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心のカーテンをもっと開けたい〜吃音のカミングアウト

こんにちは。なかまちです。
小学生の娘と母親の私自身に吃音があります。

趣味の方の別コミュニティで、私自身の吃音をカミングアウトしました😊

30代後半でのカミングアウトに緊張しました…!
以下、全文です。(グループが特定されてしまう呼称は変更しています)

「私の場合」の話ですが、こんなふうに考えている人がいるんだなぁという一例として、もしどなたかの参考になれば幸いです。



実は、私は吃音者です。

皆さんとお会いする中で日々自問自答を繰り返し、皆さんに知ってもらいたいと思うようになりました。

長いのでお時間あります時に、お読み頂けましたら嬉しいです。





まず吃音についての一般的な知識を共有させてください


吃音(きつおん)とは】

語頭の繰り返し「た、た、た、たさきです」(連発)
語頭が伸びる「たーーさきです」(伸発)
語頭がなかなか出てこない「…っっっ……ったさきです」(難発)
の症状のこと。

・話す度になるのではなく、「なる時とならない時」がある。
・どんな場面で吃音の話し方になりやすいかは、人によって異なる。
・2人以上で「せーの」でいうと吃(ども)らない
・歌はほぼ吃らない
・吃音の話し方が多く出る時と、あまり出ない時がある(症状に波がある。波の原因はまだわかっていない)

「吃る(どもる)」という表現は、差別的な意味合いが強く、放送禁止用語とされていますが、私はあえて使っています。ただの「違い」で「差別」ではないと心から思っているからです。

よくある誤解について】

緊張しているから、自信がないから、慌てているから、吃音の話し方になる、という考えは誤解。(そのため、「ゆっくり話したら?」「落ち着いて」などのアドバイスは不要。ゆっくり話しても、落ち着いていても、なる時はなる。)

・昔は、親の育て方が原因とされていたが、研究が進んだ現代では、完全に否定されている。

 

原因と有症率】

・生まれもった体質によるもの(はっきりした原因はまだ研究途中)で、今の所治療法はない。

・幼児の約20人に1人が発症するが、8割は2〜3年で自然治癒する。反面、2割の人は一生付き合っていく事になる。どの子が治癒するのか、どの子が治癒しないのかを見分ける方法は、今はない。成人の有症率はおよそ100人に1人。

自然治癒率が高いことから、「うちはこうしたら治ったよ」という情報がネット上で飛び交っているが、それはその子が「たまたま元々治癒する体質」だった、ということで、治癒率を上げる方法は、今の所ない。

 

吃音者のよくある悩み】

レストランで食べたいものを頼めない

多くの吃音者は吃りやすい語とスラスラ言える語がある。(あ行のオムライスは吃るけど、か行のカレーは平気、など)
そのため「本当はオムライスが食べたい→吃音が出て変に思われたくない→カレーを注文する」などと、「食べたいもの」よりも、「吃らずに言えること」を優先してしまうことがある
(吃音者の吃ることへの恐怖心、羞恥心から)

学校の先生でさえも、吃音の正しい知識を持っている人が少ないので、子どもの頃から、吃ることでからかわれ笑われる経験が積み重なり、社交不安障害になってしまう人も多い。(社会の吃音への理解不足)

会話時に「吃らないこと」を優先するあまり、周りくどい言い方になったり、話を途中でやめてしまう、返事をしないなど、誤解されてしまうことがある。
(自分が話し始める前に、吃るか吃らないかが「わかる」ため、他の言葉に言い換えられる場合は、吃る語を避けることができる。そのため言い換えられない固有名詞で悩む人が多い)

電話が苦手
第一声が「難発」で出ないと、無言電話と思われてしまったりする。

自分の名前が言えない
自分の名前が言いにくい「行」から始まる場合、自分の名前がなかなか言えなく悩む吃音者は多い。

挨拶が言えない
「おはようございます」「お疲れ様です」「ありがとう」などの挨拶は、「あ行」が言いにくいと感じている吃音者には、つらい。吃りたくないあまり、挨拶を避けて、感じが悪い人と誤解されることも。

 

吃音者の現状】

・「絶対人前で吃りたくない隠し通す派」と「カミングアウトしてありのまま吃りながら話す派」に分かれている。またはその中間の「カミングアウトしたけど、出来れば吃りたくない派」もいる。それ以外にも色々な方がいる。
吃音者一人一人の背景が異なるので、何がいい悪いということはない。

 

私の吃音について

ここからは「私の吃音」について説明させてください。
私は吃音者なのですが、今の私の吃音はかなり軽度で、日常生活で困ることは一切ありません。

レストランで頼みたいものを頼めないということもありません。苦手な言葉もありません。電話も全く問題ないし、自分の名前も難なく言えます。話したいことを諦めることもありません。大人になってからの仕事でも、接客やコンサートの司会、館内放送をするなど、人前で話すことを主な仕事としていました。

子どもの頃は、それなりに悩みはありました。
「話したいことがあっても吃るからやめよう」とか、「吃らないように工夫した結果、わかりにくい説明をしてしまう」ようなこともありました。
しかし、小学生の頃から放送部に入り、全校生徒に向けた放送をするなど、基本的に話すことは大好きで、学芸会では主役に立候補したこともありました。高校生の頃は声優さんに憧れ、養成所に通った事もありました(爆)。

「それほんとに吃音者って言えるの?」と思う方もいるかもしれません。

私の場合】は、昔から「決まったセリフ」「決まった言葉」「文章を読む」時には、全く吃りません。
しかし、「リラックスして家族で会話している時」や、「リラックスして親しい人と話すとき」に、吃音の連発がでます。

私は「リラックスしている時」に出るタイプなのです。

しかも、「おおにぎり」「ここんにちは」程度の繰り返しなら、通常の会話なら、ほとんど気づかれません(自分でも気づかない)。
それでも、1日に数回、「かかかかかかかかか…」となって『「か」から進めないぜぇ〜!』となる時もリラックス時には多々あります。
しかし、外で派手な連発が出た時は「吃っちゃた〜」と自ら笑い飛ばすなどしてごまかしており、全く困っていませんでした。(人に吃音自体を笑われた経験はありません)

日常生活で全く困っていない私が、なぜカミングアウトしようと思ったのか


娘の発吃

それは娘の発吃(はつきつ)が原因でした(吃音を発症することを発吃と言います)。

娘は2歳で吃音になりました。
正直、娘が発吃するまで、私は自分が吃音者であることを全く忘れて過ごしていました(それくらい吃音によるストレスや困りごとがなかった)。
娘が発吃して、私は慌てて「なんとかしなきゃ!」と思いました。

当時様々なところへ相談に行きましたが、児童館の人、小児科医などから「お母さんがゆったり接してあげて」や「毎日15分ゆっくり子どもと遊んであげて」、「吃音はお母さんの育て方だから、この育児書読んで接し方を改めたら?」などと言われ、私は全て真に受け、初めは頑張って実行していましたが、娘の吃音は全くなくなりません。
私は徹底的に自責し、挙げ句の果て鬱になり、2年間絶望の底に落ちていました。

今となっては、その時言われた様々なことが、正しい知識のない人たちからの「根拠のないアドバイス」だったことがわかりますが、当時は真に受けてしまったのです。

それまで私は、吃音についてあまりに無知で、吃音は「治さなければならない、隠さなければいけない恥ずかしいもの」と思っていました。(自分が吃音者でも、子どもの頃、親から吃音について教えてもらった経験はありませんでしたし、私が子どもの頃はまだ誤解や偏見が一般的だったのだと思います)

吃音について初めて学ぶ


鬱から回復しかけた頃、本を読んで勉強を始めました。
そこで、自分では想像もしないような、全く新しい考え方に出会いました

吃音の最大の問題は、発吃初期に見られる自然な吃音症状を周りの人も本人も“治さなければならない普通ではない話し方“ととらえてしまい、変えよう、治そうと工夫するために不自然で苦しい話し方へと進展、すなわち悪化してしまうことである。そうさせないように、その話し方をその子の持って生まれた自然な普通の話し方であると、本人も周りの人も認識して、そのまま話せる環境をつくること

「こどもの吃音症状を悪化させないためにできること」p.74より

防ぎたいのは症状の悪化、二次障害です。「その人の自然な話し方を工夫した結果、力の入った、不自然で、無理をした、苦しい、しんどい話し方になってしまう。そうしてこじれてしまい、複雑化してしまい、二次障がいを引き起こしてしまう」これを防ぎたい

「こどもの吃音症状を悪化させないためにできること」p.88より

本人も周りも「吃音の話し方は、その人の自然な話し方で悪いことじゃない。隠すための工夫を重ねると悪化、複雑化してしまう。だから、隠すための工夫をしないで、そのままで話すことが大切なんだよね」としっかり理解することが大切ということを学びました。

こんなにも、吃音をニュートラルに「ただの違い」として受け入れる考え方があるのか…!と衝撃を受けました。

吃音者の悩みの原因

考えてみると、前述の【吃音者のよくある悩み】のほとんどは「吃音を隠そうとすること」が原因にあると感じます。そして隠すようになった背景には、周囲の理解不足や誤解による、からかいやいじめなどの嫌な経験の積み重ねがあると思います。

本人が吃音についての正しい知識を持ち、「この話し方は自分にとって普通のことなのだから、悪いわけがない。悪化、複雑化予防のためにこのままの話し方で行こう」としっかり理解していることと、
周囲(社会)が、「吃音はその人の自然な話し方。吃音が出ていても、何も悪いことはない。話の内容に注目して聞こう」と理解していれば、隠すための工夫は不要なのです。

しかしこのような考え方は、「嫌な体験、辛い体験をたくさん積み重ねてしまった吃音者」には、吃音を否定する気持ちが拭えず、なかなかそうは思えない、そんなこと出来ないと、受け入れられない気持ちになると思います。

だからこそ、「幼児のうちから」「吃音をマイナスに感じるような経験」を、周囲(先生、友達、保護者)への啓発によって、出来る限り「阻止すること」が大切なのだと思います。

そのため、今私の娘は、吃音を隠さず、生活しています。幼稚園でも、小学校でも関わる人全員に説明して、理解してもらい、娘の自然な話し方のままで堂々と生活できています。
伝えた人のほとんどが、「大切なことを教えてくれてありがとう。安心してお話ししてね」と温かく受け入れてくれることに感謝しています。
私も、たびたび娘に、吃音の悪化の兆候がないか会話して確認しています。
転入生や新しく赴任された先生には、その都度娘と手紙を書いて渡しています。


自分自身の吃音を見つめ直す


ちょっとかなり長くなりましたが、そんな経緯があり、私は自分自身の吃音を見つめ直すことにしたのです。

娘には「悪化予防のためにそのまま連発を出して話してね」と伝えているのに、果たして「私は出来ているのか」。
今私は外にいる時は、ほとんど吃音の話し方にならないとはいえ、「本当に」そうなのか。


近頃、皆さんとご一緒させていただく機会に何度か恵まれ、お話ししている自分を見つめ、気づきました。
「あ、私モゴモゴしてる時あるな。これってもしかして、吃音の連発が出そうな感覚なんじゃないかな。その時に、そのままモゴモゴしながらも話してみたら、どうなるだろう。もしかしたら、連発がそのまま出るのかも…。そうしたら、私の“自然な話し方”になるのかも…」

もしかして私は、家族以外の人と話す時、「無意識に」連発を出さないようにしていたのではないか。
「私の吃音は軽度だから、外では出ない」と思っていたが、もしかしたら、「無意識に出さないようにしていた」のではないか?

私の場合は、
幸い、今までそれで、何も困らずストレスを感じず、社会に参加することができていました。でも、「吃音についてニュートラルな考え方」を学んだ私は、自分の自然な話し方を追求してみたい気持ちが芽生えています

娘と同じ吃音者として、私が自然な話し方のままで生きる姿を娘に見せたい。
もし私が、たとえ「無意識でも」連発を出さないようにしているとしたら、それは「吃音を否定的にとらえている」ことになります。
私は「吃音を、ネガティブなものとしてではなく、“ただの違い”として捉える吃音者でありたい」と心から思います。

そして、自分では今の状況を「何も困っていない、ストレスもない」と感じているのですが、それについても果たして「本当にそうなのか」。
自分でも「気づいていない」、または「慣れてしまっているだけ」で、本当はストレスを感じている可能性もあります。

もしかしたら今後、自分の「自然な話し方」を追求していくと、「今までよりももっと楽に、自由に、自然体でいられる新しい自分」に出会えるかもしれません。

これからの私〜吃音との付き合い方


なので、今後もし、皆さんとお会いする機会があったら、吃音の連発を、「無意識に出さないようにしてしまうこと」を阻止して、「意識的にそのまま出してみる」を試みたいと思います。

なのでお会いした時も、「ここここここれかわいいですね!!!」「めめめめめめっちゃ似合ってます!」「たたたたたたさき行きたいです!」となるかもしれません。(しかも大声で)

そうなっても、その話し方は気にしないで、話の内容を聞いて会話してもらえたら、嬉しく思います😊(「ね、かわいいですよね」「うん、似合ってますね」「タサキはもう閉店時間過ぎてますね」など)

びっくりされるかもしれませんが、「あ、なかまちさん吃音だったね!そのまま出すのが悪化予防になるんだもんね!」と思い出してもらえたら、心強いです。

吃音のことを知らない通行人や店員さんなどは驚いて、奇妙な顔をするかもしれません。吃音については、まだまだ知られていない社会の現状があります。吃音を知らない人がその話し方を聞いて、悪気なく奇妙な顔や嘲笑してしまうのも、仕方ないのです。

勇気が入りますが、通行人などの自分の人生にとって大切じゃない人の目は、気にしないことにします。自分にとって大切な人たちがわかってくれたら、それで良いのです。自分が主役の自分の人生を、堂々歩いて行きたいと思います。

もしかしたら皆さんの中で、そういう話し方になる可能性がある人と一緒にいる事を、恥ずかしいなと思われる方もいると思います。その場合は、私に会うことをお控え頂くのがお互いのために良い気がします☺️


ここまで書いてきて、なんか泣きそうです。
私は吃音があることを打ち明けることで、「かわいそうな人」、「自分と対等の立場じゃない人」と思われてしまうかもしれないことが、一番切なく感じるなと気づきました。

「吃音」は、劣ったことでも、かわいそうなことでもありません。ただ「話し方が少し違うだけ」だと思っています。

もし今後、吃音のことで、わからないことや聞いてみたいことなどがありましたら、お気軽にお尋ねください☺️私にとって吃音の話題は「触れてほしくない事柄」では、全くありません。ご安心ください😊

最後に

私のような症状の軽い人が、カミングアウトすることで、新たな吃音の誤解を生んでしまわないか、最後まで悩みました。
吃音者の方の中には、吃音の偏見や誤解にさらされ、苦しい毎日を必死で生き抜いている方々も沢山います。
いつか吃音についての正しい知識が、ニュートラルな考え方ともに社会に広がり、全ての吃音者がありのままの話し方で暮らせる社会になることを願っています。
1人でも多くの方々に「吃音」について知ってもらえることになると思って、書くことを決めました。


こんな私ですが、もしよろしければ、今後もお付き合い頂けると嬉しいです。

長くなりましたが、お読みくださりありがとうございました😊


下記、参考文献兼愛読書です⭐︎

吃音についてニュートラルに捉える本。こどもの具体例や取り組みはもちろん、吃音を隠すための工夫をやめた大人の方の実例も載っています。↓

こちらはご自身も吃音のあるドクターが書いた一冊。全ページイラスト入りで見やすいですし、情報山盛り⭐︎↓


吃音のことをもっと知りたいと思ってくださる方におすすめ漫画2冊⭐︎↓



なかまち


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