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受け入れがたいのは当然だとは思うのだけれど

この世で体験することはすべて、自分が発したものを受け取っているだけ。

わたしは比較的長くゆっくりといろんな角度から自分の心や世界、宇宙の法則と向き合って来た。そういうわけで、日常の些細なことから極悪非道に思えるようなことまで、人間としては到底納得できないようなことでさえも、良いことも悪いこと(とわたしたちがジャッジするすべてのこと)も、やはり基本的には、自分がすべての始まりだと信じている。

上手く行かないあれこれに逡巡することもあるけれど、そういう時は、
自分のどんな価値観がそれを招いているのか
または、どんな価値観が理想的な状態を阻害しているのか
そういったことを考える。

例えば、以前のわたしは、誰かが好意でしてくれたことに対していつも「申し訳ない」と思っていた。
無価値観や、罪悪感。
「持っていると苦しいもの」で、わたしの中はいっぱいだった。

不要なものを、いろんな方法で手放して、統合する。
胸からイメージで取り出したり、空想の箱に入れて爆破したり、最近では、単に宇宙の光で浄化を意図するだけのことも多い。
そしてその浄化されたエネルギーを自分の中に戻す。

そんなことが何の役に立つのか、と、多くの人は思うかもしれない。だけど、根気よく続けていくと、いつか必ず実感できる。
自分で自分が耐えられないほどに重たい人間で、存在しているというだけですべてが辛くて仕方のなかったわたしが、今は「毎日幸せだ」と思って生きている。

3次元的な、地球っぽい現実的な問題が目の前に差し出されても、正直今はもう、周囲の人と同じようには悩めない。

それはもしかしたら、冷たく見えたり、優しくないと思われたりするかもしれない。

でも、何と言われようと、そこは全力で言う。
何かに悩んだり、深刻になったり、絶望したり。もしそれらが嫌なのなら、今すぐにだってやめられる。

日常生活でこう言うと、みんな怒ったり、不機嫌になったりする。そんな簡単に物事は解決しない、と。

確かに、解決はしない。
でも、悩むことはやめられる。自分が悩みを発さなければ、新たな悩みは体験し得ない。
逆に言えば、もし悩みが次から次へと降りかかってくるのなら、それは、自分が悩みを生み出し続けている証拠でもある。

かつて3次元的だったわたしは、こういう話にどれだけ不愉快な気持ちになったかわからない。話の内容によっては、今でも一瞬イラッとなる。
けれど、そういう抵抗が大きければ大きいほど、それはまたチャンスでもある。

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