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貴方は他人の幸せを祝えますか?

「大好きな彼と結婚します!」
婚姻届の文字を婚約指輪と結婚指輪がまあるく囲む写真と共に綴られる幸せ報告。

第一次結婚ブームの波に揉まれる私が最近よく見るようになった光景だ。


彼らにとっては人生の門出で、愛し合う2人が永遠の愛を誓った証。
これから始まる新たなステージに心躍らせているのだろう。



しかし、どうだろう。
私といったら、素直に喜べないのだ。


理由は簡単な話。自分が幸せじゃないと思っているから。


別にどん底にいるわけでもないし、制限されているわけでもない。
でも、貴方は今幸せですかと問われ、はい・どちらかと言えばはい・どちらかと言えばいいえ・いいえで答えよと言われれば

どちらかと言えばいいえ

と答える気持ち。

これは私だけかもしれないけれど
人間、幸せな気持ちはそう続かないのに、不幸な気持ちってずっと続く。
100の幸せも1の不幸で台無しになることがある。

不幸の力って、思っているよりもかなり強い。

そして、幸せの感度は著しく低いのだ。

ただし、あくまでも自分の幸せの感度のみで、他人の幸せへの感度はある意味良い。

だから妬み、心に棘が生える。
下手したらその棘で相手を傷つけて不幸にしたくなる。


言葉で表すととても歪んでいる思想だとわかる。でも、理性的に考えるとと言う話。
これが少数派の考えならばゴシップ誌は全く売れないだろうし、イジメ問題も社会問題にはならないのではないだろうか。

日常生活を見渡せばこんなことゴロゴロと転がっている。認知していないだけで。
不幸を喜ぶ気持ちは誰にでもある。


「じゃあ、どうすれば幸せだと胸を張って言えるようになるのか。」

流れとしてはこうなる。改善策はあるのか、何か手立てはあるのか。

私の考える答えはこれ。

「幸せには個人差がある。故にその自分だけの幸せの定義を見つけることが一番の近道ではないか」と。


100人いれば100通りの幸せの定義がある。

何をやれば自分の気持ちが高揚するのか。
どうすれば活力が湧くのか。
繰り返しの日々の中、自分の幸せと向きあう。

他人の幸せに感度が高くなるのは自分の幸せに向き合えていないから。
他人に目を向ける暇がなくなるくらい自問自答すればいい。
そして答えを見つけられれば、文句なしの100点満点だ。


なんて偉そうに話しているが、これが出来ていれば私は結婚する知り合いに妬むことなんてなかったのだ。つまり、お前がやれと言うこと。
うん、我ながらぐうの音も出ない。


でも、書きながら少し整理ができた気がする。
自分の幸せとはなんなのか、考えてみようと思う。

不幸の感度を下げ、幸せをめいいっぱい吸い込める人になろう。

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