あの日のこと
被災、というほどではないのだけれど、我が家もかなり揺れた。紛れもなく今まで生きてきた中で一番大きな地震だった。揺れている時間がとても長く感じた。
わたしの住む家は結構古い。おそらく旧耐震基準だし、建てられてからほぼ手を入れていない。祖父母が生きていた頃に住んでいた一階の大部分は
頑丈に作ってあるけれど、二階を含む残り半分は「大きな地震が来たらぺしゃんこ」と、かつて大工さんが言ったとか言わないとか…
背の高い家具は一部固定してあるものの、してないものもある。物が積み上がっている場所もあるし、標準よりかなり多めの本や食器がある。
要するに、あれだけ揺れたのなら、もっといろんなものが大変なことになるかもしれない、と思っていたのだ。
ところが、大きな揺れがおさまったあと、その時いた一階の廊下から座敷を見回してみると、目の前の景色はほとんど何ひとつ普段と変わらなかった。一番脆いと聞いていた二階のわたしの部屋は本棚のガラス扉が開いていて、中にあった置物が床に転がっていた。鏡台が少し動いたのと、あとは化粧水とかのボトルが倒れたくらい。
震源地から距離があるとはいえ、そのあとテレビに映し出された光景とのギャップに不思議な気持ちになった。
夜になると、近くの学校が避難所として開放されていることを知らせる車が近所を回っていた。このくらいでも避難する必要があるのかしら、と、どこかピントがずれた景色を見るような思いで聞いていた。
翌日。
妹のもとに、結婚して今は少し離れたところに住んでいる幼馴染からLINEが来た。実家(うちの近所)の確認に来たという。物が散乱する床の写真。よくニュースとかで見るような光景。昨夜彼女の両親は避難所で過ごしたと書いてある。
その後いろんなところから、食器が散乱して大変だったとか、棚が倒れてスピーカーが飛んで来たとか、灯籠が倒れたとか、地震の被害っぽい話を聞いた。そしてようやく気がついた。
ひょっとして守られてた?
前に書いた通り、わたしはこの土地の精霊たちに、ご先祖さまたちに、毎日感謝を伝えている。出かける時には部屋のいろんなものに声をかけてから出かける。寝る前に感謝をし、目が覚めると、意識がここに戻って来れたことに感謝をする。
このためにやっていたのではないけれど、今回はもう絶対、守られているとしか思えなかった。
小さい時から少しでも遠くへ行きたかったのに、そんな自分が何のために今もここにいるのか、長くずっとわからなかった。家を出ても、結局戻ることになってしまう。
それで、何か果たすべきことを、まだ果たしていないのだろうと思った。ちょうどそんな話を年末に知人と話していたところだった。
ありとあらゆるものが、今ある形を留めていることがすごいことだと思う。この木の壁が、階段が、わたしに見える世界が、ありとあらゆる物質という形を取って存在している。
あたりまえのことが、あたりまえであることに深く感動するし、感謝が湧く。
何を言っているのかと、かつての自分だったら思ったかもしれない。今もテレビで地震のニュースを見たりして心を痛めていたかもしれないし、小さな揺れに怯えていたかもしれない。
けれど見えない世界のことを少しずつ理解し、
日々恐怖の周波数を外し、
エンパスであることが弱みではなくなって、
起こっていることは変わらないかもしれない。
けれど、体験することが明らかに変わった。
揺れを恐ろしいとは思わなかったし、必ず大丈夫だとも知っていた。少し動揺はしたけれど。
けれど動揺もまた、気づいたらすぐにエネルギーを取り戻せばいいだけのこと。
そして、必要なものが必要なひとのもとに届くよう、最善が為されるよう、それを信じて祈る。
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