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「間違いを恐れる人」

みなさんの周囲に、影響が軽微なことであっても間違うことにとても過敏な人っていませんか?
自分の世界だけに留めておいてくれるならば、何ひとつ文句はないのですが、往々にして人の間違いを黙っているのが我慢できずに指摘して、実質的に従うことを強いたり、それだけならまだしも、明らかに影響が軽微でどうでもいいことなのに、間違わないことを要求してきたりします。

いわゆる「決められない人」でもあります。

性格というよりは、育ちの問題なのではないかと思いますが、思考のガードレールをはめられてしまって、重要性というファクターを持てないからでしょう。
ストレスを抱えやすいだろうし、その点に関して言えばとても気の毒に感じます。

口コミ中毒

食べログの点数をやたら気にする人がいる。何をするにも口コミをやたら気にする人がいる。常に友人や知り合いの口コミや紹介を求める人がいる。いわゆる評判ってやつです。今は近所の噂話しというよりはネットを通じて書き込まれたものが中心で、もちろん多少なりと参考になる時はあるのですが、依存するものではないと思います。

権威中毒

どこそこの誰が言ってたとか、誰それの本に書いてあったと自分の言説をやたら権威付けしようとする人がいる。「他はどうしてるんだ?」とやたら他社事例を気にする人がいる。もちろん、参考になる時はありますが、本やビジネス雑誌やウェブの記事でわかることは少ないので、本当に参考にしたいなら、直接話しを聞きに行く方が圧倒的にいいが、よほどでない限り参考にはならない。

答えのある問いを探す癖

やはり、大事な事は、何が食べたいか?何のために何がしたいか?です。暇つぶしでないなら、少なくとも答えのある問いを探すのはやめた方がいい。

答えのない問いを持つこと自体を避けているようにも見えます。そして、こういう人って文句を言いながらも具体的なルールを求めるんです。ガードレールがないと不安で仕方がないのでしょう。本来ガードレールなんかなくとも、自分のセンターラインで生きて行けばいいと思うんですけど、センターラインが引けないのでしょう。

また、ChatGPTなどの生成AIに問い、それっぽい答えが出てくると、その回答に思考が支配されて抜け出せなくなってしまう恐れがあります。

結局、正しさというよりも、間違っていないこと、誰かに指摘されないことに執着してしまい、正しさに支配された人の予備軍を形成すると考えています。

親や学校が楽するためのガードレール

これが世に言う現代学校教育の弊害ってやつなんでしょうか?そこそこ頭のよさそうな人までそんなメンタリティの罠に嵌っているのを見ると、子供のころに自然に生じる問いを封じられたまま、親や学校が楽をするための思考のガードレールをはめられた人って多いんだろうなぁ~って思うと、親もそうですが、現代学校教育の罪は深く大きいなぁ~とつくづく思います。

自然な問いを育む

これから親になる人、いま子育て中の人は、自然な問いを大事にして、多少面倒でも、思考のガードレールにはめないよう、学校によるはめ込みへの抵抗力を養うよう、サポートして差し上げてください。

#誇りを持って生きる
#思考のガードレール
#自然な問い

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