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【事実発掘!FACT JAPAN 47 NO.42】大分県

こんにちは、中村です。
FACTメンバー唯一の九州出身ということで、今回は大分県について書いてみたいと思います。

大分といえば、皆さんはどんなイメージがありますか?
まずはやはり温泉ですよね。
大分県は、温泉の源泉数・湧出量ともに全国1位を誇ります。さらに県内には8つの温泉地と10種類もの泉質があり、多種多様な温泉が楽しめるのも魅力。

<至る所から湯気が立ち上る別府温泉>

そして豊かな自然が生む新鮮な海・山の幸。大分発祥のとり天をはじめ、別府冷麺、豊後牛、中津からあげ、日田焼きそば、関さば、関あじなど、郷土料理からB級グルメまで多様な食文化も魅力的です。

さらに、実は国内有形文化財件数(建造物)も210件と日本一!
歴史的価値のある建造物が県内の至る所にあります。

しかし!!

こんなにも観光資源が揃う大分の魅力が十分に伝わっていないと言える調査結果が。
「観光に行きたい都道府県ランキング」(ブランド総合研究所, 2022)で全国36位... 
アジア圏訪日旅行客を対象とした調査でも38位...

観光資源のポテンシャルに対してあまりに低すぎる結果ではありませんか!!!

人材やインフラ、アクセス、情報整理など観光地における課題は複雑で、一筋縄にはいかないことは承知の上ですが、同じ九州出身の身としてちょっと放っておけない...
ということでここからが本題。今回は「大分の観光をもっと盛り上げるための定言」をさせていただきます!

大分はボランティア発祥の地

大分県についてリサーチを進めていたところ面白いことが分かりました。
実は、大分県は「ボランティア発祥の地」だったのです。

時は戦国時代にまで遡ります。
1552年、医師免許を持つポルトガル人貿易商人のルイス・デ・アルメイダが貿易のために来日。貿易は成功して巨万の富を得ましたが、彼は当時横行していたある悪習を目の当たりにしたことをきっかけに、大分に止まる決意をしました。

「間引き」です。

間引きとは、貧しさを理由に生まれたばかりの子どもを手放すという当時の日本の習慣のこと。
非常に心を痛めたアルメイダは、子どもを引き取り育てるための育児院を自らの私財を投じて設立。これを拡充して建てられたのが日本初の西洋式総合病院である「アルメイダ病院」で、貧しい人には無料で診療していたと言います。まさに慈悲の心あっての奉仕。

そして運営支援を託されたのがミゼリコルディアという、地元のキリスト教信徒らでつくる互助組織で、アルメイダが祖国にならって結成を呼び掛けたものだったそう。
ミゼリコルディアは「慈悲」を意味するラテン語で、これがボランティアの発祥だとされています。

当時の藩主・宗麟もまた熱心なクリスチャンで、病院建設を全面支援したという記録も。人種も文化も異なる異国の地で私財を投じてまで病院を立てたアルメイダ。そして、彼の行動に共感し、見返りも求めずに協力したミゼルコルディアや藩主・宗麟たち。その活動精神は慈悲と慈愛に満ちていたであろうということは想像に難くありません。

<設立当時のアルメイダ病院>

慈悲に満ちた助け合いマインドは今も受け継がれている

ここでひとつ思い出したことがあります。
それは2002年6月、日韓W杯開催に向け、大分・中津江村がアフリカの強豪カメルーン代表のキャンプ地誘致に成功したお話。

中津江村は大分県東部に位置する人口1000人ほどの小さな村。サッカーに縁もゆかりも無かった村が一世一代のチャンスを掴み、遠くアフリカと日本をつなぐ架け橋となった裏には元村職員の長谷俊介さんの存在が欠かせません。

<到着後住民総出で歓迎を受けるサッカーカメルーン代表>

当時、後にキャンプ施設となる「 鯛生スポーツセンター」の所長だった長谷さんは「村に、施設に活気を!」と勢いで手を挙げました。しかし近隣学校にはサッカー部もなく、そもそも「W杯って?」という状態。まさにゼロベースだったプロジェクトを長谷さんは持ち前の「巻き込み力」で乗り切ります。
足りない備品は隣村から借り、送迎バスの手配、警備の計画等どんどん出てくる仕事は役場職員を中心に巻き込み『オール中津江』で準備を扇動しました。

大切にしたのは住民の主体性
住民からアイデアを募集し、住民のマンバワーを生かして主体的に取り組んでもらえるように声かけを行いました。
結果的に小学生から高齢者まで村中の人々が協力し、応援グッズや歓迎装飾、歓迎セレモニー、期間中の交流行事、公道や施設の清掃、練習着の洗濯の手伝いまで、全て村内で行ったそう。
そして予定より数日遅れでカメルーン代表が現地に到着したのはなんと午前3時。それでもたくさんの住民が歓迎のために集まり大きなニュースになりました。

もちろん物珍しさもあったと思います。それでも実を粉にして準備に奔走し、最高のおもてなしで出迎えようとした心意気の裏には間違いなく村一丸となって支え合う助け合いの精神、慈悲に満ちた思いやりの心があったはず。
手を挙げるリーダーの存在。
さらに人を巻き込む力と、それに応える放っておけない助け合いの県民性が実を結んだと言えそうです。

スーパーボランティアおじいちゃん

ご存知の方も多いであろう「スーパーボランティア」こと尾畠春夫さんもここ大分県在住。
2018年に山口県で行方不明となった当時2歳の男の子を救助し、ライフワークである災害ボランティアの活動も広く知られるようになりました。

<スーパーボランティア 尾畠春夫さん>

尾畠さんは1993年にボランティア活動を本格化。以降由布院岳山道の整備をはじめ、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨など全国各地で活動を続けています。

その功績が讃えられ、2020年には国から緑綬褒章を受賞。
あまりに精力的な活動からボランティアメンバーからは精神的支柱として崇拝され、時に「現場の神様」とも言われるほど。
まさに大分の慈悲の心、ボランティア精神を体現する存在といっても過言ではありません。

元を辿るとボランティア発祥の地、大分県。
先の例だけで県民全てをくくることはやや強引な気がしつつも、各所で全国的ニュースになるほどの精力的なボランティア精神あふれる活動が行われたことは決して偶然では無いように思えます。

ボランティア精神を礎に、           「大」志を「分」かち合う大分県。
支え合い精神が大分の観光を育てる鍵に?

名は体を表す。
ボランティア発祥の地であり、そのマインドが今も受け継がれし

大分県はボランティア精神を礎に、同じ「大」志を「分」かち合う県

だとも言えるのではないでしょうか?

このように大分県を再定義してみると、「大分の観光をもっと盛り上げるための定言」も具体策が見えてきました。

冒頭に触れた通り、現状大分県の訪日外国人からの期待値は芳しくない。さらに、調べてみるとインフラとして看板や情報の多言語化率が低いことや、言語的障壁から観光業の離職率が高いこともわかりました。

したがってまずは知られていない大分の魅力を国外に向けて発信すること、そして受け入れ体制をハード/ソフト両面で整えることが必要だと考えられます。

上記課題に対して、ボランティア精神を強みにして解決策を考えてみます。例えば、訪日外国人受け入れ/観光支援ボランティア団体を発足させるのはどうでしょうか。

実は大分には立命館アジア太平洋大学(APU)など国際的な教育機関があり、多くのグローバルスタンダードな人材を育んでいます。
もし、こうした世界に目を向けている学生たちとタッグを組むことが出来れば、一例ですが街の多言語対応化や、ホテルや観光施設・名所における通訳、SNSでのグローバルな発信などを組織的に進めることができるはず。
学生ボランティアというと広島県で通訳として活動するスーパーキッズが記憶に新しいでですが、次世代が積極的に地元産業を支えることは未来に繋がっていきますし、実質的な訪日外国人増だけでなく、「ボランティアの県大分」としてのさらなるプレゼンスアップにも繋がること間違いありません。

ということで、最後は中村の独りよがりな(?)定言となってしまったかもしれませんが、大分県のFACT、いかがでしたでしょうか?

いよいよ終わりも近づいてきましたFACT JAPAN 47。
第43回はFACT一慈悲の心にあふれる細川Pよりお送りします。
お楽しみに〜!

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