「大人になるって?」
肉体的には子供が作れるようになるとか、法的にはお酒が飲める20歳とか選挙投票ができる18歳とかが大人って事なんでしょうけど、よく「大人になれ」って言われたりする「大人」ってどんな人なんでしょう?
言う人によって随分意味が違う、とっても都合の良い言葉のようにも思いますが、少なくとも言う人の基準で考えが幼いと感じた時に発しているのだとは思います。
なにしろ一体何が幼くて何が大人なんでしょう?とっても漠然としています。言われた方が自分で考えろって事なんでしょうけど、とっても不親切ではありますね!
もしかしたら、言った人は言語化できないかも知れませんよ。
どこかの大人の定義
ちなみにWikipediaによれば、辞書に書いてある内容は以下のような事だそうです。
確かにその通りなんでしょうけど、なんかもっと本来的な意味合いに論理的に整理できないものかと思うわけです。それに、このままだと身勝手で都合の良い解釈で卑しさや事勿れ主義も含まれてしまいます。事勿れ主義などは、平和主義者風で対立を避けるという意味では一見大人風に見えますが、問題を先送りするだけの、無責任の象徴でもあるので、大人の定義には含めたくないんですよえねぇ〜。
と思って探してみたら、別の定義を見つけました。自分としては、この方がしっくりきます。
精神的に自立している
金銭的にも自立している
きちんと生活ができる
責任感があること
人のために頑張れること
一般常識を持っている
ただ、この基準、結構ハードル高いかも知れませんね!
それにきちんと生活できるとか、人のために頑張てるとか、一般常識とか、ちょっと疑問に思う要素を結構含んでいます。
私が考える大人の定義
では、私はどんな時に幼さを感じ、どんな時に大人を感じてるんでしょう。
金銭的自立は前提として、私にとっての大人というものを以下に整理してみました。
精神的成熟
元来の性根:
幼児性(自己中心性/自己顕示欲/勝ち負けへの執着)を昇華させている事自分の過去:
過去の出来事(トラウマや犯した間違いなど)を昇華させている事他者との関係:
優越意識/劣等意識を昇華させている事
責任ある行動
公共的存在(誠実/公正/謙虚)である事
未来に対し責任ある行動をしている事
あらためて言語化してみると、私の頭のなかの大人は、精神的成熟と責任ある行動に収斂されそうです。
もちろん、アル中は困りますし、きちんとした生活が出来た方がいいですが、できないことは誰かにサポートしてもらってもいいですし、弱音を吐いたり、誰かに助けを求めても大いに結構だろうと思います。
また、人のために頑張りすぎて壊れてしまったら意味がありませんし、人それぞれ生きてきた道は違いますし、知識が偏ってしまっているケースも多々あるでしょう。
そして、私は大人が好きです。
大人になろうともがいている人も好きです。
大人になろうともがいている人をその人間関係にあった何らかの形でサポートする大人はもっと好きです。
好きな人がどんどん増えて欲しい。
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