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「ありたい自分・あるべき自分・今の自分」

やりたい事・やりべき事・やれる(出来る)事の重なったところで仕事して生活を営めるといいですね!ってお話しを以下の記事にしました。

自分自身にフォーカス

では、それと同じ視点で、自分自身にフォーカスして置き換えてみたらどうなるのでしょう?

ありたい自分・あるべき自分・今の自分って事になりますね。

  • ありたい自分
    外見や体技心の自分自身に加え、役割や周囲との関わりやなどに対する願望のようなものでしょう。

  • あるべき自分
    親として子として兄弟として友として上司として部下として○○としてという職業や人との関係性によって定義づけられるものでしょう。

  • 今の自分
    好む好まざるに関わらず、どうであれありのままの自分です。

そして、「ありたい自分」と「あるべき自分」ができるだけ一致し、今の自分とギャップはあれども、重なりを生きていく核として、その領域を拡大していけそうな見通しがある、あるいは拡大していけているのであれば、それはまさにご機嫌に暮らしている状態だと言えるでしょう。

成長のボトルネック

つまり、それが自分を見失っていない状態での主体性をもった成長と言えるのですが、成長の最も強力なボトルネックになるのが、自ら自分の限界をほぼ現状の自分に設定してしまうことでしょう。やる前からできないと決めつける。まさにありたい自分など考えるだけ無駄、考えるだけ虚しくなるという状態です。

認知的不協和と不確実性の恐怖

自分の可能性を自分で蓋をし、努力を無意味なものと片付けてしまう思考は、メタ認知獲得を妨げる「認知的不協和」と「不確実性の恐怖」によるものもありますが、それ以前に、弱者や被害者のままでいたい。その方が精神的に楽だという、所謂コンフォートゾーンに閉じこもっているケースもあるしょうね!

あるべき自分だけでは他律的

結局、あるべき自分に支配された他律的人生となってしまいます。成長も運任せで限定的となるでしょう。

内発的自律的な動機が成長の決め手

やはり、ありたい自分が、自律的動機の元となり、成長の決め手である内発的エネルギーの源泉になると考えます。そして、それは、「「自己の内面と外面、思想と発言と行動、肉体と精神などあらゆる要素におけるより高次元での統合性への拘り」いわば「自己へ向けた美意識」にある」と以下記事で結論づけました。

統合的バランスを求める本能

この「自己に向けた美意識」は、人として統合的にバランスのとれた状態を求めるもので、人類としての本能に基づくものであるにも関わらず、とても個人差の大きいものです。みな食欲はあっても、何を食べたいと思うか、何を美味しいと感じるかの個人差が大きいことと似ています。では、美意識は何によって形作られていくのでしょう?

美意識を構成する審美眼

遺伝的なものがあるのかどうかまではわかりませんが、美意識を構成する審美眼は、食欲における食べ物の美味しさを求める意識とそれを構成する官能、および官能を構成する味覚・嗅覚・触覚・視覚と同様に、モノやコトの違いを識別する能力に依存しています。

人それぞれではありますが、その識別が明確であるほど、ありたい自分が鮮明となり、強い動機になるのではないでしょうか?

例えば、この1年前の記事で書いているのは、「明らかにおじさんになったここ10年の最も大きな変化は、オシャレをより総合的に考えるようになったということで、いかにして効率的効果的により良い自分になるライフスタイルを最適化していくか?というテーマで、常にアンテナを高く張って情報を収集しながら考えているよ。」ということで、以下のような自分を意識して追求し続けているライフスタイルを表す格好と立ち居振る舞い、つまり統合的に自己にむけた美意識に基づいて、ファッションアイテムを選び、入れ替えているということを言っています。

  • 日本人であること

  • 男であること

  • 自立した大人であること

  • 健康かつ健康的であること

  • 明朗で活動的であること

  • 清潔感があること

  • 公明正大であること

  • 常に成長していること

もちろん、どこまで行っても自己満足なのですが、メタ認知と成長マインドセットによって独りよがりにならないようフィードバックが効いていると考えています。

#ご機嫌に暮らす
#Well being
#ウェルビーイング

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