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同じことを3度繰り返さなかった話

まだ潜在意識だの引き寄せの法則だのを知る前に起こったあることをふと思い出した。

10代の終わりに知りあったある子は、中3の時から家でごはんを出してもらっていないと言っていた。他の兄弟とお母さんは一緒に食べているのに、自分だけ食事が用意されないらしい。お金は貰っているようだったので(それも手渡しではなく部屋に置いておかれる)、それで何か買って食べたり、みんながいない時に冷蔵庫のものを食べたり。そんなことを何年か続けているらしかった。

わたしはたぶん、彼女を憐れんでいた。
わたしも親との関係はかなり悪かったけれど、彼女のそれは、わたしの比ではなかった。

夜中に受け取ったあるメール

知り合って1年半ほど経ったある日のこと。
わたしの悪口を書いたメールが彼女から届いた。
誰かに宛てて書いたものを誤ってわたしに送ってしまったらしい。

続けて、弁解をするような、言い訳を並べ立てたメールが届いた。
わたしはそれをただ冷たい感情で見ていた。

親しくしていたつもりだったのに。
話して、と言われたから自分のことを話したのに。
それが彼女の気に入らなかったことが、ただなんとなく、悲しかった。

ファックスで長い手紙が届いた。
彼女にはいろんなものを貸していたので、それを返したい、とも書かれていた。
会いたくなかった。ものを返してほしくもなかった。それでたぶん「会うつもりはない」という趣旨のことを書いて返したと思う。

彼女との縁が切れたあと、わたしはたまにふと、
「自分は彼女に冷たかったのでは?」
と考えることがあった。
過呼吸になってトイレでうずくまる彼女の硬くなった指を、さすってほぐしたことを思い出した。そんなに弱っている子が、友達以外の他人の前では声も発せられないような子が、人に辛く当たるのは仕方ないことなのではないか。

その一方で、わたしがそれを受け止める義理なんてあるのか、とも思い、しばしば逡巡した。

まったく同じことが起こった

それから丸3年が経って、まったく違う人間関係の中で生きていたある日の夜中、後輩の女の子から一通のメールを受け取った。わたしの知らない誰かに、わたしの悪口を書いたメール。

あー。なんか見たことある。

文面こそ忘れてしまったけど、まったく同じエネルギーを過去に受け取ったことがある。

続けて、謝罪のメールが届いた。
間違って送ってしまったこと、
内容に関する謝罪。

思わず考えた。
なぜこんな、まったく同じことが起こるのだろう。

怒りも、悲しさも、ほとんど湧かなかった。
代わりにこの3年間、折に触れて考えてきたことが次々と自分の中から出てきた。
今度は、突き放す気にはなれなかった。

その後輩の子がいろいろと辛い状況にあることは知っていた。わたしは自分が力になれなかったことを詫び、話を聞く過程で気付かないうちにわたしが彼女を苦しめていたのなら、それもとても申し訳なく思うと詫びた。悪口を言いたくなることも、それを本人に送ってしまうことも時にはあることだから、どうか気にしないでほしい。
そういうことを、端的に書いたと思う。

そうは書いたものの、これからどう彼女と接していいのかわからなかった。しばらく会う機会がなかったので、わたしは自分のしたことが正解なのかどうかもよくわからなかった。


タイムラインが変わる

数週間後、学校のエスカレーターを降りたら偶然その後輩の女の子がいた。彼女はわたしを見るなり平謝りに謝り、そして、いかに感謝しているかを伝えてきた。
それから彼女はことあるごとに、わたしを尊敬している、大好きだと伝えて来た。それも何年にもわたって。尊敬する先輩だといって、お母さんに紹介されたりもした。

わたしは、自分のとった行動が、わたしの中に組み込まれていたあるパターンを変えたことに気が付いた。

一回目は出来ずに不合格になっていたことが
二回目には出来るようになっていた。


自分が創ったものしか体験しない

その後、魂や宇宙のしくみに触れるにつれて、この一連の出来事には強く合点がいった。

何か学ぶことがある場合、それをクリアするまで、わたしたちは何度も同じ問題にぶち当たる。相手を変えて、場所を変えて、様々なバリエーションでそれは何度もやって来る。

なぜ?と言われても、それが宇宙のしくみで、
そしてそれをクリアすることが今生のテーマである限り、そこから逃れることはできない。
もっと言うと、それを設定したのもまた自分なのだ。わたしたちは忘れているだけで。

同じめに合わない方法は、ただひとつ。
その出来事に対する捉え方を変えること。

捉え方を変えると意識が変わる。
意識が変わると行動が変わる。

上記の話に戻すと、わたしは最初の時、相手の子のことを「かわいそう」だと思っていた。
そして当初、自分の不快感の原因は、彼女にあると思っていた。

けれど、会わなくなってからも、わたしは自分の中で彼女との対話を続けたのだと思う。
そのことはわたしの中に彼女への理解を生んだ。それが、次に同じことが起こった時にわたしを違う行動へと導いたのだと思う。

その後、二度とこういうことは起こっていない。
(いまのところ)

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