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「ゲームはプロセスを楽しもう❣️」
おっさんでも負けると悔しい⁉
先日、同年代の古くからの友人たちと話しをしていたときに、割と意外だったのは、還暦近くなっても、結構な負けず嫌いな性分が残っているというか、旺盛だという事です。
もちろん、何の勝ち負けか?にもよるのですが、将棋やオセロなどのゲームでも「負けると悔しい」と言うわけです。ゲームは順位を含めて勝敗を競うわけですが、勝とうが負けようが、そのプロセスを楽しむものだと思っている私にとっては、「若いうちならまだしも、この歳になってもそうなのか?」と結構な驚きでした。
悔しさより向上心をバネにした方が健全
確かに、同年代である妻は今でもオセロやトランプで負けると、まるで子供のように悔しがり、「本気でやるなんて大人げない」「意地が悪い」とまで言って私をなじります。決して、私のゲームの進め方を学ぼうとはしません。
結局、負けるのが嫌な彼女は私とオセロやトランプをしようとしなくなりました。悔しさをバネにするには若さが足りないのかも知れません。
若い時には負けるからやらないという選択をする人も結構いましたが、大人になってもいるってことですね!
そういえば、負けるのが嫌だからゴルフをしないという同年代の友人がいました。彼は運動神経もルックスも良く、色んな意味で勝ち慣れてしまっているからかも知れませんが、「止まったボールごときを打つのに思い通りにならないゴルフごときで負けて悔しい思いをするのは嫌だ。」という事でした。とてもセンスがあるのに勿体ないなぁ〜とは思います。
どんなゲームでもそのプロセスを楽しむのであれば、やはり接戦がいいし、上手にゲームを進めたいので、腕を上げたいということになり、自分より上手な人から、盗みとるか、聴いて学ぶか、自分で研究するという行動をとるでしょう。つまり、向上心をエネルギーにして上達を図っていくということです。
勝つ嬉しさや負ける悔しさをバネにするのは20代前半くらいまでにしといた方が、結果でしかない勝ち負けに支配される事なく主体性ある楽しい人生を送れると思いますますけど、難しいのでしょうかねぇ〜。
勝ち負けへの拘りは真の自立を阻害する
オセロやトランプやゴルフなどのゲームでの勝ち負けにこだわって勝って誇ったり負けて悔しがるのはいいとしても、気をつけないといけないのは、その延長線上にある、誰かが決めた様々な社会の身勝手な物差しによって測られた優劣に心まで支配されて生きることに繋がりかねない事です。
そもそも、そんなものは目標にも基準にもするものでなく、社会生活における方便や手段にすぎず、自分とは必ずしも一致しない社会で生きていくうえで折り合いをつけるものであって、そんなものに人生を支配されてたら、ご機嫌に暮らす事なんてできないでしょう。
せめて年齢的に大人を自覚するなら、横の弱みと縦の弱みを克服し、自らをそんな呪縛から解き放って、真に自立する事を強く勧めたいですね!
そして、
ゲームのプロセスを大いに楽しみましょう。
誰かに勝つ喜びや負けた悔しさではなく、向上心をエネルギーに努力をして上達する楽しさでご機嫌に暮らして行きましょう。
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