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「小学5年生の私への手紙」

決して届くことはないし、届いても困る、自分が何者なのか?について問い始めた小学5年生の私への手紙を書いてみました。

小学5年生の私へ、

いままでの人生においてすべての判断が正しかったと思わないし、幸せに暮らしているし、強い後悔があるわけではなけど、いくつか伝えておきたいと思う。

人は生まれながらにして不平等である

人はそもそも自分で親を選べない。受け継ぐ遺伝子も選べない。
お金持ちか貧乏か、厳しいか優しいか、兄弟がいるかいないか、両親が揃っているかいないか、頭がいいか悪いか、かっこいいか悪いか、背が高いか低いか、走るのが速いか遅いか、などなど、すべて違う。違っていいのである。

平等なのは、基本的人権云々以外は、1日24時間というくらいで、金持ちでカッコよく運動神経良く生まれたから、幸せな人生が送れるかどうかもわからないし、本当に人それぞれだ。

つまり、どう生まれようと、どう生きるかだけが問われるということだ。

比べられても比べるな

人は身勝手な物差しで人を測って比べるのが大好きだ。比べるための共通の物差しまで作って順番に並べたりする。時にそれを人の優劣として使う。まあ、勝手に優劣をつけさせておけ。
でも、自分では人と自分を身勝手な物差しで測り比べて優劣を決めるような行為はやめておけ。

社会とは折り合いをつけろ

優越感も劣等感も持つな。なんの役にも立たないからだ。ただ、世の中は優越感と劣等感で生きている人が大半だと言うことは忘れちゃだめ。
つまり、社会の一員として生きる以上は、いくら身勝手な物差しでも折り合いを見つけて付き合わないといけないよ。

何者なのかは自分で決めるもの

誰も何者かは教えてくれないし、教えられるものでもない、何者かを決めたければ自分で決めろ。何者になるかも自分で決めろ。その肉体にその意識があり、他の組み合わせはない。
そして、はっきりしている事はただひとつ。病院で取り違え事故があったとしても、どこかで拾われた子だとしても、お父さんとお母さんの子だと言うことだけ。

では、また、いずれ。
おっさんになったあなたより。

#誇りを持って生きる

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