「時間の換金からワーク・イン・ライフへ」
我慢の時間をお金に換える
学生の頃や就職してしばらくは、生きていくために遊ぶために、我慢の時間をお金に換えるのが仕事(労働)だという認識でした。能力×時間=仕事(労働)の成果を換金するような感覚です。学生の頃のアルバイトは時給、就職すると月給でしたが、残業すると基本給を所定の労働時間で割った時給に割増し率を加えた残業単価×残業時間=残業代が月末締めで、翌月の給与に加算されて支給されましたので、我慢の程度は別としても、少なくとも時間をお金に換えるというのは、月給だけでいえば、時給のアルバイトやパートと同じように実態と一致していたと思います。賞与と合わせると、単純な単価×時間=支給額ではなくなりはしましたが、概ね、時間をお金に換えるというのは、一般的感覚だったと思います。
やらされ仕事か?自分の仕事か?
しかし、幸いなことに世の中のためになっていないような仕事やただ辛いだけの仕事ではなかったので、楽しい時間とは言えないまでも、辛い時間に耐えてお金をもらうというところまでにはなりませんでした。
とはいえ、普段の生活や欲しいものを購入する、休みの日や仕事が終わったあとの平日の夜に友人や恋人と楽しく過ごすためのお金を稼ぐための仕事という線引きはありました。
就職してそれほど経たない頃ですが、自分の仕事は自分で考えて上司に提案して了解を得ることで決めていくスタイルが確立してからは、指示として降りてきたあまり気の進まない仕事でも、自分なりの仕事に仕立て直してから着手するようになりましたので、段々と仕事も仕事以外の時間も、自分がありたいようにいられる時間となっていきました。
つまり、仕事は自分の仕事、自分事になっていったのです。もちろん、思い通りになることなど極一部ですが、それでもある程度は思った通りにはできました。
ワーク・イン・ライフ
そのうち、特定の企業に属する会社員としての職場や会社に対する問題意識と、個人の生活者としての周囲の人々や社会に対する問題意識が統合されてくる、会社は社会の部分集合であり、社会の縮図なので、当然と言えば当然なのですが・・・、そうなってくると、仕事で得られた気づきや知見は、生活者としての気づきや知見である一体的関係になっていきました。まさにワーク・イン・ライフです。
ありたいように(少なくとも「正直に(嘘をつかない)・与え(盗まない)・助け(足を引っ張らない)」もちろん、「羨まず・妬まず・驕らず・威張らず・蔑まず・貶めず」は大前提で)、空気に流されることなく主体性を失うことなく誇りを持って日々の生活を営み、しっかり仕事もする。
そうすると時間あたりの密度が濃い日々が送れます。
そんな私を、好き勝手に我儘に生きているだけじゃないか!運がいいだけじゃないか!お気楽なだけじゃないか!などと批判的に考えない方なら、すでにワーク・イン・ライフな人生を作っているか、作っていけると思います。
ひとりでも多くの人がWell-being(ご機嫌)なワーク・イン・ライフを作っていけるよう心から願っています。少しでも参考になれば本当に嬉しいです。
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