言語で記述不可能な世界

どうも音声言語が苦手だ。書き言葉はそんなに嫌いではないが、音声言語になると、とたんに弱い。人が多い場でのコミュニケーションは特にそうだ。悲鳴をあげたくなる。

言語についてはひと月前からずっと考えているような気がする。きっかけは4年生のHさんとたまたまエレベーターホールではち合わせた時だ。そのときにずいぶんいろんな話をしたように思う。別のIさんという方の作品を私はとても気に入って、そのことを説明する為に、言語で記述可能な世界と、記述不可能な世界の二通りの世界について話した。

自分は、言語で記述可能な世界に対して、記述不可能な世界の方が優れていると信じていて、その世界に没入してしまいたいと切に願っている。言語の「定着して伝達するという性質」のすばらしさはもちろん、認めない訳にはいかない。しかし言語というものは原理的に、「世界を文節化することによって、便宜的に、かたちない世界にかたち(ことば)を与える」という性質から逃れ得ない。そのことから考えると、究極のコミュニケーションというのは不可能なのだ、原理的に。なので言語に頼らないコミュニケーションを模索している、というような話だった。

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