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「習い事とクラブ活動と私」

私は、小学校5年生から大学受験で部活を引退するまでの7年間ほど剣道をやっていた事があります。
友達のFacebookの剣道に関する記事を見てふと、結局、剣道を好きになれなかった私にとって、「あの7年間は何だったんだろう?これだけ夢中になっているゴルフとは何が違うのだろう?」「他にもいくつか習い事やったけどなんか意味あったんだろうか?」なんて事が頭をよぎりました。

母親の愛情と期待

彼女は、決して教育ママゴンではありませんでしたが、習い事やクラブ活動への参加には割と積極的でした。才能があるなら伸ばしてやりたいって思ってくれたんだと思います。

4歳の頃から小学校1年生の夏に転校するまではヤマハ音楽教室に通い、これは習い事ではありませんが、小学校3年生は音楽の先生に入団を進められてテストを受け、少年合唱団に入団し、結局、4年生になるときに、域外への転校で1年で退団してしまいましたが、合唱団の制服を着て真面目に通いました。

小学校4年生5年生は、書道、ピアノ、ソロバンを習いましたが、結局、5年生2学期前の転校で終了してしまいます。当然のことながら何1つものになることはなく、発声とか結構やったので音楽の成績は常に良かった事とカラオケが結構上手い方なのは、もしかしたら音楽系の習い事は通算5年くらいやったお陰だったかもと思いますし、字もまあまあ綺麗な方かと思いますが、まあ、その程度です。

ゴルフ以外も最も長くやった剣道は、転校した小学校5年生の2学期から「何か身体を動かすのをやらせた方がいいのではないか?」という母親の勧めで始める事になりました。父親が柔道をずっとやっていましたが、「柔道界は汚い。息子には勧められん。剣道ならいいかも知れん。」という発言が決め手になりました。

基本、親の求める良い子でいることが重要なことと考えていた私は、全く興味はなかったのですが、意向を確認された際、何となく「うん」と言ってしまい、週に2回ほど街外れの道場に母親の運転で送迎してもらいながら、剣道をすることになったのでした。

全てが見よう見まね

早速、道着と防具と竹刀を買って140cmに満たない小さな少年が剣道を始めるわけですが、その剣道クラブの同学年の子たちは、もっと小さな頃からそのクラブに通っており、5年生の後半から入団するような子は少なく、強い気後れ感を感じながら、慣れるにはかなりの時間がかかりました。
先生も結構数はいましたが、生徒もそれなりに多かったこともあったのでしょう。最初から5年6年の高学年の集団に入れられ、同じ練習メニューをこなします。そして、時間が来たら終了。何か教わったことはなく、全て見よう見まねです。時々練習の最中に「屁っ放り腰になってる」「もっと踏み込め」「もっと動け」「もっと声を出せ」とか言われるのですが、正直言って何をどう直せと言われれているのか?がわかりません。
もちろん、通って竹刀を振っていれば様にはなってくるわけですが、何1つ楽しくないわけです。しかし、母親は、慣れだけでも様になってくる息子を見て「楽しそうだねぇ」「気持ちよさそうだねぇ」などと言ってくるので、「そうだねぇ」などと生返事をして、早く家に帰って今日を終わりにしたいという気持ちで一杯でした。

中学校のクラブ活動

結局、小学校を卒業すると同時にその地域の中学校に入学することなく、別の地域の中学校に入学することになったので、その剣道クラブとの縁が切れ、剣道とも縁が切れたと思って、内心ホッとしていたのですが、たまたま、その中学校の剣道部はその地域では有名な師範が顧問をしているという話が母親に伝わり、気が進まない気持ちは伝えたのですが、その頃から興味のあったゴルフがしたいという言うわけにも行かず、結局、行きがかり上、剣道部に入部することになってしまったのです。
完全初心者でもないので、比較的円滑に部活に入れた点は良かったのですが、ここでも結局ひたすら竹刀を振り、走り回り、稽古をするだけ。時々先生が稽古をつけてくれましたが、ただ私の竹刀を跳ね飛ばしたり、絡め取ったり、叩き落としたりするくらいで、何か教えてくれることはなく、これも結局見よう見まね(まあ、先生の真似などできるわけもなく。ですが)。
それでも毎日のように練習をしていれば、上手になり、試合に出て入賞したりするわけで、昇段試験を受けて初段にもなり、3年生引退時にはなぜが主将にもなってしまい、もう責任感だけで剣道をしていたように思います。
ただ、もし、その頃に痔になったりしなければ、もう少し違う自分がいたかも知れないとは思います。

真冬の寒く冷たい床の上で練習し、正座する剣道によって痔が悪化する恐れを感じていたこともあり、日常化していた剣道生活であっても、毎日の稽古がどんどん気の進まないものになっていました。まあ、良く続けていたと思います。

高校のクラブ活動

高校は帰宅部一択と考えていたのですが、中学の剣道部の先輩が手ぐすねを引いて待ち構えていました。逃げ回ることも出来ず、痔のことも先輩には言ったのですが、「はっ?」って感じで当然無視され、結局剣道部に入ることになりました。何でしょうねぇ〜。剣道部への入部希望者の少なさなどを考えると、「協力せざるを得ないかなぁ〜、まあ、ここまでやってきたし、母親も喜びそうだし、やるかぁ〜。」って感じだった記憶があります。
結局、行きがかり上で剣道を継続することに。

しかし、どんどん痔は悪化し、益々真剣に剣道に打ち込むふりをすることすら厳しくなってきているにも関わらず、3年生引退時に主将になってしまったのです。
もはや剣道が好きとか嫌いとかを超越して、やらざるを得ない忍耐の対象化していきました。
それでも何とか一年間、形だけでも主将を務めて引退した時には、剣道への取組姿勢含め、リーダーシップでもマネジメントでも、決して誇れるような主将でないことが自分でも嫌というほど自覚できていただけに、「これでやっと剣道と縁が切れる。」とホッとした瞬間でした。
(防具も道着も竹刀も部室に置きっぱなしで卒業しました。)

習い事とクラブ活動と私

結局、習い事とクラブ活動は、私にとっては何だったんでしょう?
心からやりたいと思って始めたことは1つもありませんでした。あえていうと、書道は字が綺麗になりたいと思っていたので、比較的積極的だったように思います。音楽は好きでしたが、幼稚園のお遊戯の延長みたいなものでしたし、ピアノは妹に習わせたかった母親が、私に先生の家に連れて行かせるために説得されたような気がするくらいです。
そして、やっているうちに好きになって、自ら積極的に通うようになる、才能を開花させるなどという、よく聞くようなこともありませんでした。

そんな習い事やクラブ活動が、私にとって何の意味もなかったとは思いませんが、何か大きな意味を持ったとも思えないんですよねぇ〜。かといって何もしなかったら、別の何かが芽生えていた可能性?、なくはないでしょうけど、その時間、勉強していたとも思えませんし、テレビ見ながら転がっていたか、友達と遊び回っていただけの可能性が高いでしょう。悪い友達作って警察に補導され、親に心配をかけたかも知れません。そんなもんかなと。

だから、自分が親になっても、子供たちに、習い事や部活への積極的参画を強く薦めるようなことはしませんでした。もちろん、彼/彼女自身がやりたいと言いだしたことを止めはしませんでし、辞めることを止めもしませんでした。
かといって、何も知らなければやりたいという気持ちも生まれないし、特に小さな頃は、色々な世界に触れさせてやりたいとは思いましたけど。

ひとつだけはっきり言えることは、大して好きでもないことを延々とやるのは、やめた方がいいという事です。
剣道は痔になってしまって、そもそも辛い時間になっていたこともありますが、まさに気合と練習あるのみで、理なんてどこにもない。気合いと、Do、Do、Doの見よう見まね。勝ち負けにも頓着しない私のような理屈人間が好きになるわけがありませんよね!
まあ、「道」ですから、仕方ないです。

なお、一方で30年以上の長期間虜になってるゴルフ。日本のゴルフは、「道」でないのに、剣道と同じ、理のないことには強い問題意識をもっていますが、真剣に取り組むには充分な魅力はありました。

#より良い自分

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