、そして娘の心にも深く深く染み渡った。


心が軽くなった

この先生に、私が今まで背負ってきた重い重い荷物を、半分、いや4分の3くらい預けてしまおう…!そんな風に思ったら、心がすごくすごく軽くなった。もう、1人で悩まなくていい。いつでも先生に相談できる。もう大丈夫だ…。そんな安心感でいっぱいだった。帰りの新幹線では、やっとやっと、探していた専門家の先生に出会えた嬉しさと安堵に満ちていた。

先生とのご縁を作ってくださった方々に、本当に本当に感謝している。

その後

その後、餅田先生の元には月一で通うようになった。
何か困ったことや心配なことがあっても、相談できる信頼できる専門家がいてくれることが、私たちの日々に安心をもたらした。
自宅でも今まで以上に、娘と毎日のように吃音について会話した。
娘も吃音の話をすることが、すごく好きで、寝る前にいつも、「今日も話そう」と誘ってくれた。

それからは、何の問題もなく過ごせたわけでは、もちろんない。
日々悩み、問題に直面し、娘の話を聞き、どうしたら良いのか一緒に考えた。色々なことがあった。色々なことが今もある。(日々の色々なことは、今後ノートに、ゆっくり書いていこうと思ってます)

その度に思い返す、餅田先生から教えていただいた大切なこと。
娘がどう感じているのか知ろうとすること、そのために、アドバイスをするのではなく、気持ちをひたすら丁寧に聞く」ということ。それは吃音に留まらず、娘と共に生きる上で、一生大切にしたい考え方。


正直、吃音になってよかった、とは、やはりとても言えない。
今でも、治ってくれたら…という気持ちがよぎる事も多々ある。
吃音のある人生は、苦労することが、明らかに多いと思うから。

でも…
吃音になっていなかったら、家族でこれほど、話し合ったり、意見を聞き合ったり、目標に向かって頑張ったり…出来てはいなかっただろう。
これからも様々な事に直面すると思う。
迷う事もあるだろう。そんな時は、「娘が自然な話し方のままで過ごせることが悪化予防につながる。そのために、どう行動するか」をしっかり考えよう。

どうにも出来ないこと、何もしてあげられないことも、今後きっとあるだろう。
そんな時は、娘の話を丁寧に聞き、気持ちを共有、共感していこうと思う。




最後に

大きな病院の吃音外来や相談は予約が取りにくく、取れても数年待ちだったり、受診すること自体がとても難しい現状と、幼稚園、保育園、児童館の先生方でさえ正しい知識を持った方々が少なく、安易な助言で苦しい気持ちになってしまう保護者の方が、今も多いと思う。

ツイッターやインスタでは、情報が流れていってしまい、正しい情報があってもなかなか辿り着けない、また、その情報が正しいのかどうか判断が難しいこともある。

吃音を持つお子さんへの支援には、まず「保護者の方が正しい情報に出会えること」が不可欠だと思う。
そして保護者の方に自責の気持ちがあると、「吃音」を受け入れ、向き合うことが難しくなる。保護者の方が、「自分のせいで」という自責感情を持っていると、お子さんの吃音を伴いながらの話を聞くことが辛くなる。吃音を聞くたびに、責められているように感じ苦しくなるのだ。
そんな保護者の方の心情を子供は察知する。すると自身の吃音を「保護者を苦しませる悪いもの、出してはいけないもの」と感じる。保護者の方が何も言わなくても、何も伝えなくても、子供は感じるのだと思う。すると、症状はどんどん、難発や随伴症状、言い換えが増え、本人の苦しさは増していく。

私たちは、それを嫌というほど体験してきた。
なので私は思う。保護者の方が正しい知識にすぐに出会え、自責しないでいられる事が、保護者の方とお子さんが、吃音と向き合い受け入れて、社会で生きていくために、不可欠なことだと。

その現状をすぐに変えることは、私には出来ないけれど、そんな中で、
私たちのリアルな経験談が、吃音のお子さんを持つ保護者の方に、何か少しでも参考になれば…と思い、今後もnoteを書いていこうと思う。



今回も長くなってしまいましたが、お読みくださりありがとうございました。
吃音に関しては様々な考え方があると思います。あくまで、一個人の体験談として、お読み頂けたら幸いです。

必要な人に届きますように…。


なかまち








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