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吃音と生きる、我が家のこれまで 【前編】

こんにちは。なかまちと申します。
娘には2歳の頃から吃音があり、現在小学1年生です。

「吃音と生きる我が家の場合」として、我が家の場合は、こうだったよ、こんな事があったよ、こんな風に思ったよ、ということの記録です。
一例として、温かい目でご覧いただけたら嬉しいです。


吃音については、色々な考えがあると思いますが、
私たちは下記のように考えています。

連発はその子の自然な話し方。
吃音は、自然に出てくる連発を出さないようにしてしまうことで、余計に苦しい話し方に悪化してしまう。悪化予防のために、連発を隠さず自然な話し方のままで話す事が大切。
そのために、関わる人に吃音について理解してもらい、本人が、自然な吃音症状をそのまま出せる環境を作る事が大切。
そしてこの事を、周囲はもちろん、子ども本人もしっかり理解する事が重要

  

もちろん、発吃直後からそのように考えられたわけではありません。様々な葛藤や困難がありました。でも今は、悪化予防のためのこの考え方が、自分たちにとって、最善の考え方だと思っています。
「関わる人全員」に理解してもらうことは、簡単な事ではありません。
しかし、伝えようとすれば、ほぼ全ての人が、「大切なことを教えてくれてありがとう」と真剣に理解しようとしてくれることが、私たちの大きな支えになっています。

(決してこの考え方だけが唯一の正解だと言っているのでは有りません。
色々な考え方があると思います。それを否定する気持ちは全く有りません)

今回は、前編と後編に分けて、子の発吃当初から現在に至るまでを綴ります。

初めに記しておきますが、
「子供の発吃は、お母さんの育て方のせいではありません!!」 
途中で、古い考え方の病院を受診して、自分を責めてしまった頃の記載があり、読んでいて、苦しくなってしまうお母さんがいるかもしれないと思ったので念のため、はじめに大きな声で言っておきます。)
では、お読みいただけたらと思います。



娘、発吃


2歳で発吃。軽い繰り返しから始まり、徐々に連発する回数が多くなり娘本人が「話せない!」と言い出すことも。自分の名前が言いにくいようで、自分のことを「この子」と呼びはじめた。
が…、約2〜3ヶ月ほどで消失

7〜8ヶ月後に再発。前回のように、そのうちなくなるだろうと思っていたが、3歳になる頃、かなり話しにくそうな事が増え心配になり、吃音関係の本を数冊取り寄せ、読むものの、本によって考え方が違い、吃音についての謎が深まるばかり。(今になって思うのですが、この時の私は「どうか治ってほしい」という気持ちが強く、「治し方」のような事が書かれている本(必然的に古い本になる)以外は、無意識に受け付けなかったのかもしれません。)

区に電話で相談するも、専門の相談や検査は半年以上待ちと言われる。
誰に相談したら良いか分からず、不安で不安で、夜中に毎日1人で泣いていた。

(ネットで見かけた広島の「吃音親子カフェ」のリーフレットを参考に、私から娘に「そのままの話し方でいいんだよ、たくさんお話ししてね」と伝えると、娘はとても安堵の表情を浮かべた事が印象的でした。娘もスムーズに話せないことを、不安に思っていたんだと思います。)

1度目の病院受診〜私、抑うつ状態に

区の相談を待ちきれずに、吃音外来のある個人クリニックを受診。
受診前日…「明日やっと相談できる。1人で悩まなくても良いんだ…」と安堵していた。

そこでの指導は「お母さんの接し方を変えて、命の危険がない限り絶対に怒らないように、自由にやりたい事をやらせてあげて、入園までに直した方が良い、子供と吃音の話はしてはいけない(吃音を意識させてはいけない)、お母さんの接し方を変えるように、習い事も全部やめて、考え方の違う本を読むと混乱するからと一冊の本のコピーを渡され、それだけを読むように言われる」、などというものでした。「100%お母さん」と書かれた紙を毎回見せられ、しんどい気持ちもありましたが、「私が頑張れば治るのなら、頑張ろう」と思い、ひたすら頑張ることに決めた。

しかし、どんなに怒らないように頑張っても、どんなに子供を自由に遊ばせてみても、吃音は全くなくならない。私の頑張りが足りないからだ、こんなんじゃダメなんだ。もっと頑張らなきゃ、もっともっと…
ふと気づいたら、私は、「笑う」ということができなくなっていた。「笑う」ってどうやるんだったっけ…
私は、ついに抑うつ状態になってしまっていた。
(このクリニックの「吃音はお母さんの接し方のせい、お母さんが変われば治る」という考え方は、大昔の考え方で、今は否定されていますが、当時の私は、何の知識もなかったので鵜呑みにしてしまい、自分を徹底的に責めてしまいました)

私の抑うつ状態は長引き、およそ2年間、娘の吃音に向き合う事が全くできなかった。娘と過ごす時間が苦しくて苦しくて、娘の吃音の波に怯え(多い時、少ない時の波もお母さんのせいではありません!…が、この時は自分の接し方がOKだったら吃音が減り、ダメだったら増えると勘違いしていたのです)、吃音が少ない時も、次はいつ自分のせいで増えてしまうのか怯え、ただただ震えていた。
(この頃、大切な幼児期をこのように感じて過ごしてしまったこと、今でも悔やんでも悔やみきれません。娘にも「ごめんね」という気持ちでいっぱいです。
でも!悔やんでいても仕方ないので、今は前を向いています。吃音を受け入れ、向き合えるようになった今現在は、とても幸せな毎日です。)

カウンセリングを勧められ、カウンセリングを受ける中で、自分自身の子どもの頃から今までの人生を振り返り、徐々に私自身が自己受容出来るようになってきた。と同時に、もしかしたら、あのクリニックでの指導は、極端な考え方で間違っていたのかもしれないと思い、自ら勉強しようと再び本を読みはじめた。
(この頃から情報収集のためにツイッターを始めた。)

本を読み、吃音について学ぶ

初めに読んだ本は、菊池良和先生のこちら

「お母さんのせいじゃない」とはっきり書かれていた。
夢中で、泣きながら読んだ。心底安心した。
「私のせいじゃなかったんだ」

続けて読んだ本はこちら

吃音のある子供のために、具体的にすべきことと実例、たくさんの体験談が書かれていた。
この本を読んで、私は目が覚めた。
私は子のために、私のやるべきことをやろう。
今、できることを全力でやろうと。

この本には、
《吃音のある人にとって、連発は自然な話し方。連発にならないように工夫を重ねると、吃音は悪化、複雑化してしまう。悪化予防のために、連発のままで話す事が大切。本人と周りの人にも理解してもらい、自然な話し方のままで話せる環境を作りましょう。》

という事が書かれていた。(私の勝手な要約です。)
私たちはこの本に書かれている方針で動くことに決めた


娘と吃音について話し合う


まず、真っ先に娘と吃音について話をした
その時娘は、幼稚園年中さんの5歳の秋だった。
本には、どのように子供と吃音について話したら良いのか、ということが具体的に記載されていた。
具体的に娘と話した内容は

  • あああ、となる話し方は、吃音という名前であること

  • それは娘の自然な話し方で、決して悪いことではないこと

  • あああ、となる話し方は、そうならないように気をつけて話そうとすると、声が出しにくい苦しい話し方に悪化してしまうこと

  • だから、自然なあああ、となる話し方を、そのまま出して話してほしいこと

  • 多い時と少ない時の波があり、多い時も少ない時も、そのままの話し方で、たくさんお話ししてほしいこと

  • 「吃音」のことを知らないお友達は、「なんでそういう話し方なの」と不思議に思う事があるから、教えてあげる事が必要なこと

など。
ゆっくり娘の反応を見ながら伝えていった。
娘はしっかり理解してくれた。

これからは娘と一緒に、吃音について勉強して、一緒に考えていこうと思い、具体的な一歩を踏み出せたことに私はとても安堵した。

すると、娘からも、仲良しのお友達に話し方について聞かれて困っていること幼稚園の先生にもこの話し方を注意されてしまうのではないかと、不安に思っていたこと、を話してくれた。

もちろん入園前に幼稚園側に、娘に吃音があることを伝えてはいたが、私は娘と吃音の話が出来ないでいた(始めのクリニックで禁止されていた)ので、娘は自分の話し方を1人で不安に思っていたんだと、この時初めて知り、胸が締め付けられる思いだった。

友達からの指摘があったことも、初めて聞いたことだった。(幼稚園側からは、誰も気づいていないから吃音については心配ないですよ、という話を聞いていた)
その日のうちに娘と相談して、お友達は知らないから聞いてくる。だからみんなに、「吃音」について教えてあげよう、ということに決めた。


幼稚園のクラスで吃音の話をしてもらう


すぐに幼稚園側に、友達からの指摘があるので、吃音の話をクラスでしてほしいと思っていることを相談した。

幼稚園との話し合いは、思いっきり難航した。正直、クラスで吃音の話をしてもらうことについて、こんなに反対されると思わなかった。
幼稚園側は、前例がないので難しいこと、1人にスポットを当てると他の保護者からクレームが来るかもしれないこと、まだ治るかもしれないのに何も今カミングアウトしなくても…という考えで、とにかくとにかく難航した。
母親の私では力不足と感じ、ついに、父親である夫が話し合いに乗り出し、なんとか、なんんっとか、クラスで吃音の話をしてもらえることになった

話してほしい内容のメモ(原稿)と、娘と一緒に作った娘からの手紙をお渡しした。
そしてクラスで娘の吃音について、話をしてもらった

しかし、娘の不安は解消されなかった。
私たちも、あんなに反対していた先生が、しぶしぶ吃音の話をしてくれたという印象で、感謝はしていたものの、どのような雰囲気で話されたのか不安もあった。
娘は、「先生とじゃなくて、ママと一緒にお友達に話したい」と。
娘のいうことに私も同感だった。


クラスメイト一人一人に手紙を配る(ゲリラ作戦!)


そこで、私と娘から同じクラスの全員一人一人に、手紙を手渡しすることに決めた。
登園時や降園時に会った時に手紙を渡す、ゲリラ作戦(!)である。

実際お渡ししたものがこちら

一枚一枚手書きし、菊池良和先生のプリント(ネットでダウンロードできる)と一緒にお渡しした。


毎日毎日数週間かけて、ほぼ全員に渡す事ができた
お友達のお母さんからは、「大切なことを教えてくれてありがとう」と声をかけてもらえ勇気づけられた。
娘のお友達からは、「お手紙ありがとう、安心してお話ししてね」という嬉しいお返事もたくさんもらった。
カミングアウトすることも、お手紙を渡すことも、どのような反応が返ってくるかとても不安だったけれど、温かい反応が返ってきて、とても嬉しかった。
頑張ってよかった。
お返事をいただく度に娘と2人で喜びあった。

それからは、娘は、連発をたくさん伴いながら、安心してお友達と話せるようになった。自然な話し方のままでたくさん話せる娘と、連発の話し方をそのまま受け入れてくれるお友達やそのお母さんに感謝すると同時に、理想的な環境を整えることができた、と感じ、私は心から安心した。

この時のみんなに温かく理解してもらえた経験が、その後の私たちの活動の大きな自信になった。


その後、堅田利明先生の新刊が発売され、私たちの吃音理解はさらに深まった。

この本には、前回の本よりもさらに具体的な事がたくさん書かれていた。
吃音のある子供に、まず何を話したら良いか、いつから話したら良いか、周りの人に何を何のために伝えたら良いのか…などなど、知りたかった事が、体験談とともに、詳しくてんこ盛りだった。

この本に執筆されているような考えを持った専門家の先生が、東京にも、いたらいいのにな…と思った。(幼稚園側との交渉に難航した経験から、今後のために協力してくれる専門家を探していた)


春休み中にこの本を元に、娘と吃音クイズを作り、2人でさらに理解を深め、年長さんになる準備をした。

吃音クイズ
問題や答えを娘と一緒に考えて作成。
私が考えた文に娘が、「これちょっと違うと思う」と話してくれるなどして、私も理解が深まった。

年長さんに進級

娘は年長さんに進級した。
新しい担任の先生と、クラス発表後すぐに面談の時間を頂戴した
前回の反省をふまえ、幼稚園との交渉は、ほぼ全て夫にお願いした。
こちらからのお願いは、「吃音の悪化予防のために、自然な話し方である連発のままで話せるように、クラスや学年で吃音についての話をしてほしい」ということ。
新しい先生は「わかりました!」と快諾してくださった。年中時の難航の出来事とあまりの違いに驚いたが、理解を示してくださる先生に恵まれ、クラスでの説明もスムーズに進んだ。

しかしこの頃、娘の吃音症状は、「難発」が増えてきていた。
私はこの時、連発をそのまま出して話してさえいれば、難発になることはない、と勘違いしていた。そのため、この時の娘の難発の表れに、かなり焦った。
クラスでみんなに理解してもらっても、娘はまだ安心できず、連発を我慢してしまっているのかな?などと、原因について焦って考えていた。
娘は、自身の難発に「声が死ぬときがあるけど、少しすると生き返る。難発は、苦しくて嫌だ。なんとかしたい。」と話していた。

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【この当時はまだ知らなかったのですが、今、現在は、私たちは「難発」については、下記のように考えています。
普段連発をそのまま出しながら話せている場合は、「難発」は多少の苦しさはあるものの、自然な話し方の1つである。
普段連発を出さないようにしている場合は、その結果出てくる難発は、非常に苦しい物で、悪化してしまったもの(連発を出せる環境を作れば、戻してあげられる)である。】
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当時、私は、難発は悪化した結果の悪い物だと思っていたので、娘の「苦しい」の訴えに、なんとかできないかと必死に悩んだ。
そんな中、ツイッターで、私が読んでいる本の著者の先生の座談会が数ヶ月後にオンラインで開催される情報を目にした。藁にもすがる思いで、申し込みをし、娘が難発で苦しいと訴えていることを記載した。
すると、すぐにお返事を下さった…!
座談会まで数ヶ月あり、それまで心配だと思うので、可能であれば長野県の餅田先生のいる病院まで行かれてみてはいかがですか?と言うご提案が書かれていた。
私は驚いた。東京から長野県まで行くと言う選択肢があるのか
考えてみれば、日帰りで行ける距離で、不可能ではなかった。
餅田先生のことは知っていた。執筆された文章を読んでいたので、「東京にこの先生がいたらな…」と思っていたのだ。

ちょうど同じ時期に、ツイッターで別の方にも相談していたのだが、その方からも同じ提案を伺っていたところだった。

これまでに、東京で幾つか病院や相談所に伺ったが、心から信頼できると思える先生には出会えていなかった

もう、長野県に行くしかない!
私たちは、長野まで行くことを決めた。

いざ、長野の病院へ!



長くなってしまったので、後半に続きます!




お読み下さりありがとうございました。

吃音に携わる方々は、それぞれ色々な考え方をお持ちだと思います。
こういう人達もいるんだな〜と、温かい目でお読み頂けたら嬉しく思います。

自分たちの経験を綴る事は、迷いもありましたが、吃音のあるお子さんの保護者の方に、何か少しでも参考になりましたら、嬉しく思います。

後編はこちらです。お読みいただけましたら嬉しいです。



なかまち


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